マタイによる福音書1章8節

マタイによる福音書
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† 福音書対観 「イエスの系図」 マタイ1:1~17

マタイ1:1~17  ルカ3:23~38  (ヨハネ1:1~18)
マタイ1:1~17

Matt. 1:8アサはヨサパテの父、ヨサパテはヨラムの父、ヨラムはウジヤの父、口語訳聖書

† 日本語訳聖書 Matt. 1:8

【漢訳聖書】
Matt. 1:8 亞撒生約沙法、約沙法生約蘭、約蘭生烏西亞、

【明治元訳】
Matt. 1:8 アサ、ヨサパテを生(うみ)ヨサパテ、ヨラムを生(うみ)ヨラム、ウッズヤを生(うみ

【大正文語訳】
Matt. 1:8 アサ、ヨサパテを生み、ヨサパテ、ヨラムを生み、ヨラム、ウジヤを生み、

【ラゲ訳】
Matt. 1:8 アザ ヨザファトを生み、ヨザファト ヨラムを生み、ヨラム オジアを生み、

【口語訳】
Matt. 1:8 アサはヨサパテの父、ヨサパテはヨラムの父、ヨラムはウジヤの父、

【新改訳改訂3】
Matt. 1:8 アサにヨサパテが生まれ、ヨサパテにヨラムが生まれ、ヨラムにウジヤが生まれ、

【新共同訳】
Matt. 1:8 アサはヨシャファトを、ヨシャファトはヨラムを、ヨラムはウジヤを、

【バルバロ訳】
Matt. 1:8 アサはヨザファトを生み、ヨザファトはヨラムを生み、ヨラムはオジアを生み、

【フランシスコ会訳】
Matt. 1:8 アサの子はヨシャパテ、ヨシャパテの子はヨラム、ヨラムの子はウジヤ、

【日本正教会訳】
Matt. 1:8 アサはイヲサファトを生み、イヲサファトはイヲラムを生み、イヲラムはオジヤを生み、

【塚本虎二訳】
Matt. 1:8 アサ(王)の子はヨサパテ、ヨサパテ(王)の子はヨラム、ヨラム(王)の子はウジヤ、

【前田護郎訳】
Matt. 1:8 アサはヨサパテの父、ヨサパテはヨラムの父、ヨラムはウジヤの父、

【永井直治訳】
Matt. 1:8 またアサはヨサパテを生めり。またヨサパテはヨヲムを生めり。またヨラムはオゼアを生めり、

【詳訳聖書】
Matt. 1:8 アサはヨサパテの父、ヨサパテはヨラムの父、ヨラムはウジヤの父、

† 聖書引照 Matt. 1:8

Matt. 1:8 アサ、ヨサパテを生み、ヨサパテ、ヨラムを生み、ヨラム、ウジヤを生み、

[アサ]  Ⅰ列王15:8~24; Ⅱ歴代14:1~16:14
[ヨサパテ]  Ⅰ列王15:24; 22:2~50; Ⅱ列王3:1; Ⅱ歴代17~20; 20:31~37
[ヨラム]  Ⅰ列王22: 41~50; Ⅱ列王8:16; Ⅰ歴代3:11; Ⅱ歴代21: 1~20
[ウジヤ]  Ⅱ列王14:21~15:7

† ギリシャ語聖書 Matt. 1:8

Stephens 1550 Textus Receptus
ασα δε εγεννησεν τον ιωσαφατ ιωσαφατ δε εγεννησεν τον ιωραμ ιωραμ δε εγεννησεν τον οζιαν

Scrivener 1894 Textus Receptus
ασα δε εγεννησεν τον ιωσαφατ ιωσαφατ δε εγεννησεν τον ιωραμ ιωραμ δε εγεννησεν τον οζιαν

Byzantine Majority
ασα δε εγεννησεν τον ιωσαφατ ιωσαφατ δε εγεννησεν τον ιωραμ ιωραμ δε εγεννησεν τον οζιαν

Alexandrian
ασαφ δε εγεννησεν τον ιωσαφατ ιωσαφατ δε εγεννησεν τον ιωραμ ιωραμ δε εγεννησεν τον οζιαν

