† 福音書対観 「イエスの系図」 マタイ1:1~17
マタイ1:1~17 ルカ3:23~38 (ヨハネ1:1~18)
マタイ1:1~17
Matt. 1:13ゾロバベルはアビウデの父、アビウデはエリヤキムの父、エリヤキムはアゾルの父、口語訳聖書
† 日本語訳聖書 Matt. 1:13
【漢訳聖書】
Matt. 1:13 所羅巴伯生亞比鬱、亞比鬱生以利亞金、以利亞金生亞所、
【明治元訳】
Matt. 1:13 ゼルバベル、アビウデを生(うみ)アビウデ、エリヤキンを生(うみ)エリヤキン、アゾルを生(うみ)
【大正文語訳】
Matt. 1:13 ゾロバベル、アビウデを生み、アビウデ、エリヤキムを生み、エリヤキム、アゾルを生み、
【ラゲ訳】
Matt. 1:13 ゾロバベル アビユドを生み、アビユド エリアキムを生み、エリアキム アゾルを生み、
【口語訳】
Matt. 1:13 ゾロバベルはアビウデの父、アビウデはエリヤキムの父、エリヤキムはアゾルの父、
【新改訳改訂3】
Matt. 1:13 ゾロバベルにアビウデが生まれ、アビウデにエリヤキムが生まれ、エリヤキムにアゾルが生まれ、
【新共同訳】
Matt. 1:13 ゼルバベルはアビウドを、アビウドはエリアキムを、エリアキムはアゾルを、
【バルバロ訳】
Matt. 1:13 ゾロバベルはアビウドを生み、アビウドはエリアキムを生み、エリアキムはアゾルを生み、
【フランシスコ会訳】
Matt. 1:13 ゼルバベルの子はアビウデ、アビウデの子はエリヤキム、エリヤキムの子はアゾル、
【日本正教会訳】
Matt. 1:13 ゾロワワェリはアワィウドを生み、アワィウドはエリアキムを生み、エリアキムはアドルを生み、
【塚本虎二訳】
Matt. 1:13 ゾロバベルの子はアビウデ、アビウデの子はエリヤキム、エリヤキムの子はアゾル、
【前田護郎訳】
Matt. 1:13 ゾロバベルはアビウデの父、アビウデはエリヤキムの父、エリヤキムはアゾルの父、
【永井直治訳】
Matt. 1:13 またゾロバベルはアビウデを生めり。またアビウデはニリアキムを生めり。またエリアキムはアゾルを生めり。
【詳訳聖書】
Matt. 1:13 ゾロバベルはアビウデの父、アビウデはエリヤキムの父、エリヤキムはアゾルの父、
† 聖書引照 Matt. 1:13
Matt. 1:13 ゾロバベル、アビウデを生み、アビウデ、エリヤキムを生み、エリヤキム、アゾルを生み、
[ゾロバベル] エズ2:1~2; マタ12,13; ルカ3:27
アビウデ以後の人物について旧約聖書には記述がない
† ギリシャ語聖書 Matt. 1:13
Stephens 1550 Textus Receptus
ζοροβαβελ δε εγεννησεν τον αβιουδ αβιουδ δε εγεννησεν τον ελιακειμ ελιακειμ δε εγεννησεν τον αζωρ
Scrivener 1894 Textus Receptus
ζοροβαβελ δε εγεννησεν τον αβιουδ αβιουδ δε εγεννησεν τον ελιακειμ ελιακειμ δε εγεννησεν τον αζωρ
Byzantine Majority
ζοροβαβελ δε εγεννησεν τον αβιουδ αβιουδ δε εγεννησεν τον ελιακειμ ελιακειμ δε εγεννησεν τον αζωρ
Alexandrian
ζοροβαβελ δε εγεννησεν τον αβιουδ αβιουδ δε εγεννησεν τον ελιακειμ ελιακειμ δε εγεννησεν τον αζωρ
Hort and Westcott
ζοροβαβελ δε εγεννησεν τον αβιουδ αβιουδ δε εγεννησεν τον ελιακειμ ελιακειμ δε εγεννησεν τον αζωρ
† ギリシャ語聖書 品詞色分け
Matt. 1:13
Ζοροβαβὲλ δὲ ἐγέννησεν τὸν ᾽Αβιούδ, ᾽Αβιοὺδ δὲ ἐγέννησεν τὸν ᾽Ελιακίμ, ᾽Ελιακὶμ δὲ ἐγέννησεν τὸν ᾽Αζώρ,
† ヘブライ語聖書 Matt. 1:13
Matt. 1:13
זְרֻבָּבֶל הוֹלִיד אֶת אֲבִיהוּד, אֲבִיהוּד הוֹלִיד אֶת אֶלְיָקִים וְאֶלְיָקִים הוֹלִיד אֶת עַזּוּר.
