マタイによる福音書1章6節

マタイによる福音書
Generic selectors
完全一致
タイトルから
記事本文から
Post Type Selectors
カテゴリーで絞込

† 福音書対観 「イエスの系図」 マタイ1:1~17

マタイ1:1~17  ルカ3:23~38  (ヨハネ1:1~18)
マタイ1:1~17

Matt. 1:6エッサイはダビデ王の父であった。ダビデはウリヤの妻によるソロモンの父であり、口語訳聖書

† 日本語訳聖書 Matt. 1:6

【漢訳聖書】
Matt. 1:6 耶西生大闢王、大闢王由烏利亞之妻、生所羅門、

【明治元訳】
Matt. 1:6 エツサイ、ダビデ王(わう)を生(うみ)ダビデ王ウリヤの妻(つま)に由(より)てソロモンを生(うみ)み

【大正文語訳】
Matt. 1:6 エツサイ、ダビデ王を生めり。ダビデ、ウリヤの妻たりし女によりてソロモンを生み、

【ラゲ訳】
Matt. 1:6 ダヴィド王ウリアの[妻]たりし者によりてサロモンを生み、

【口語訳】
Matt. 1:6 エッサイはダビデ王の父であった。ダビデはウリヤの妻によるソロモンの父であり、

【新改訳改訂3】
Matt. 1:6 エッサイにダビデ王が生まれた。ダビデに、ウリヤの妻によってソロモンが生まれ、

【新共同訳】
Matt. 1:6 エッサイはダビデ王をもうけた。ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、

【バルバロ訳】
Matt. 1:6 エッセはダビド王を生んだ。ダビド王はウリアの妻によってソロモンを生み、

【フランシスコ会訳】
Matt. 1:6 エッサイの子はダビデ王である。ダビデの子はウリヤの妻によるソロモン、

【日本正教会訳】
Matt. 1:6 イエッセイはダワィド王を生み、ダワィド王はウリヤの妻に因(よ)りてソロモンを生み、

【塚本虎二訳】
Matt. 1:6 エッサイの子はダビデ王である。ダビデの(将軍)ウリヤの妻による子はソロモン、

【前田護郎訳】
Matt. 1:6 エッサイはダビデ王の父であった。ダビデはウリヤの妻によるソロモンの父、

【永井直治訳】
Matt. 1:6 またエッサイはダビデ王を生めり。またダビデ王はウリアの女性にてソロモンを生めり。

【詳訳聖書】
Matt. 1:6 エッサイはダビデ王の父、ダビデ王はソロモンの父、元のウリヤの妻がその母、

† 聖書引照 Matt. 1:6

Matt. 1:6 エツサイ、ダビデ王を生めり。ダビデ、ウリヤの妻たりし女によりてソロモンを生み

[エッサイ] ルツ4:22; Ⅰサム16:1,11~23; 17:12,58; 20:30,31; 22:8; Ⅱサム23:1; Ⅰ歴代2:15; 詩篇72:20; イザ11:1; 使徒 13:22,23
[ダビデ王を生めり] Ⅰサム16:11; ルツ4:22
[ウリヤ]  Ⅱサム23:39; Ⅰ歴代11:41
[ウリヤの妻]  Ⅱサム11:3,26,27; 12:24; Ⅰ列王1:11~17,28~31; 15:5; ロマ8:3
[ソロモン]  Ⅱサム12:24,25; Ⅰ歴代3:5; 14:4; 28:5

† ギリシャ語聖書 Matt. 1:6

Stephens 1550 Textus Receptus
ιεσσαι δε εγεννησεν τον δαβιδ τον βασιλεα δαβιδ δε ο βασιλευσ εγεννησεν τον σολομωντα εκ της του ουριου

Scrivener 1894 Textus Receptus
ιεσσαι δε εγεννησεν τον δαβιδ τον βασιλεα δαβιδ δε ο βασιλευσ εγεννησεν τον σολομωντα εκ της του ουριου

Byzantine Majority
ιεσσαι δε εγεννησεν τον δαβιδ τον βασιλεα δαβιδ δε ο βασιλευσ εγεννησεν τον σολομωντα εκ της του ουριου