Hort and Westcott
ασαφ δε εγεννησεν τον ιωσαφατ ιωσαφατ δε εγεννησεν τον ιωραμ ιωραμ δε εγεννησεν τον οζιαν

† ギリシャ語聖書 Matt. 1:8

Matt. 1:8

᾽Ασὰφ δὲ ἐγέννησεν τὸν ᾽Ιωσαφάτ, ᾽Ιωσαφὰτ δὲ ἐγέννησεν τὸν ᾽Ιωράμ᾽Ιωρὰμ δὲ ἐγέννησεν τὸν ᾽Οζίαν,

† ヘブライ語聖書 Matt. 1:8

Matt. 1:8

אָסָא הוֹלִיד אֶת יְהוֹשָׁפָט, יְהוֹשָׁפָט הוֹלִיד אֶת יוֹרָם וְיוֹרָם הוֹלִיד אֶת עֻזִּיָּהוּ.

† ラテン語聖書 Matt. 1:8

Latin Vulgate
Matt.1:8

Asa autem genuit Iosophat. Iosophat autem genuit Ioram. Ioram autem genuit Oziam.
And Asa conceived Jehoshaphat. And Jehoshaphat conceived Joram. And Joram conceived Uzziah.

† 私訳(詳訳)Matt. 1:8

【私訳】 「またアサはヨシャファトをもうけた、またヨシャファトはヨラムをもうけた、またヨラムはウジヤをもうけた」

† 新約聖書ギリシャ語語句研究

Matt.1:8

᾽Ασὰ δὲ ἐγέννησεν τὸν ᾽Ιωσαφάτ, ᾽Ιωσαφὰτ δὲ ἐγέννησεν τὸν ᾽Ιωράμ, ᾽Ιωρὰμ δὲ ἐγέννησεν τὸν ᾽Οζίαν,

【また】 δὲ  δέ  デ de {deh} (cc 接続詞・等位)

1)ところで、しかし、さて、そして 2)しかも、そしてまた、なお、すると、また 3)次に、さらに 4)否、むしろ

【アサは】 Ασά  ᾽Ασά  アサ Asa {as-ah‘}  (n-nm-s 名詞・主男単)

アサ ヘブル名 「癒す者、与える者」

ユダの王。偶像を除き、神殿男娼を追放するなどの改革を行なったが、イスラエル王国との戦いは続いた。

Ⅰ列王15:9~24; マタ1:7,8

【ヨシャファトを】 ᾽Ιωσαφάτ  ᾽Ιωσαφάτ  イオーサふァト  Iōsaphat {ee-o-saf-at‘} (n-am-s 名詞・対男単)

ヨサパテ  ヘブル名「ヤㇵウェは裁く」

ヨシャファトは父アサの善政を継ぎ、イスラエル王国との間にも平和が維持された。

Ⅰ列王22:41~46;  マタ1:8

【もうけ】 ἐγέννησεν  γεννάω  ゲンナオー  gennaō { ghen-nah‘-o } (viaa–3s 動詞・直・1アオ・能・単)

1)(父が子を)もうける、(母が子を)産む、~の父となる 2)生ませる、産出する、発生させる、生ぜしめる 3)生まれつき、生まれながら 4)(事物を)産出する、発生させる、生ずる、生ぜしめる

マタ1:2,16,20; ヨハ1:13; 3:3,5;  Ⅰヨハ4:7; 5:1

【また】 δὲ  δέ  デ de {deh} (cc 接続詞・等位)

1)ところで、しかし、さて、そして 2)しかも、そしてまた、なお、すると、また 3)次に、さらに 4)否、むしろ

【ヨシャファトは】 ᾽Ιωσαφάτ  ᾽Ιωσαφάτ  イオーサふァト  Iōsaphat {ee-o-saf-at‘}  (n-nm-s 名詞・主男単)