† ラテン語聖書 Matt. 1:13
Latin Vulgate
Matt. 1:13
Zorobabel autem genuit Abiud. Abiud autem genuit Eliacim. Eliacim autem genuit Azor.
And Zerubbabel conceived Abiud. And Abiud conceived Eliakim. And Eliakim conceived Azor.
† 私訳(詳訳)Matt. 1:13
【私訳】 「またゼルバベルはアビウドをもうけた、またアビウドはエリアキムをもうけた、またエリアキムはアゾルをもうけた」
† 新約聖書ギリシャ語語句研究
Matt. 1:13
Ζοροβαβὲλ δὲ ἐγέννησεν τὸν ᾽Αβιούδ, ᾽Αβιοὺδ δὲ ἐγέννησεν τὸν ᾽Ελιακίμ, ᾽Ελιακὶμ δὲ ἐγέννησεν τὸν ᾽Αζώρ,
【また】 δὲ δέ デ de {deh} (cc 接続詞・等位)
1)ところで、しかし、さて、そして 2)しかも、そしてまた、なお、すると、また 3)次に、さらに 4)否、むしろ
【ゼルバベルは】Ζοροβαβὲλ Zorobabe,l ゾロバベる Zorobabel {dzor-ob-ab‘-el} (n-nm-s 名詞・主男単)
ゾロバベル ヘブル名「バビロンで生まれた者、バビロンの若枝」
バビロン捕囚から帰還を許されたユダヤ人の首領。
エズラ2:1~2; マタ1:12; ルカ3:27
【アビウドを】᾽Αβιούδ ᾽Αβιούδ アビウード Abioud {ab-ee-ood‘} (n-am-s 名詞・対男単)
アビウデ ヘブル名「父は栄えがある」
マタ1:13
【もうけ】ἐγέννησεν γεννάω ゲンナオー gennaō { ghen-nah‘-o } (viaa–3s 動詞・直・1アオ・能・単)
1)(父が子を)もうける、(母が子を)産む、~の父となる 2)生ませる、産出する、発生させる、生ぜしめる 3)生まれつき、生まれながら 4)(事物を)産出する、発生させる、生ずる、生ぜしめる
マタ1:2,16,20; ヨハ1:13; 3:3,5; Ⅰヨハ4:7; 5:1
【また】 δὲ δέ デ de {deh} (cc 接続詞・等位)
1)ところで、しかし、さて、そして 2)しかも、そしてまた、なお、すると、また 3)次に、さらに 4)否、むしろ
【アビウドは】᾽Αβιούδ ᾽Αβιούδ アビウード Abioud {ab-ee-ood‘} (n-nm-s 名詞・主男単)
アビウデ ヘブル名「父は栄えがある」
マタ1:13
【エリアキムを】 ᾽Ελιακίμ ᾽Ελιακίμ エりアキム Eliakeim {el-ee-ak-ime‘} (n-am-s 名詞・対男単)
エリアキム ヘブル名「神は確立したもう」
マタ1:13
【もうけ】ἐγέννησεν γεννάω ゲンナオー gennaō { ghen-nah‘-o } (viaa–3s 動詞・直・1アオ・能・単)
1)(父が子を)もうける、(母が子を)産む、~の父となる 2)生ませる、産出する、発生させる、生ぜしめる 3)生まれつき、生まれながら 4)(事物を)産出する、発生させる、生ずる、生ぜしめる
マタ1:2,16,20; ヨハ1:13; 3:3,5; Ⅰヨハ4:7; 5:1
【また】 δὲ δέ デ de {deh} (cc 接続詞・等位)
1)ところで、しかし、さて、そして 2)しかも、そしてまた、なお、すると、また 3)次に、さらに 4)否、むしろ
