マタイによる福音書1章5節

マタイによる福音書
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† 福音書対観 「イエスの系図」 マタイ1:1~17

マタイ1:1~17  ルカ3:23~38  (ヨハネ1:1~18)
マタイ1:1~17

Matt. 1:5サルモンはラハブによるボアズの父、ボアズはルツによるオベデの父、オベデはエッサイの父、

口語訳聖書

† 日本語訳聖書 Matt. 1:5

【漢訳聖書】
Matt. 1:5 撒們由喇合氏、生波士、波士由路得氏、生阿伯、阿伯生耶西、

【明治元訳】
Matt. 1:5 サルモン、ラハブに由(より)てボアズを生(うみ)ボアズ、ルツに由(より)てオベデを生(うみ)オベデ、エツサイを生(うみ)

【大正文語訳】
Matt. 1:5 サルモン、ラハブによりてボアズを生み、ボアズ、ルツによりてオベデを生み、オベデ、エツサイを生み、

【ラゲ訳】
Matt. 1:5 サルモン ラハブによりてボォズを生み、ボォズ ルトによりてォベドを生み、ォベド  エッセを生み、イエッセ ダヴィド王を生み、

【口語訳】
Matt. 1:5 サルモンはラハブによるボアズの父、ボアズはルツによるオベデの父、オベデはエッサイの父、

【新改訳改訂3】
Matt. 1:5 サルモンに、ラハブによってボアズが生まれ、ボアズに、ルツによってオベデが生まれ、オベデにエッサイが生まれ、

【新共同訳】
Matt. 1:5 サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、

【バルバロ訳】
Matt. 1:5 サルマはラハブによってボオズを生み、ボオズはルトによってオベドを生み、オベドはエッセを生み、

【フランシスコ会訳】
Matt. 1:5 サルモンの子はラハブによるボアズ、ボアズの子はルツによるオベデ、オベデの子はエッサイ、

【日本正教会訳】
Matt. 1:5 サルモンはラハフに因(よ)りてワォヲズを生み、ワォヲズはルフに因(よ)りてオワィドを生み、オワィドはイエッセイを生み、

【塚本虎二訳】
Matt. 1:5 サルモンの(遊女)ラハブによる子はボアズ、ボアズの(異教国モアブの女)ルツによる子はオベデ、オベデの子はエッサイ、

【前田護郎訳】
Matt. 1:5 サルモンはラハブによるボアズの父、ボアズはルツによるオベデの父、オベデはエッサイの父

【永井直治訳】
Matt. 1:5 またサルモンはラハブにてボアズを生めり。またボアズはルツにてオペデを生めり。またオベデはエッサイを生めり。

【詳訳聖書】
Matt. 1:5 サルモンはボアズの父、ラハブがその母、ボアズはオベデの父、ルツがその母、オベデはエッサイの父、

† 聖書引照 Matt. 1:5

Matt. 1:5 サルモン、ラハブによりてボアズを生み、ボアズ、ルツによりてオベデを生み、オベデ、エツサイを生み

[サルモン]  ルツ4:20,21; Ⅰ歴代2:11,12,51,54; ルカ3:32
[ラハブ]  ヨシュ2:1~22; 6:22~25; ヘブ11:31; ヤコ2:25
[ラハブによりてボアズを生み]  ルツ4:21
[ボアズ]  ルツ 1:4,16,17,22; 2~4章; Ⅰ歴代2:11
[ボアズ、ルツによりてオベデを生み]  ルツ1:4; 4:21
[ルツによりてオベデを生み]  ルツ1:4,16,17,22; 2~4章

[エッサイ]  Ⅰサム16:14~23; ルツ4:22

† ギリシャ語聖書 Matt. 1:5

Stephens 1550 Textus Receptus
σαλμων δε εγεννησεν τον βοοζ εκ της ραχαβ βοοζ δε εγεννησεν τον ωβηδ εκ της ρουθ ωβηδ δε εγεννησεν τον ιεσσαι

Scrivener 1894 Textus Receptus
σαλμων δε εγεννησεν τον βοοζ εκ της ραχαβ βοοζ δε εγεννησεν τον ωβηδ εκ της ρουθ ωβηδ δε εγεννησεν τον ιεσσαι