ヨサパテ  ヘブル名「ヤㇵウェは裁く」

ヨシャファトは父アサの善政を継ぎ、イスラエル王国との間にも平和が維持された。

Ⅰ列王22:41~46;  マタ1:8

【ヨラムを】 ᾽Ιωράμ  ᾽Ιωράμ  イオーラム Iōram {ee-o-ram‘} (n-am-s 名詞・対男単)

ヨラム ヘブル名 「ヤㇵウェは高い」

ヨラムはイスラエル王アハブの娘アタリヤを妻とし、義父母アハブと妃イゼベルの悪にならった。

Ⅱ列王8:16~23;  マタ1:8

【もうけ】 ἐγέννησεν  γεννάω  ゲンナオー  gennaō { ghen-nah‘-o } (viaa–3s 動詞・直・1アオ・能・単)

1)(父が子を)もうける、(母が子を)産む、~の父となる 2)生ませる、産出する、発生させる、生ぜしめる 3)生まれつき、生まれながら 4)(事物を)産出する、発生させる、生ずる、生ぜしめる

マタ1:2,16,20; ヨハ1:13; 3:3,5;  Ⅰヨハ4:7; 5:1

【また】 δὲ  δέ  デ de {deh} (cc 接続詞・等位)

1)ところで、しかし、さて、そして 2)しかも、そしてまた、なお、すると、また 3)次に、さらに 4)否、むしろ

【ヨラムは】 ᾽Ιωράμ  ᾽Ιωράμ  イオーラム Iōram {ee-o-ram‘}  (n-nm-s 名詞・主男単)

ヨラム ヘブル名 「ヤㇵウェは高い」

ヨラムはイスラエル王アハブの娘アタリヤを妻とし、義父母アハブと妃イゼベルの悪にならった。

Ⅱ列王8:16~23;  マタ1:8

【ウジヤを】 ᾽Οζίαν  ᾽Οζίας  オジアス Ŏzias {od-zee‘-as} (n-am-s 名詞・対男単)

ウジヤ  ヘブル名「ヤㇵウェは強し」

Ⅱ列王14:21の「アザルヤ」は「ウジヤ」の別名。

Ⅱ列王15:1~7  マタ1:8,9

【もうけ】 ἐγέννησεν  γεννάω  ゲンナオー  gennaō { ghen-nah‘-o } (viaa–3s 動詞・直・1アオ・能・単)

1)(父が子を)もうける、(母が子を)産む、~の父となる 2)生ませる、産出する、発生させる、生ぜしめる 3)生まれつき、生まれながら 4)(事物を)産出する、発生させる、生ずる、生ぜしめる

マタ1:2,16,20; ヨハ1:13; 3:3,5;  Ⅰヨハ4:7; 5:1

† 英語訳聖書 Matt. 1:8

King James Version
1:8 And Asa begat Josaphat; and Josaphat begat Joram; and Joram begat Ozias;

American Standard Version
1:8 and Asa begat Jehoshaphat; and Jehoshaphat begat Joram; and Joram begat Uzziah;

New International Version
1:8 Asa the father of Jehoshaphat, Jehoshaphat the father of Jehoram, Jehoram the father of Uzziah,

Bible in Basic English
1:8 And the son of Asa was Jehoshaphat; and the son of Jehoshaphat was Joram; and the son of Joram was Uzziah;

Darby’s English Translation
1:8 and Asa begat Josaphat, and Josaphat begat Joram, and Joram begat Ozias,

Douay Rheims
1:8 And Asa begot Josaphat. And Josaphat begot Joram. And Joram begot Ozias.

Noah Webster Bible
1:8 And Asa begat Josaphat; and Josaphat begat Joram; and Joram begat Ozias;

Weymouth New Testament
1:8 Asa of Jehoshaphat; Jehoshaphat of Jehoram; Jehoram of Uzziah;

World English Bible
1:8 Asa became the father of Jehoshaphat. Jehoshaphat became the father of Joram. Joram became the father of Uzziah.

Young’s Literal Translation
1:8 and Asa begat Jehoshaphat, and Jehoshaphat begat Joram, and Joram begat Uzziah,

Amplified Bible
1:8 Asa was the father of Jehoshaphat, Jehoshaphat the father of Joram, and Joram the father of Uzziah.