Alexandrian
ιεσσαι δε εγεννησεν τον δαυιδ τον βασιλεα δαυιδ δε εγεννησεν τον σολομωνα εκ της του ουριου

Hort and Westcott
ιεσσαι δε εγεννησεν τον δαυιδ τον βασιλεα δαυιδ δε εγεννησεν τον σολομωνα εκ της του ουριου

† ギリシャ語聖書 品詞色分け

Matt. 1:6

᾽Ιεσσαὶ δὲ ἐγέννησεν τὸν Δαυὶδ τὸν βασιλέαΔαυὶδ δὲ ἐγέννησεν τὸν Σολομῶνα ἐκ τῆς τοῦ Οὐρίου,

† ヘブライ語聖書 Matt. 1:6

Matt. 1:6

דָּוִד הוֹלִיד אֶת שְׁלֹמֹה מִזּוֹ שֶׁהָיְתָה אֵשֶׁת אוּרִיָּה.

† ラテン語聖書 Matt. 1:6

Latin Vulgate
Matt.1:6

Iesse autem genuit David regem. David autem rex genuit Salomonem ex ea, quæ fuit Uriæ.
And Jesse conceived king David. And king David conceived Solomon, by her who had been the wife of Uriah.

† 私訳(詳訳)Matt. 1:6

【私訳】 「またエッサイはダビデ王をもうけた。またダビデはウリヤの〔妻であった〕女によってソロモンをもうけた」

† 新約聖書ギリシャ語語句研究

Matt. 1:6

᾽Ιεσσαὶ δὲ ἐγέννησεν τὸν Δαυὶδ τὸν βασιλέα. Δαυὶδ δὲ ἐγέννησεν τὸν Σολομῶνα ἐκ τῆς τοῦ Οὐρίου,

【また】 δὲ  δέ  デ de {deh} (cc 接続詞・等位)

1)ところで、しかし、さて、そして 2)しかも、そしてまた、なお、すると、また 3)次に、さらに 4)否、むしろ

【エッサイは】 ᾽Ιεσσαὶ  ᾽Ιεσσαί イエスサイ Iessai {es-es-sah‘ee}  (n-nm-s 名詞・主男単)

エッサイ ヘブル名の意味不明

ユダ族、8人の子を生み、ダビデはその七男。

Ⅰ歴代2:12~15; イザヤ11:10「エッサイの根」 マタ1:5,6;  ルカ3:32;  使徒13:22;  ロマ15:12

【ダビデ】 Δαυδὶ  Δἀυίδ  ダウイド Dabid { dab-eed‘}  (n-am-s 名詞・対男単)

ダビデ  ヘブル名「愛せらる者」

マタ1:1,6,17;  マル11:10;  ルカ1:32;  使徒15:16;  ヘブ4:7;  黙示3:7

【王を】 βασιλέα  βασιλεύς  バシれウス basileus {bas-il-yooce‘} (n-am-s 名詞・対男単)

1)王、君侯、支配者、族長 2)(無定冠詞で)ペルシャ王、ローマ皇帝 3)王族、貴族 4)統治、支配、王威、王国、王権 5)神 6)キリスト信徒

マタ1:6; 2:2; 17:25; 27:11;  マル6:14,22  ルカ1:22,25  使徒7:10; Ⅰテモ2:2; 6:15;  Ⅰペテ2:13;

黙示15:3; 17:14

τν Δαυὸὶδ τν βασιλέαὸ 「ダビデ王」

【もうけ】 ἐγέννησεν  γεννάω  ゲンナオー  gennaō { ghen-nah‘-o } (viaa–3s 動詞・直・1アオ・能・単)

1)(父が子を)もうける、(母が子を)産む、~の父となる 2)生ませる、産出する、発生させる、生ぜしめる 3)生まれつき、生まれながら 4)(事物を)産出する、発生させる、生ずる、生ぜしめる

マタ1:2,16,20; ヨハ1:13; 3:3,5;  Ⅰヨハ4:7; 5:1

【また】 δὲ  δέ  デ de {deh} (cc 接続詞・等位)