Byzantine Majority
σαλμων δε εγεννησεν τον βοοζ εκ της ραχαβ βοοζ δε εγεννησεν τον ωβηδ εκ της ρουθ ωβηδ δε εγεννησεν τον ιεσσαι

Alexandrian
σαλμων δε εγεννησεν τον βοεσ εκ τη᾽ ραχαβ βοεσ δε εγεννησεν τον ιωβηδ εκ τη᾽ ρουθ ιωβηδ δε εγεννησεν τον ιεσσαι

Hort and Westcott
σαλμων δε εγεννησεν τον βοοζ εκ της ραχαβ βοοζ δε εγεννησεν τον ωβηδ εκ της ρουθ ωβηδ δε εγεννησεν τον ιεσσαι

† ギリシャ語聖書 品詞色分け

Matt. 1:5

Σαλμὼν δὲ ἐγέννησεν τὸν Βόες ἐκ τῆς ῾ΡαχάβΒόες δὲ ἐγέννησεν τὸν ᾽Ιωβὴδ ἐκ τῆς ῾Ρούθ᾽Ιωβὴδ δὲ ἐγέννησεν τὸν ᾽Ιεσσαί,

† ヘブライ語聖書 Matt. 1:5

Matt. 1:5

שַׂלְמוֹן הוֹלִיד אֶת בֹּעַז מֵרָחָב, בֹּעַז הוֹלִיד אֶת עוֹבֵד מֵרוּת וְעוֹבֵד הוֹלִיד אֶת יִשַׁי.

† ラテン語聖書 Matt. 1:5

Latin Vulgate
Matt.1:5

Aram autem genuit Aminadab. Aminadab autem genuit Naasson. Naasson autem genuit Salmon.
And Salmon conceived Boaz by Rahab. And Boaz conceived Obed by Ruth. And Obed conceived Jesse.

† 私訳(詳訳)Matt. 1:5

【私訳】 「サルモンはラハブによってボアズをもうけた、またボアズはルツによってオベドをもうけた、またオベドはエッサイをもうけた」

† 新約聖書ギリシャ語語句研究

Matt. 1:5

Σαλμὼν δὲ ἐγέννησεν τὸν Βόες ἐκ τῆς ῾Ραχάβ, Βόες δὲ ἐγέννησεν τὸν ᾽Ιωβὴδ ἐκ τῆς ῾Ρούθ, ᾽Ιωβὴδ δὲ ἐγέννησεν τὸν ᾽Ιεσσαί,

【また】δὲ  δέ  デ de {deh} (cc 接続詞・等位)

1)ところで、しかし、さて、そして 2)しかも、そしてまた、なお、すると、また 3)次に、さらに 4)否、むしろ

【サルモンは】Σαλμνὼ  Σαλμών  サるモーン Salmon { sal-mone‘ }  (n-nm-s 名詞・主男単)

サルモン ヘブル名「被服、被う」

ルツの夫ボアズの父。ダビデ王の曾祖父。

ルツ4:21; マタ1:4

【ラハブ】῾Ραχάβ  ῾Ραχάβ  ラかブ Rhachab {hrakh-ab‘}  (n-gf-s 名詞・属女単)

ラハブ  ヘブル名「激烈、猛悪」

エリコの城壁に住む遊女。ヨシュアの放った二人の斥候をかくまった。

ヨシュア2~6章;  マタ1:5

【によって】ἐκ  ἐκ エク  ek ex {ek, ex} (pg 前置詞・属)

1)から、~の中から 2)~の外に、~から外へ、~から出て 3)によって 4)で  (動作の出発点を示す) 5)のために

【ボアズを】Βόες  Βόες  ボエス Booz {bo-oz‘}  (n-am-s 名詞・対男単)

ボアズ ヘブル名「力」

ヘブルの習慣に従い、寡婦ルツの第二の夫となり、ダビデの祖父になる。

ルツ2~4章;  マタ1:5;  ルカ3:32

【もうけ】ἐγέννησεν  γεννάω  ゲンナオー  gennaō { ghen-nah‘-o } (viaa–3s 動詞・直・1アオ・能・単)