【エリアキムは】 ᾽Ελιακίμ ᾽Ελιακίμ エりアキム Eliakeim {el-ee-ak-ime‘} (n-nm-s 名詞・主男単)
エリアキム ヘブル名「神は確立したもう」
マタ1:13
【アゾルを】᾽Αζώρ ᾽Αζώρ アゾール Azōr {ad-zore‘} (n-am-s 名詞・対男単)
アゾル ヘブル名 意味不明
マタ1:13
【もうけ】ἐγέννησεν γεννάω ゲンナオー gennaō { ghen-nah‘-o } (viaa–3s 動詞・直・1アオ・能・単)
1)(父が子を)もうける、(母が子を)産む、~の父となる 2)生ませる、産出する、発生させる、生ぜしめる 3)生まれつき、生まれながら 4)(事物を)産出する、発生させる、生ずる、生ぜしめる
マタ1:2,16,20; ヨハ1:13; 3:3,5; Ⅰヨハ4:7; 5:1
† 英語訳聖書 Matt. 1:13
King James Version
1:13 And Zorobabel begat Abiud; and Abiud begat Eliakim; and Eliakim begat Azor;
American Standard Version
1:13 and Zerubbabel begat Abiud; and Abiud begat Eliakim; and Eliakim begat Azor;
New International Version
1:13 Zerubbabel the father of Abiud, Abiud the father of Eliakim, Eliakim the father of Azor,
Bible in Basic English
1:13 And Zerubbabel had Abiud; and Abiud had Eliakim; and Eliakim had Azor;
Darby’s English Translation
1:13 and Zorobabel begat Abiud, and Abiud begat Eliakim, and Eliakim begat Azor,
Douay Rheims
1:13 And Zorobabel begot Abiud. And Abiud begot Eliacim. And Eliacim begot Azor.
Noah Webster Bible
1:13 And Zorobabel begat Abiud; and Abiud begat Eliakim; and Eliakim begat Azor;
Weymouth New Testament
1:13 Zerubbabel of Abiud; Abiud of Eliakim; Eliakim of Azor;
World English Bible
1:13 Zerubbabel became the father of Abiud. Abiud became the father of Eliakim. Eliakim became the father of Azor.
Young’s Literal Translation
1:13 and Zerubbabel begat Abiud, and Abiud begat Eliakim, and Eliakim begat Azor,
Amplified Bible
1:13 Zerubbabel was the father of Abihud, Abihud the father of Eliakim, and Eliakim the father of Azor.