1)ところで、しかし、さて、そして 2)しかも、そしてまた、なお、すると、また 3)次に、さらに 4)否、むしろ

【ダビデは】 Δαυδὶ  Δἀυίδ  ダウイド Dabid { dab-eed‘}  (n-nm-s 名詞・主男単)

ダビデ  ヘブル名「愛せらる者」

マタ1:1,6,17;  マル11:10;  ルカ1:32;  使徒15:16;  ヘブ4:7;  黙示3:7

【ウリヤの妻によって】 ἐκ τς τοῆῦ Ορίουὐ

【ウリヤの】 Ορίουὐ  Οὐρίας  ウーリアス Ourias {oo-ree‘-as} (n-gm-s 名詞・属男単)

ウリヤ  ヘブル名 「我が光は神」

ウリヤはダビデの「三十人衆」の一人であったが、ダビデは忠臣ウリヤの妻を奸計を弄して奪い、ウリヤの命を戦場で奪った。(Ⅱサムエル11章)

「ウリヤの妻」は「バト・シェバ」である。ダビデの行為は「主の御心に適わなかった」(Ⅱサムエル11:26)

Ⅱサムエル11章;  Ⅰ列王15:5; マタ1:6

【妻】 τςῆ  ὁ  ホ (dgfs+ 冠詞・属女単)

1)この 2)その

【によって】 ἐκ  ἐκ エク  ek ex {ek, ex} (pg 前置詞・属)

1)から、~の中から 2)~の外に、~から外へ、~から出て 3)によって 4)で  (動作の出発点を示す) 5)のために

【ソロモンを】 Σολομναῶ  Σολομών  ソろモーン Solomōn Solomōn {sol-om-one‘} (n-am-s 名詞・対男単)

ソロモン  ヘブル名「平和」

Ⅱサム5:14;  Ⅰ列王1~11章; マタ1:6,7; 12:42;  ルカ11:31; 12:27  ヨハ10:23;  使徒3:11; 5:12; 7:24

【もうけ】 ἐγέννησεν  γεννάω  ゲンナオー  gennaō { ghen-nah‘-o } (viaa–3s 動詞・直・1アオ・能・単)

1)(父が子を)もうける、(母が子を)産む、~の父となる 2)生ませる、産出する、発生させる、生ぜしめる 3)生まれつき、生まれながら 4)(事物を)産出する、発生させる、生ずる、生ぜしめる

マタ1:2,16,20; ヨハ1:13; 3:3,5;  Ⅰヨハ4:7; 5:1

† 英語訳聖書 Matt. 1:6

King James Version
1:6 And Jesse begat David the king; and David the king begat Solomon of her [that had been the wife] of Urias;

American Standard Version
1:6 and Jesse begat David the king. And David begat Solomon of her that had been the wife of Uriah;

New International Version
1:6 and Jesse the father of King David. David was the father of Solomon, whose mother had been Uriah’s wife,

Bible in Basic English
1:6 And the son of Jesse was David the king; and the son of David was Solomon by her who had been the wife of Uriah;

Darby’s English Translation
1:6 and Jesse begat David the king. And David begat Solomon, of her that had been the wife of Urias;

Douay Rheims
1:6 And Jesse begot David the king. And David the king begot Solomon, of her that had been the wife of Urias.

Noah Webster Bible
1:6 And Jesse begat David the king; and David the king begat Solomon of her that had been the wife of Uriah;

Weymouth New Testament
1:6 Jesse of David–the King. David (by Uriah’s widow) was the father of Solomon;

World English Bible
1:6 Jesse became the father of David the king. David became the father of Solomon by her who had been the wife of Uriah.

Young’s Literal Translation
1:6 and Jesse begat David the king. And David the king begat Solomon, of her who had been Uriah’s,

Amplified Bible
1:6 Jesse was the father of [g]David the king.
David was the father of Solomon by [h]Bathsheba who had been the wife of Uriah.

Footnotes:
[g]David is the only one addressed as “the king.” The text places an emphasis on David, showing that Jesus is a descendant of David and an heir to the throne of David and the Davidic Covenant.
[h]Lit her of Uriah.