1)(父が子を)もうける、(母が子を)産む、~の父となる 2)生ませる、産出する、発生させる、生ぜしめる 3)生まれつき、生まれながら 4)(事物を)産出する、発生させる、生ずる、生ぜしめる

マタ1:2,16,20;  ヨハ1:13; 3:3,5;  Ⅰヨハ4:7; 5:1

【また】δὲ  δέ  デ de {deh} (cc 接続詞・等位)

1)ところで、しかし、さて、そして 2)しかも、そしてまた、なお、すると、また 3)次に、さらに 4)否、むしろ

【ボアズは】Βόες  Βόες  ボエス Booz {bo-oz‘}  (n-nm-s 名詞・主男単)

ボアズ ヘブル名「力」

ヘブルの習慣に従い、寡婦ルツの第二の夫となり、ダビデの祖父になる。

ルツ2~4章;  マタ1:5;  ルカ3:32

【ルツ】῾Ρούθ  ῾Ρούθ  ルーと Rhouth {hrooth}  (n-gf-s 名詞・属女単)

ルツ  ヘブル名「友情」

モアブの女でエリメレクの子キルヨンの妻となったが、キルヨンの死後、姑のナオミに従いベツレヘムに帰り、ボアズの妻となった。

ルツ記1~4章;  マタ1:5

【によって】ἐκ  ἐκ エク  ek ex {ek, ex} (pg 前置詞・属)

1)から、~の中から 2)~の外に、~から外へ、~から出て 3)によって 4)で  (動作の出発点を示す) 5)のために

【オベドを】 ᾽Ιωβὴδ  ᾽Ιωβήδ  イオーベード  Ōbēd {o-bade‘} (n-am-s 名詞・対男単)

オベデヘ ブル名「奉仕」

エッサイの父、ダビデの祖父。

ルツ4:17, 21~22;  Ⅰ歴代2:12;  マタ1:5

【もうけ】 evge,nnhsen  γεννάω  ゲンナオー  gennaō { ghen-nah‘-o } (viaa–3s 動詞・直・1アオ・能・単)

1)(父が子を)もうける、(母が子を)産む、~の父となる 2)生ませる、産出する、発生させる、生ぜしめる 3)生まれつき、生まれながら 4)(事物を)産出する、発生させる、生ずる、生ぜしめる

マタ1:2,16,20; ヨハ1:13; 3:3,5;  Ⅰヨハ4:7; 5:1

【また】δὲ  δέ  デ de {deh} (cc 接続詞・等位)

1)ところで、しかし、さて、そして 2)しかも、そしてまた、なお、すると、また 3)次に、さらに 4)否、むしろ

【オベドは】᾽Ιωβδὴ  ᾽Ιωβήδ  イオーベード  Ōbēd {o-bade‘}  (n-nm-s 名詞・主男単)

オベデヘ ブル名「奉仕」

エッサイの父、ダビデの祖父。

ルツ4:17,21~22;  Ⅰ歴代2:12;  マタ1:5

【エッサイを】᾽Ιεσσαί  ᾽Ιεσσαί イエスサイ Iessai {es-es-sah‘ee}  (n-am-s 名詞・対男単)

エッサイ ヘブル名の意味不明

エッサイはユダ族で8人の子を生んだ。ダビデはその七男。

Ⅰ歴代2:12~15; イザヤ11:10「エッサイの根」 マタ1:5,6;  ルカ3:32;  使徒13:22;  ロマ15:12

【もうけ】 evge,nnhsen  γεννάω  ゲンナオー  gennaō { ghen-nah‘-o } (viaa–3s 動詞・直・1アオ・能・単)

1)(父が子を)もうける、(母が子を)産む、~の父となる 2)生ませる、産出する、発生させる、生ぜしめる 3)生まれつき、生まれながら 4)(事物を)産出する、発生させる、生ずる、生ぜしめる

マタ1:2,16,20; ヨハ1:13; 3:3,5;  Ⅰヨハ4:7; 5:1

† 英語訳聖書 Matt. 1:5

King James Version
1:5 And Salmon begat Booz of Rachab; and Booz begat Obed of Ruth; and Obed begat Jesse;

American Standard Version
1:5 and Salmon begat Boaz of Rahab; and Boaz begat Obed of Ruth; and Obed begat Jesse;