† 細き聲 聖書研究ノート

<アサ、ヨサパテを生み、ヨサパテ、ヨラムを生み、ヨラム、ウジヤを生み>

「系図」は分裂した北イスラエル王国から離れ、南ユダ王国の歴史をたどる。

<系図 マタイ1:8 アサの子>

アサ      アサは南王国ユダの第三代目の王。(Ⅰ列王15:9~10)

ヨサパテ    ヨサパテは南王国ユダの第四代目の王。(Ⅰ列王22:41~42)

ヨラム     ヨラムは南王国ユダの第五代目の王。
(Ⅱ列王8:16~17)ヨラムの子はアハズヤ、

|      アハズヤの子はアタルヤ、アタルヤの子はヨアシュ、
ヨアシュの子はアマツヤである。

ウジヤ      ウジヤ(別名アザルヤ)は南王国ユダの第十代目の王、アマツヤの子で、
ヨラムの子ではない。(Ⅰ歴代3:10) したがって、ヨラムとウジヤの間には
アハズヤ、アタルヤ、ヨアシュ、アマツヤの三代の王名が省略されている。

<世代の省略>

ウジヤはアマツヤの子であって、ヨラムの子ではない。(Ⅰ歴代3:10)「ヨラムの子」は「ヨラムの子孫」の意味である。

尚、ウジヤとアザルヤは同一人物である。(Ⅱ歴代26:1,Ⅱ列王14:21参照)

「ヨラム」と「ウジヤ」の間には「アハズヤ、ヨアシュ、アマツヤ」の三世代が省かれている。マタイのイエスの系図は全体を三つの十四代に整理したもので、幾つかの世代が省略されている。 省略は1:11,12にも見られる。

<ヨシャファト>

ユダの王ヨシャファトの治世は比較的平穏であった。より国の繁栄を求めて「タルシシュの船団」をつくり、金を求めてオフィルに行こうとしたがエツヨン・ゲベルで難破し失敗した。(Ⅰ列王22:48) それはイスラエルの悪しき王アハズヤと同盟を結んでの作戦だったためである。(Ⅱ歴代20:35~37)

<ヨラム>

ヨラムはイスラエルのアハブ王の娘を妻とし、その悪しき影響を受けた。(Ⅱ歴代21:6)そのため、神はヨラムの内臓を打たれ、「不治の病」となり、内臓が外に出てしまい、重病の床で死んだ。人々はヨラムのために「香をたく」こともしなかった。

<ウジヤ>

ウジヤは16歳でユダの王となり、52年間ユダをおさめた。イスラエル・ユダの諸王の中で最も長く王位につき、輝かしい業績を残したが、祭司たちの制止を無視して自ら神殿に入り香をたこうとしたので、神に打たれ、その額にライ病があらわれた。(Ⅱ歴代誌26章)以来、ウジヤは「隔離された家」に住んだ。

† 心のデボーション

「萬國の民を集め之を携へてヨシヤパテの谷にくだりかしこにて我民我ゆづりの產なるイスラエルのために彼らをさばかん 彼らこれを國々に散してその地を分ち取りたればなり」 ヨエル書3:2 明治元訳聖書

「わたしはすべての国民を集め、彼らをヨシャパテの谷に連れて下り、その所で、彼らがわたしの民、わたしのゆずりの地イスラエルにしたことで彼らをさばく。彼らはわたしの地を自分たちの間で分け取ったからだ」 新改訳聖書

「ヨシャファトの谷」

ヨエル書3:2,12に「ヨシャファトの谷」と記されている。「さばきの谷」の意味である。この谷は古くからエルサレムとオリーブ山の間のケデロンの谷であるとされてきたが定かではない。

その日、神はすべての「諸国の民」を集め、イスラエルを散らしたことへの裁きが行われる。(ヨエル3:1~15)

いかなる国にも、いかなる理由があっても、その民を散らすことは許されることではない。

(†心のデボーション00679)