† 細き聲 聖書研究ノート

<ダビデ、ウリヤの妻たりし女によりてソロモンを生み>

ダビデによってイスラエルは王国として確立し、最も輝かしい時代を迎える。しかし、ダビデはウリヤの妻バト・シェバとの不純な関係を結び、神の裁きを受けた。ソロモンはその後バト・シェバと結婚したダビデの間に生まれた子である。

<系図 マタイ1:6 エッサイの子>

ボアズ - ルツ (ルツ4:13)

オベデ (ルツ4:21)

エッサイ (ルツ4:22)   Ⅰサムエル16:10でエッサイは「七人の息子」を持ち、ダビデは「八番目の末っ子」とされたが、 Ⅰ歴代誌1:13~16では七番目の息子である。Ⅰサムエルによればエッサイの子に名前のわからないもう一人の息子がいたことになる。

アビナダブ

エリアフ

シャマ(シムア)

ネタヌエル

ラダイ

オツェム

ツェルヤ(女)

ダビデ   - バト・シェバ   (「ダビデの家系」については細き聲Gemealogy

アビガイル(女)|           「イエス・キリストの系図」参照)

ソロモン

<エッサイ>

エッサイはダビデの父。ユダ族に属した。ダビデはサウル王に「エッサイの息子」と呼ばれたが、それは侮辱的な意味を含んでいた。(Ⅰサムエル22:27) しかし、後に「エッサイの息子」は「エッサイの株」「エッサイの根」などとともに尊敬を示す呼称になった。

<ダビデ>

エッサイの子ダビデ、イスラエル王国の二代目の王である。(初代王はサウル)その働きは旧約聖書に多く残されている(サムエル上下、Ⅰ列王、Ⅰ歴代11~29章)。イスラエルの真の英雄であった。

エレミヤによって「ダビデの末裔」からメシアが現れるとの預言がなされた。(エレミヤ23:5~6)

しかし、マタイの「イエスの系図」ではダビデはウリヤの妻バト・シェバとの罪を取り上げ、「ウリヤの妻によってソロモン」が誕生したことを伝えるのみである。

メシアは英雄ダビデからではなく、人間の罪の中に約束されたのである。

<ダビデ王>

多くの写本(Stephens 1550 Textus Receptus・Scrivener 1894 Textus Receptus・Byzantine Majority)は、「ダビデ」にそれぞれ「ダビデ王」の称号をつけ、「エツサイ、ダビデ王を生めり。ダビデ王、ウリヤの妻たりし女によりてソロモンを生み」とする。

<ウリヤの妻によって>

ウリヤの妻は「バト・シェバ」であるが、マタイはその名を呼ぶことをしないばかりか、「ἐκ τς τοῆῦ Ορίουὐ ウリヤのそれ(女、妻)によって」と「妻 γῆ」という言葉を用いることもはばかる。ダビデ王の行為は忌むべきものであり、イスラエルの誇りであるダビデ王もまた罪を負う者であった。

「義人なし、一人だになし、聡き者なく、神を求むる者なし。みな迷いて相共に空しくなれり」 ロマ3:10 大正文語訳聖書

<ソロモン>

ダビデは忠実な部下ウリヤの 妻バト・シェバを奪い、奸計を弄してウリヤを戦死させる。預言者ナタンの叱責を受けてダビデは罪を悔い改める。しかし、バト・シェバとの間に生まれた子は打たれて死ぬ。その後、ダビデとバト・シェバに子どもが与えられ、「ソロモン Σολομών 平和」と名づける。ダビデは生まれた子に「平和」あることを願った。しかし、ソロモンの治世は決して平和的なものではなく、反対分子を力で排除することによって確立したものであった。(Ⅰ列王2章) ソロモンの時代にイスラエルは経済的繁栄をとげ、周辺諸国との間に「平和」がもたらされた。反面、徴兵・徴税・強制労働などにより民は疲弊し、ソロモンの死後王国は南北に分裂する。いかなる「栄華」も永続することはない。