† 細き聲 聖書研究ノート
<ゾロバベル、アビウデを生み、アビウデ、エリヤキムを生み、エリヤキム、アゾルを生み>
バビロンの捕囚によって、ついに旧約聖書に王の家系に名をつらねる者たちの記録も途絶えてしまう。ただ、マタイの福音書の系図にその子らの名を知るのみである。
<系図 マタイ1:13 ゾロバベルの子>
ゾロバベル(ゼルバベル)(エゼキエル2:3) バビロンで生まれ、捕囚後主の宮の建設に携わった。
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アビウデ アビウデ以後の人物について旧約聖書には記述がない。
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エリヤキム
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アゾル
<ゼルバベル(ゾロバベル)>
バビロニアで生まれのエホヤキン王の孫で、ペルシャ王ダレイオスの時代にエルサレムに帰還し、神殿再建につとめた。(ネヘミヤ12:1)
「我らいかにゼルバベルをあがめん。彼は右の手にある印章のごとくなりき」ベン=シラの智慧49:11 日本聖公会訳
<知られない人々>
「アビウド」以下の人名は旧約聖書に記録されていない。バビロンに移されて以後、イスラエルの記録に残す意味が失われてしまったのかもしれない。
歴史は「知られない人々」によっても綴られる。
「アビウドからヤコブまで」はヨセフの家に伝えられた系図(ヨセフス)かもしれない。
† 心のデボーション
「今爾ヱホバをさして我にわが後にてわが子孫を斷ずわが名をわが父の家に滅せざらんことを誓へと」 Ⅰサムエル24:21 明治元訳聖書
「さあ、主にかけて私に誓ってくれ。私のあとの私の子孫を断たず、私の名を私の父の家から根絶やしにしないことを」 新改訳聖書
「二つの名前」
在日韓国人の方からの手紙には、日本名と韓国名の二つが併記してあり、『どちらでも、お選びください』とあった。どちらを選ぶにも半分を否定するような選択で、一方を選べば他方を否定することになりそうな気がして、私はたじろいだ。この方は、自分がそういう立場に生きているということを知ってほしかったのかもしれない。
「系図」には、その名以外に何も知られない人々がいる。しかし、「一つの名」に生きることすら難しい人もいる。
「創氏改名」
1939年、大日本帝国朝鮮総督は本籍を朝鮮にもつ人々に「氏」を創設し、「名」を改める「創氏改名」政策をとった。作家梁(ヤン・)石(ソ)日(ギル)氏は小説『おおいなる時を求めて』で、その時の様子を描いている。
「教師は出席をとって、日本名に変えていない生徒に『家に帰って、日本の名前を持ってこい』と言って、教室から追い出した。教室から出された生徒は、帰って事情を話しても父親がおいそれと名を変えるはずがなく、生徒は途方にくれ、海を眺めたり、山に行ったりして時間をつぶすが、やがて不登校をくりかえして中途退学に追い込まれた」(梁(ヤン・)石(ソ)日(ギル) 『おおいなる時を求めて』より)
バビロニア捕囚により、ユダヤ人の多くがユダヤ世界を離れ、流浪の民となったユダヤ人も「二つの名前」の悲しみを経験した民であった。
(†心のデボーション00741 マタイ1:13)
† 心のデボーション
「生命にいたる門は狹く、その路は細く、之を見出す者すくなし」 マタイ7:14 大正文語訳聖書
「しかし、いのちに通じている門は狭く<通りにくく>、道はせばまって<押しせばめられて>いて、それを見出す者が少ない」 詳訳聖書
「私を知るのは私」
マタイ1:13以後の人々について、聖書はいかなる記録も残していない。その名があることによって存在を知るのみである。
「人間とは何か」を問うとき、まず「私」という存在がある。そして、「私」を知るのは世界に唯一私しかいない。「私」を知る作業は、人を絶対の孤独に導く。「存在の確かさ」と言えるのは、身に何一つもたない者としての「私」のみである。人がこの「絶対の孤独」に耐え、しかもその「豊かさ」を経験するのは、神と共にある時である。
(†心のデボーション00754 マタイ1:13)
† 細き聲 説教
「神殿再建」
「シヤルテルの子ゼルバベルおよびヨザダクの子ヱシユア起あがりてヱルサレムなる神の室を建ることを始む 神の預言者等これと共に在て之を助く」 エズラ5:2 明治元訳聖書
前539年、ペルシャのクロス王がバビロニア帝国を攻略した。クロス王はバビロンに入城し、バビロンに捕囚として捕らえられた人々と神々をそれぞれの国に返すよう命令した。これにより、総督ゼルバベル、大祭司ヨシュアが四万二千三百六十名の全集団が70年に及ぶバビロンの捕囚からユダに帰国した。(エズラ2章)
人々は、まずエルサレムに祭壇を築き、全焼のいけにえを神にささげ、(エズラ3:1~6)半年後には神殿建設にとりかかった。
しかし、ゾロバベルの神殿は昔のソロモンの神殿に比べて貧しく見栄えがしなかった。老人たちは「ソロモンの神殿にくらべれば無にひとしい」と泣いた。(ハガイ2:3)
そこで預言者ハガイはゼルバベルを励まし、神の言葉を告げる。
「ヱホバ曰たまふゼルバベルよ自ら強くせよ ヨザダクの子祭司の長ヨシユアよ自ら強くせよ ヱホバ言たまふ この地の民よ自らつよくしてはたらけ 我なんぢらとともに在り 萬軍のヱホバこれを言ふ」 ハガイ2:4
ゼルバベルよ、今、強くあれ。 神殿が小さい、みずぼらしいと泣くな。仕事に取り掛かれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。
困難の末に完成したゼルバベルの神殿もやがて破壊され、その壁の一部が残されるにいたった。
神殿とは何であろうか?