† 心のデボーション

「此もろもろの事の後ヱホバ彼を撃て臓腑に愈ざる疾を生ぜしめたまひければ」 Ⅱ歴代誌21:18 明治元訳聖書

「その後、主は彼の腹を不治の病で打たれた」 新共同訳聖書

「死に至る病」

アサは足の病、ヨラムは内蔵の破れる不治の病、そしてウジヤには額にライ病が発症した。いずれも神への不信が原因で死に至る病であった。

重篤な病になると、「自分は何の罪を犯したのか」と悩み、神に悔い改めようとする。しかし、結核や癌など「人間がそれに耐えようとして織りなす空想」について研究したスーザン・ソンタグは「病気とは隠喩などではなく、従って病気に対処するに―最も健康に病気になるには―隠喩がらみの病気観を一掃すること、なるたけそれに抵抗することが最も正しい方法である」と書いている。「病気の捉え方を正し、非神話化するしかない」という。(スーザン・ソンタグ『隠喩としての病い』みすず書房)

病は罪によって引き起こされるのではない。だが、「最も健康に病気になる」には病に背負わせられた隠喩とも正しく向き合わなければならない。

(†心のデボーション00680)

† 細き聲 説教

「預言者ゼカリア」

「神の默示(もくし)に明なりしかのゼカリヤの世にある日の間心をこめてヱホバを求めたりそのヱホバを求むる間は神これをして幸福ならしめたまへり」 Ⅱ歴代26:5 明治元訳聖書

ウジヤは16歳でユダの王となり、52年間ユダをおさめた。イスラエル・ユダの諸王の中で最も長く王位につき、輝かしい業績を残したが、祭司たちの制止を無視して自ら神殿に入り香をたこうとしたので、神に打たれ、その額にライ病があらわれた。(Ⅱ歴代26章)以来、ウジヤは「隔離された家」に住んだ。

ウジヤ王はエルサレムの城壁にやくらを建て、それを強固にし、荒野にやぐらを設け、そこに井戸を掘り農地に水を引いた。

ウジヤは強力な戦闘部隊を指揮し、夥しい数の兵器を蓄えた。「巧みに考案された兵器」を開発し、城壁を固めた。(Ⅱ歴代26:9~15)

しかし、ウジヤ王の名が「遠くまで鳴り響く」ようになると、「心高ぶり」、自ら神殿に入り、神に香をたこうとした。神殿で香をたくのは、祭司のみにゆるされた神聖な行為である。

祭司アザルヤを先頭に八十人の祭司たちがウジヤ王の前に立ちふさがり、止めようとしたが、ウジヤは怒り、香炉に手を伸ばし、香をたこうとしたとき、ウジヤの額にライ病が現れた。「主がウジヤ王を打たれた」のである。

(Ⅱ歴代26:19~20) ウジヤ王は死ぬ日までライ病に冒され、「隔離された家」に住んだ。

ウジヤ王の「高ぶり」は、強力な国家を築いたことによる慢心だけで説明できるのではない。

「神の默示(もくし)に明なりしかのゼカリヤの世にある日の間心をこめてヱホバを求めたりそのヱホバを求むる間は神これをして幸福ならしめたまへり」 Ⅱ歴代26:7 明治元訳聖書

ウジヤには「神の默示(もくし)に明なりしかのゼカリヤ」と呼ばれる預言者がいた。

「ゼカリヤ」の名で呼ばれる人物は旧約聖書にたくさんいる。ウジヤのそばにいた「ゼカリヤ」は、「ゼカリヤ書」の著者とも違う、その名以外に全く知られていない預言者である。

この預言者は「神の默示(もくし)に明らかな人」で、彼の存命中は、ゼカリヤは謙虚さを失わず、主を求め、国を栄えをもたらした。しかし、この預言者が亡くなると、ウジヤに「高ぶり」がはじまり、国も滅亡に向かうのである。

「驕傲(たかぶり)は滅亡(ほろび)にさきだち誇る心は傾跌(たふれ)にさきだつ」 箴言16:18 明治元訳聖書

「神の默示(もくし)に明なりしかのゼカリヤ」を失ってはならない。「高ぶり」はそこから始まるからである。

(皆川誠)

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