† 心のデボーション

「ダビデ、ウリヤの妻たりし女によりてソロモンを生み」 マタイ1:6 大正文語訳聖書

「エッサイはダビデ王をもうけた。ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ」 新共同訳聖書

「不都合な事実」

ダビデはユダヤ人の最も誇りとする人物の一人である。そしてウリヤの妻「בת־שׁוּעַ バト・シェバ」のことは最も触れたくない出来事である。メシアの系図は不都合な事実を隠さない。

触れてほしいことよりも、触れられたくない出来事によって人の心は深耕される。

(†心のデボーション00747)

† 心のデボーション

「ダビデ、ウリヤの妻たりし女によりてソロモンを生み」 マタイ1:6 大正文語訳聖書

「エッサイはダビデ王をもうけた。ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ」 新共同訳聖書

「若い時の過ち」

ウリヤの妻「בת־שׁוּעַ バト・シェバ」の名は、「娘」と「豊かさ」または「誓い」の組み合わせで「豊かさの女」または「誓いの娘」の意味がある。

その子ソロモンがダビデの後継者になるために、バト・シェバの果たした役割は小さくない。美しさと聡明さを備えた女性であった。

若い時の過ちを長い時間をかけて変容させる人生もある。

(†心のデボーション00657)

† 心のデボーション

「ダビデ、ウリヤの妻たりし女によりてソロモンを生み」 マタイ1:6 大正文語訳聖書

「エッサイはダビデ王をもうけた。ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ」 新共同訳聖書

「ダビデの後継者」

ダビデの後継者はソロモンだった。

ダビデにはゲシュルの王タルマイの王女マアカとの間に生まれた長男アブシャロムがおり、ソロモンはダビデとバテ・シュアの第二子であった。(Ⅱサムエル13~18章)

家督を継ぐのは長子であったが、「イエスキリストの系図」は長子でない者によっても神の祝福が受け継がれている。出生の順番によって祝福が決まるのではない。

信仰は私以前に始まったものが私にいたり、「神と私」の関わりの上に築かれ、そして後の子孫に及ぶ。

(†心のデボーション00659)

† 細き聲 説教

「ダビデとバト・シェバ」

「わたしは主に罪を犯した」 (Ⅱサムエル12:13) 新共同訳聖書

聖書  Ⅱサムエル11~12章

イスラエルはラバでアラム軍と戦っていた。しかし、ダビデはエルサレムにとどまり、昼寝をしていた。夕暮れに午睡から起きたダビデは屋上から一人の女が水を浴びているのを見た。女は大層美しかった。ダビデが密かに調べると、女はヘト人ウリヤの妻バト・シェバと分かった。ヘト人ウリヤは戦場でダビデの為に戦っていることも知った上で、ダビデは密かに人を介してバト・シェバを召し入れ、これと関係した。バト・シェバはダビデの子を妊娠する。

バト・シェバの妊娠が確かであることを知ったダビデは一計を案じ、ヘト人ウリヤを戦場から送り返すよう命令した。何も知らぬウリヤにダビデは指揮官ヨアブの安否をたずね、イスラエル兵士の安否を問い、戦況の状況について報告を受けた。そして「家に帰って、足を洗うがよい」と労いの言葉をかけた。これによってバテ・シェバの妊娠を隠せると考えたのである。

しかし、忠臣ウリヤは王宮の入り口でダビデの家臣と共に眠り、家には帰らなかった。仲間が戦っている時に妻のところに帰ることは、ウリヤにはできないことだったのである。ダビデはウリヤに酒をふるまい、酔わせてみたが、それでもウリヤは家に帰ろうとはしなかった。

万策尽きたダビデはウリヤを「激しい戦いの最前線に出し、彼を残して退却し、戦死させよ」との命令をしたためたヨアブへの書状を持たせて前線に送り返した。ヨアブはダビデの命令に従い、ヘト人ウリヤは戦死した。