New International Version
1:5 Salmon the father of Boaz, whose mother was Rahab, Boaz the father of Obed, whose mother was Ruth, Obed the father of Jesse,

Bible in Basic English
1:5 And the son of Salmon by Rahab was Boaz; and the son of Boaz by Ruth was Obed; and the son of Obed was Jesse;

Darby’s English Translation
1:5 and Salmon begat Booz of Rachab; and Booz begat Obed of Ruth; and Obed begat Jesse,

Douay Rheims
1:5 And Salmon begot Booz of Rahab. And Booz begot Obed of Ruth. And Obed begot Jesse.

Noah Webster Bible
1:5 And Salmon begat Booz of Rachab; and Booz begat Obed of Ruth; and Obed begat Jesse;

Weymouth New Testament
1:5 Salmon (by Rahab) of Boaz; Boaz (by Ruth) of Obed; Obed of Jesse;

World English Bible
1:5 Salmon became the father of Boaz by Rahab. Boaz became the father of Obed by Ruth. Obed became the father of Jesse.

Young’s Literal Translation
1:5 and Salmon begat Boaz of Rahab, and Boaz begat Obed of Ruth, and Obed begat Jesse,

Amplified Bible
1:5 Salmon was the father of Boaz by [f]Rahab, Boaz was the father of Obed by Ruth, and Obed the father of Jesse.

Footnotes:
[f]The woman who assisted the Hebrew spies before the conquest of Jericho (Josh 2:1~21).

† 細き聲 聖書研究ノート

<サルモン、ラハブによりてボアズを生み、ボアズ、ルツによりてオベデを生み、オベデ、エツサイを生み>

サルモンの時代にイスラエルはヨシュアに導かれて約束の地カナン入国し、定着していく。

<系図 マタイ1:5 ボアズの子>

サルモン -­ ラハブ (ヨシュア6:25)   エリメレク(死亡)- ナオミ

|                       |

ボアズ - ルツ (ルツ4:13)    マフロン(死亡)- オルパ (ルツ1:2~5)

|                キルヨン(死亡)- ルツ

オベデ (ルツ4:21)

エッサイ (ルツ4:22)

<猛女ラハブ>

「ラハブ」はエリコの城壁に住む「遊女」で、その名「激烈、猛悪」の暗示するような人生を送ったが、イスラエルのカナン入国の手引きをしイスラエルに貢献する。激烈な人の回心は激烈な働きをすることがある。

ラハブはこの時の功績が認められイスラエル人の中で暮らすようになった。(ヨシュア6:25) その後、どういう経緯でかわからないが、我々はマタイ1:5で、ラハブはサルモンの妻となり、ボアズを産んだことを知ることになる。

<赤い紐>

二人の斥候は自分たちをかくまってくれたラハブに、攻撃のとき「窓に赤い紐を結びつける」ように言い残した。ラハブと彼女の一族を手にかけない為のしるしであった。「赤い紐」は「誠意と真実のあかし」であった。(ヨシュア2:14)

しかし、その後の歴史において、「赤い紐」は娼婦のしるしとなり、娼館にの窓には「赤い看板」がつけられるようになった。現在でもある国の娼館の窓には「赤いカーテン」が引かれ、廊下は赤い電球が下げられているという。人間の世界でこの習慣を別のものに変えるのは容易なことではない。

<ボアズ>

ボアズはベツレヘムの裕福な地主となり、誠実な人柄からルツの姑ナオミの信頼を得て、ルツと結婚し、ダビデの祖先となった。ルツ記1~4章

<混血の母ルツ>

「ルツ」はモアブの女であるが、夫の亡き後、よく姑につかえボアズの妻となり、ダビデの祖母となる。イエスの家系には異邦人の血が混ざっている。

申命記23:3 「混血の人は主の会衆に加わることはできない。十代目になっても主の会衆に加わることはできない」

「ルツ」は律法が主の会衆に加わることを禁止した「混血」をもたらした母である。ルツの存在は救い主イエスの血に「異邦人の血」が混ざったことを示す。

<純血主義>

旧約聖書はユダヤ人と異教徒との「混血」を禁じた。申命記7:3「彼らと縁組みをし、あなたの娘をその息子に嫁がせたり、娘をあなたの息子の嫁に迎えたりしてはならない」 それはユダヤ人社会に深刻な「純血主義」を生み出すことになる。

