マタイによる福音書12章15節

マタイによる福音書
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† 福音書対観 「人々の癒し」 マタイ12:15~21

マタイ12:15~21 マルコ3:7~12 ルカ6:17~19

† 福音書縦観 「人々の癒し」 マタイ12:15~21

マタイ12:15~21 マルコ3:7~12 ルカ6:17~19
マタイ12:15~21

Matt.12:15イエスはこれを知って、そこを去って行かれた。ところが多くの人々がついてきたので,彼らを皆いやし、 (それから、イエスは弟子たちと共に海べに退かれたが、ガリラヤからきたおびただしい群衆がついて行った。またユダヤから、 3:8エルサレムから、イドマヤから、更にヨルダンの向こうから、ツロ、シドンのあたりからも、おびただしい群衆が、そのなさっていることを聞いて、みもとにきた。3:9イエスは群衆が自分に押し迫るのを避けるために、小舟を用意しておけと、弟子たちに命じられた。 3:10それは、多くの人をいやされたので、病苦に悩む者は皆イエスにさわろうとして、押し寄せてきたからである。 マルコ3:7~10)(6:17そして、イエスは彼らと一緒に山を下って平地に立たれたが、大ぜいの弟子たちや、ユダヤ全土、エルサレム、ツロとシドンの海岸地方などからの大群衆が、 6:18教を聞こうとし、また病気をなおしてもらおうとして、そこにきていた。そして汚れた霊に悩まされている者たちも、いやされた。 6:19また群衆はイエスにさわろうと努めた。それは力がイエスの内から出て、みんなの者を次々にいやしたからである。 ルカ6:17~19)口語訳聖書

† 日本語訳聖書 Matt.12:15

【漢訳聖書】
Matt.12:15 耶穌知之、則離彼、羣眾從焉、耶穌悉醫之、

【明治元訳】
Matt.12:15 イエスを知(しり)て此(ここ)を去(さり)しに多(おほく)の人々(ひとびと)これに從(したが)ふ凡(すべ)て疾病(やまひ)ある者(もの)をみな愈(いや)し

【大正文語訳】
Matt.12:15 イエス之を知りて此處を去りたまふ。多くの人したがひ來りたれば、ことごとく之を醫し、

【ラゲ訳】
Matt.12:15 イエズス知りて此處を去り給ひしが、多くの人從ひしかば、悉く彼等を醫し、

【口語訳】
Matt.12:15 イエスはこれを知って、そこを去って行かれた。ところが多くの人々がついてきたので、彼らを皆いやし、

【新改訳改訂3】
Matt.12:15 イエスはそれを知って、そこを立ち去られた。すると多くの人がついて来たので、彼らをみないやし、

【新共同訳】
Matt.12:15 イエスはそれを知って、そこを立ち去られた。大勢の群衆が従った。イエスは皆の病気をいやして、

【バルバロ訳】
Matt.12:15 それを知ったイエズスはその地方を去っていかれた。多くの人がイエズスについてきたので、イエズスはその人たちをみな治し、

【フランシスコ会訳】
Matt.12:15 イエスはこれを知って、そこを立ち去られた。すると、大勢の人々がついて来たので、彼らを皆いやされた。

【日本正教会訳】
Matt.12:15 イイスス之を知りて、彼處を離れたり、衆くの民彼に從へり、彼悉く之を醫し、

【塚本虎二訳】
Matt.12:15 イエスはそれと知って、そこを立ちのかれた。すると大勢の者がついて来たので、一人のこらずその病気をなおして、

【前田護郎訳】
Matt.12:15 イエスはそれを知って立ち去られた。彼に従った人々は多く、彼はそのすべてをいやされた。

【永井直治訳】
Matt.12:15 されどイエス知りて、そこより退き給へり。されば多くの群衆彼に從ひたり。乃ちみなこれを癒し給へり。

【詳訳聖書】
Matt.12:15 けれども、イエスはそのことに気づいておられたので、そこを立ち去られた。すると大ぜいの人々が彼のところに来た<ついて来た>ので、彼は彼らをみないやされた。