「汝らの身は、その内にある神より受けたる聖靈の宮にして、汝らは己の者にあらざるを知らぬか」 Ⅰコリント6:19 大正文語訳聖書
「神の宮と偶像と何の一致かあらん、我らは活ける神の宮なり、即ち神の言ひ給ひしが如し。曰く 『われ彼らの中に住み、また歩まん。 我かれらの神となり、 彼等わが民とならん』 と」 Ⅱコリント6:16 大正文語訳聖書
「私」こそが「生ける神の宮、聖霊の宮、キリストの教会」である。
神は人の手にて造られたところに住み給わない。神は神の創られた人間の内に臨在し給う。Ⅰ列王8:27~32
だが、私の身に建てられる「神の神殿」の何と貧しいことだろうか。己が貧弱な肉体を思え。見栄えもなく、無いに等しい。
だが、神は私の涙を拭われ、「仕事に取り掛かれ」「己に神の宮を建てよ」と命じ給う。
「萬軍のヱホバかくいひたまふ いま一度しばらくありてわれ天と地と海と陸とを震動はん 又われ萬國を震動はん また萬國の願ふところのもの來らん 又われ榮光をもてこの殿に充滿さん 萬軍のヱホバこれを言ふ 銀も我ものなり 金もわが物なりと萬軍のヱホバいひたまふ この殿の後の榮光は從前の榮光より大ならんと萬軍のヱホバいひたまふ この處においてわれ平康をあたへんと萬軍のヱホバいひたまふ 」 ハガイ2:6~9
私の身に建てれる貧しき「神の宮」に神の栄光滿る。その栄光先のソロモンの神殿にまさり、天と地、海と陸を揺り動かし、すべての国々を揺り動かす。「平和」そのところに来る。
「また今われ汝らに乞 この日より以前すなはちヱホバの殿にて石の上に石の置れざりし時を憶念べし 」ハガイ2:15 明治元訳聖書
「なんぢらこの日より以前を憶念みよ 即ち九月二十四日よりヱホバの殿の基を置し日までをおもひ見よ 」ハガイ2:18 明治元訳聖書
さあ、「あなたの身の神の神殿」が建てられてから「後の日」を「よく考えよ」と神は語られる。
「種子なほ倉にあるや 葡萄の樹 無花果の樹 石榴の樹 橄欖の樹もいまだ實を結ばざりき 此日よりのちわれ汝らを惠まん 種子なほ倉にあるや 葡萄の樹 無花果の樹 石榴の樹 橄欖の樹もいまだ實を結ばざりき 此日よりのちわれ汝らを惠まん 」 ハガ2:18~19
その倉に種が豊かに蓄えられて地に蒔かれるのを待ち、ぶどうの木、いちじくの木、ざくろの木、オリーブの木はまさに実をつけようとしている。あなたはこれを信じるか?
神殿再建のテーマは再現ではなく新しい建設である。
(皆川誠)
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