J・K・ローリングの『ハリー・ポッター』では、主役のハリー・ポッターは「混血」であり、「混血」を憎む悪の魔術師ヴォルデモート自身も「混血」である。ハーマイオニーはマグルの父母から生まれた魔女で「穢れた血」として差別的な扱いをうける。悪としての純血主義との戦いが、この小説の底流となっている。『ハリー・ポッター』が世界で読まれたのは、「純血主義」が現代もなお、社会に暗い影を落としているからかもしれない。

神は人間をそれぞれの背景をもつ者として創造された。人は「流れ」の中に立つ者として生きる。しかし、それが「純血主義」に結びつくことはあってはならない。いかなる「純血主義」も、克服すべき人間の課題である。

イエスは「だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である」(マタイ12:50)と語られている。信仰は「血筋、血統、家系、家柄、筋、血脈、血縁、毛並み」の問題に新しい光を与える。

<オベデ>

ダビデの祖父。その名が示すように、神の僕、礼拝者であった。

† 心のデボーション

「ヱツサイの株より一つの芽いで その根より一つの枝はえて實をむすばん」 イザヤ11:1 明治元訳聖書

「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ」 新改訳聖書

「エッサイの根株」

エッサイはタビデの父である。イザヤ11:1に「エッサイの根株 יׅשָׁי ו‏ְנצֶר  Yishay {yee-shah’-ee}  netser {nay’-tser}」と表現されるように、その根から若枝が出て育つと預言された。「エッサイの子」は「エッサイの根」と同様にメシア待望のシンボルとなった。

しかし、サウル王のダビデへの憎悪から「エッサイの子」は当初蔑みの表現であった。(Ⅰサムエル20:27~31)人々の期待から外れた「根株」から希望が生まれる。

(†心のデボーション00632)

† 心のデボーション

「すでにかれをすてたりわが視るところは人に異なり人は外の貌(かたち)を見ヱホバは心をみるなり」 Ⅰサムエル16:7 明治元訳聖書

「容貌や背丈にとらわれるな。わたしはその者を退けた。人間が見るようには見ないのだ。人間は外観を見るが、主は心を見る」 新共同訳聖書

「八番目の子」

「エッサイの子」からイスラエルの王が選ばれるとき、エッサイは七人の子どもらを呼び集め、一人一人に預言者サムエルの前を歩くように命じた。しかし、七人の中から選ばれなかった。神はサムエルに「其容貌(かたち)と身長(みのたけ)を觀るなかれ」と言われる。「人は外の貌を見ヱホバは心を見たもう」からである。

「エッサイの子」には家族から無視されたもう一人の息子がいた。彼は「赤毛」で、兄たちのように見栄えのしない、しかし「目の美しい」子だった。神の選ばれたのはこの「八番目の子」ダビデであった。(Ⅰサムエル16章)「目美しく」は「心が美しい」ことを意味するのであろう。「心の美しい者」は「思いが美しい」人である。

(†心のデボーション00650)

† 心のデボーション

「婦人かのふたりの人を將て之を匿し而して言ふ實にその人々はわが許に來れり然れども我その何處よりか知ざりしが」 ヨシュア2:4 明治元訳聖書

「この女はそのふたりの人をかくまって、こう言った」 新改訳聖書

「善意のうそ」

ラハブはイスラエルの斥候をかくまい、追手にうその情報を流す。ヤコブはラハブについて「その行ないによって義と認められた」と語っている。(ヤコブ2:25)

斥候をかくまう行為が義とされたのは明確だが、それでは、善意のうそも義とされるだろうか。

この問題について神がラハブにどのように答えられるかはわからない。ただ、わかることは、イエス・キリストには遊女ラハブの血が流れていることだ。イエスキリストはご自身によって「ラハブの罪」を癒される。

(†心のデボーション00660)