† 聖書引照 Matt.12:15

Matt.12:15 イエス之を知りて此處を去りたまふ。多くの人したがひ來りたれば、ことごとく之を醫し、

[イエス之を知りて此處を去りたまふ] マタ10:23; ルカ6:12; ヨハ7:1; 10:40~42; 11:54
[多くの人したがひ來りたれば、ことごとく之を醫し] マタ4:24,25; 19:2; マル3:7~12; 6:56; ルカ6:17~19; ヨハ9:4; ガラ6:9; Ⅰペテ2:21

† ギリシャ語聖書 Matt.12:15

Stephens 1550 Textus Receptus
ο δε ιησους γνους ανεχωρησεν εκειθεν και ηκολουθησαν αυτω οχλοι πολλοι και εθεραπευσεν αυτους παντας

Scrivener 1894 Textus Receptus
ο δε ιησους γνους ανεχωρησεν εκειθεν και ηκολουθησαν αυτω οχλοι πολλοι και εθεραπευσεν αυτους παντας

Byzantine Majority
ο δε ιησους γνους ανεχωρησεν εκειθεν και ηκολουθησαν αυτω οχλοι πολλοι και εθεραπευσεν αυτους παντας

Alexandrian
ο δε ιησους γνους ανεχωρησεν εκειθεν και ηκολουθησαν αυτω [οχλοι] πολλοι και εθεραπευσεν αυτους παντας

Hort and Westcott
ο δε ιησους γνους ανεχωρησεν εκειθεν και ηκολουθησαν αυτω πολλοι και εθεραπευσεν αυτους παντας

† ギリシャ語聖書 品詞色分け

Matt.12:15

῾Ο δὲ ᾽Ιησοῦς γνοὺς ἀνεχώρησεν ἐκεῖθεν. καὶ ἠκολούθησαν αὐτῷ [ὄχλοι] πολλοί, καὶ ἐθεράπευσεν αὐτοὺς πάντας

† ヘブライ語聖書 Matt.12:15

Matt.12:15

יֵשׁוּעַ יָדַע אֶת זֹאת וְהִתְרַחֵק מִשָּׁם, אַךְ רַבִּים הָלְכוּ אַחֲרָיו. הוּא רִפֵּא אֶת כֻּלָּם

† ラテン語聖書 Matt.12:15

Latin Vulgate
Matt.12:15

Iesus autem sciens recessit inde: et secuti sunt eum multi, et curavit eos omnes:
But Jesus, knowing this, withdrew from there. And many followed him, and he cured them all.

† 私訳(詳訳)Matt.12:15

【私訳】 「また、イエスはそれを知って、その場所から立ち去られた。そして大勢の群集が従った。それで、彼〔イエス〕は彼らをみな癒された<仕えられた、奉仕された、治療された、世話をされた>」

† 新約聖書ギリシャ語語句研究

Matt.12:15

῾Ο δὲ ᾽Ιησοῦς γνοὺς ἀνεχώρησεν ἐκεῖθεν. καὶ ἠκολούθησαν αὐτῷ [ὄχλοι] πολλοί, καὶ ἐθεράπευσεν αὐτοὺς πάντας

【また】 δὲ δέ デ de {deh} (ch 接続詞・完)

1)ところで、しかし、さて、そして 2)しかも、そしてまた、なお、すると、また 3)次に、さらに 4)否、むしろ

(G1161 δέ A primary particle (adversative or continuative); butand, etc.: – also, and, but, moreover, now [often unexpressed in English].  Internet Sacred Text Archive)

【イエスは】 ᾽Ιησοῦς  ᾽Ιησοῦς イエースウース Iēsous {ee-ay-sooce‘ } (n-nm-s 名詞・主男単)

イエス 意味は「ヤㇵウェは救いである」

「イエス」はヘブル語「 יְהוֺשׁוּעַ イェホーシュア Yehowshuwa` {yeh-ho-shoo’-ah} ”Jehovah is salvation” 主は救い、ヨシュア」の ギリシャ名

(G2424 ᾽Ιησοῦς Of Hebrew origin [3091; Jesus (that is, Jehoshua), the name of our Lord and two (three) other Israelites: – Jesus.  H3091 יְהוֹשׁוַּע יְהוֹשׁוַּע ‎ yehôshûa‛ yehôshûa‛ yeh-ho-shoo‘-ah,yeh-ho-shoo‘-ah From 3068 and 3467 Jehovah-saved; Jehoshua (that is, Joshua), the Jewish leader: – Jehoshua, Jehoshuah, Joshua. Compare 1954 3442.  Internet Sacred Text Archive)

マタ16:16; マル5:7; ルカ1:32; ヨハ1:29,36; 14:6; 6:33,51; ロマ1:16; 3:29; 11:26; 14:9; Ⅰコリ1:24; 2:8; 15:45; Ⅰテモ6:15; ヘブ2:10; 3:6; 9:11,15; 12:24; 黙示1:5,8; 2:8; 3:14 etc.