ヨアブから一部始終を聞いたダビデは「剣があればだれかが餌食になる」と使者に語る。

ヘト人ウリヤの喪があけると、ダビデはバト・シェバを妻とし、彼女は男の子を産んだ。

ダビデのしたことは神の御心に適わず、主が「ウリヤの妻が産んだダビデの子を打たれ」、七日目にこの子は死んだ。

悲しみと苦しみの中で、ダビデは「わたしは主に罪を犯した」と告白し、我が子の死を悼み、食事もとろうとしなかった。

その後、バト・シェバは再び妊娠し、男の子を産んだ。それがダビデの子ソロモンである。 (Ⅱサムエル12章)

ダビデはバト・シェバを愛した。それはダビデから理性も神への敬虔な想いも奪い去る「激しい愛」であった。ダビデがウリヤにとった行為は卑劣なものであり、稚拙な策略でしかなかった。ダビデの栄光は汚され、地に落ちた。

しかし、ダビデほどの人がどうして、このようなところに落ち込むのだろうか。イスラエルが戦っている時に、一人エルサレムの宮殿にとどまり、昼寝を楽しむダビデの「驕り」だけでは説明のつかないことがダビデに起こったのではないだろうか。

すべてを呑み込み、人のあらゆる理性的な営みを無力にする「激しい愛」というものがある。それは「美」そのものとして人の前に現れることがある。

ダビデはバト・シェバに、バト・シェバはダビデにそれを見たのではないだろうか。

「愛」が「愛」そのものとして現われるとき、それは「罪」をも呑み込み越えようとする。いかなる「罪」も無力にしてしまう。その結末に理性は沈黙する。その強烈な輝きは、すべての「暗黒」から「闇」をとりはらってしまう。それは生き生きとしたいのちとして輝きを増すのである。

だが、この「愛」は、新しいいのちを生み出すことがない。ダビデとバト・シェバに宿ったいのちは長くは生きることができないのである。

しかし、人の心の核にはこの「美」に感応するものがある。我々はダビデとバト・シェバによって、その存在を知らなければならない。

ダビデは預言者ナタンに「わたしは主に罪を犯した」と告白している。(Ⅱサムエル12:13)

ダビデの告白は、同時に「わたしはバト・シェバを愛した」という告白でもあったに違いない。ダビデとバテ・シェバを襲った「激しい愛」は「罪」を超えようとし、ダビデは忠臣を奸計をもって殺害するという「罪」を犯させる。しかし、はたして「愛」は「罪」を超えるのだろうか。「罪」をこえる「愛」はゆるされるのだろうか。

二人の愛によって奪われたいのちは何を叫ぶだろうか。

「愛」は重いテーマである。多くの「愛」は数々の「愚かな罪」を超えて結ばれる。己を「愚か」にしてまでも「愛」をあきらめることはできない。すべての人はダビデとバト・シェバにあったものが自己の奥にあることを認めるだろう。それを避けて「人の愛」を語ることはできない。

しかし、いかに「激しい愛」であっても、「愛」に「罪」を不問にする権利はない。

マタイはイザヤの言葉を引用している。

「あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない。この民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じてしまった。こうして、彼らは目で見ることなく、耳で聞くことなく、心で理解せず、悔い改めない。わたしは彼らをいやさない」 (マタイ13:14~15  新共同訳聖書)

「愛」がダビデとバト・シェバにもたらしたのは、「見るが見ることなく、聞くが聞くことがない」恐ろしい不毛な心だった。こうして彼らは「悔い改める」ことなく、「癒される」こともなかった。

しかし、神はダビデに預言者ナタンを遣わされる。そして、ついにダビデとバテ・シェバは二人の「愛」を「罪」と認めるのである。

「わたしは主に罪を犯した」(Ⅱサムエル12:13)

この告白は人の理性がなすのではなく、霊的な導きによってのみなされるものであった。

ダビデとバト・シェバの罪の告白の後に、バト・シェバは再び妊娠し、男の子を産み、その子をソロモンと名付けた。

サムエル記には「主はその子を愛された」(Ⅱサムエル12:25)そしてその子は「エディドヤ 主に愛された者と呼ばれた」と記されている。

神は「愛」を祝福される。神の祝福と癒しの中で、人は「愛」を完成するのである。この「愛」によって人は「人間」を完成するのである。

(皆川誠)

コメント