† 心のデボーション

「サルモンはラハブによってボアズをもうけ」 マタイ1:5 大正文語訳聖書

「妻を得るものは美物(よきもの)を得るなり 且ヱホバより恩寵をあたへらる」 箴言18:22 明治元訳聖書

「夫を背負って」

モンテーニュによると、コンラート3世(Konrad III 1093年~1152年)がバヴァリア公ゲルフェンを攻囲したときに、いかなる降伏の申出も受け付けようとしなかった。ただ、公と一緒に囲まれている貴婦人たちが、はだしのまま、身に持てるだけのものを持って城を出ることを許した。すると彼女らは自分らの肩に夫や子どもや公自身をも担いで出よとした。皇帝はその勇気を深く嘉して、その後はずっと公にいだいていた激しい敵意を和らげ、寛大に扱ったという。(モンテーニュ「エセー」)

妻はいざというとき、夫や子どもを担いで窮地を脱する。男にはそれができない。城門を閉ざして立てこもり、死を待つ。

男は女に背負われて救出されることがある。ラハブはそういう女性の一人だった。

(†心のデボーション00558)

† 細き聲 説教

「猛女と淑女」

「サルモン、ラハブによりてボアズを生み、ボアズ、ルツによりてオベデを生み、オベデ、エツサイを生み」 マタイ1:5 大正文語訳聖書

マタイ1:5の一節の中に「ラハブ」と「ルツ」という性格も生き方も対照的な女性の名が見られる。

「ラハブ」はエリコの遊女だったが、エリコ攻略のためにヨシュアの放った二人の斥候をかくまった。エリコの王の厳しい探索の目を盗んで二人の斥候を城外に逃がした。その際、ラハブは斥候たちに、エリコ侵攻の時には自分たちに「真実を尽くす」ように誓わせることを忘れなかった。

ラハブへの誓は守られ、「ラハブとその家に共にいる者たち」のいのちは守られた。(ヨシュア記2章)

ラビの伝承によるとラハブは世界で最も美しい4人の女性の一人で、8人の預言者の先祖になったという。(キリスト新聞社『新聖書大辞典』)

こうしてラハブはイスラエルの中で生きることになるが、その後の消息は定かではない。

しかし、私たちはマタイ1章の「イエスの系図」においてボアズがナアソンの子サルモンの妻となりボアズを生んだことを知るのである。

ラハブは猛女である。しかし、サルモンと結婚してルツ記に記される敬虔な信仰の人ボアズを生み育てたとすれば、単なる「猛女」ではないことは容易に知れよう。

人は信仰によって変わる。異教徒ラハブは戦乱のさなかに真の神見抜き、命懸けで従った。その信仰はやがて真の愛を見出すことになったのである。

「ルツ」はモアブの女であったが、飢饉でベツレヘムからモアブに逃れてきたエリメレクと妻ナオミの子マロンと結婚した。しかし、エリメレクもマロンもモアブで死亡し、寡婦となったナオミは嫁のルツと共にベツレヘムに帰ってきた。

家計を支えるため、ルツは落穂ひろいに出た。貧しい人は畑の落穂を拾うことが認められていた。落穂を拾いながら、ルツは知らぬ間にボアズの畑に入り、ボアズの知るところとなった。ナオミはルツに親切にしたのが親戚の一人であることを知り、ルツとボアズの結婚を望んだ。

ユダヤの律法は、子どもが生まれるまえに夫が死亡したとき、夫の兄弟、または近い親戚が寡婦となった女と結婚し、子どもを生むことを認めていた。

ルツには結婚の権利をもつ他の「近い親戚」がいたが、ボアズは「町の門」で長老たちに訴え、手順を踏んで、正式にルツとの結婚をとりきめた。

ルツにオベドが生まれ、オベドにエッサイが生まれ、エッサイから「ダビデ」が生まれるのである。

「ルツ」は淑女であった。慎ましく、一本また一本と「落穂」を拾いながら、大切な人と出会っていく。目論見も計らいもない歩みでありながら、一本の糸に導かれている。

「ラハブ」と「ルツ」という生き方があるというよりも、異なるあり方でありながら、神はそれらを用いながら、「救いの歴史」を紡がれる。個々のあり方の違いを超え、それらを尊びながら働く神の御意志がある。

信仰は生きた人間のドラマである。

(皆川誠)

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