【それを知って】 γνοὺς  γινώσκω ギノースコー ginōskō {ghin-oce‘-ko} (vpaanm-s 分詞・2アオ能主男単)

1)知る、認識する、理解する、知り合う、意識する、気づく、分かる、知るに至る、聞き知る、知覚する 2)~しようと考える、判断する 3)気づく、認識する、さとる 3)確かめる、つきとめる、推察する

(G1097 γινώσκω A prolonged form of a primary verb; to “know” (absolutely), in a great variety of applications and with many implications (as shown at left, with others not thus clearly expressed): – allow, be aware (of), feel, (have) known (-ledge), perceive, be resolved, can speak, be sure, understand.  Internet Sacred Text Archive)

マタ1:25; 10:26; 22:18; マル5:43; 7:24; 9:30; ルカ6:44; 18:34; 24:35; ヨハ8:27,55; 10:6,15; 13:35; 16:3; 17:3,25; ロマ1:21; 2:18; 11:34; Ⅰコリ1:21; 2:16; Ⅰヨハ2:3,4,14; 3:1,6; 4:8 etc.

詳訳聖書 「イエスはそのことに気づいておられたので」

【そこから】 ἐκεῖθεν  ἐκεῖθεν エケイてン ekeithen {ek-i‘-then} (ab 副詞)

1)そこから 2)そのところから 3)その場所から 4)その時から 5)そのことから

(G1564  ἐκεῖθεν From 1563 thence: – from that place, (from) thence, there.  Internet Sacred Text Archive)

【立ち去られた】 ἀνεχώρησεν  ἀναχωρέω  アナこーレオー  anachōreō {an-akh-o-reh‘-o} (viaa–3s 動詞・直・1アオ・能・3単)

< ἀνά  戻る + χωρέω 進む

1)戻る、帰る、去る、後ずさりする、退く 2)退却する、引き下がる 3)危険を避けて逃れ去る、人目を避けて去る

(G402  ἀναχωρέω From 303 and 5562 to retire: – depart, give place, go (turn) aside, withdraw self.  Internet Sacred Text Archive)

マタ2:12,14; 4:12; 9:24; 14:13; 15:21 マル2:12,13,14; 12:15; 27:5; ヨハ6:15

【そして】 καὶ  καί カイ kai {kahee} (cc 接続詞・等位)

1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた

(G2532 καί Apparently a primary particle, having a copulative and sometimes also a cumulative force; and, also, even, so, then, too, etc.; often used in connection (or composition) with other particles or small words: – and, also, both, but, even, for, if, indeed, likewise, moreover, or, so, that, then, therefore, when, yea, yet.  Internet Sacred Text Archive)

【大勢の】 πολλοί  πολύς ポりゆス polus polos {pol-oos‘} (a–nm-p 形容詞・主男複)

1)(数が)多い、よリ多く、余る、余分にある、十分過ぎる、ほどである、余裕がある、余計である 2)(大きさ、強さ、程度の)大きい、激しい、大いなる、非常な、重大な、3)おびただしい、幾多の、幾つもの、大量の 4)より永い、より先の 5)価値の高い、より優れた、より大切な

(G4183 πολύς Including the forms from the alternate “pollos”; (singular) much (in any respect) or (plural) many; neuter (singular) as adverb largely; neuter (plural) as adverb or noun oftenmostlylargely: – abundant, + altogether, common, + far (passed, spent), (+ be of a) great (age, deal, -ly, while), long, many, much, oft (-en [-times]), plenteous, sore, straitly. Compare 4118 4119.  Internet Sacred Text Archive)

【群集が】 [ὄχλοι]  ὄχλος オくろス ochlos {okh‘-los} (n-nm-p 名詞・主男複)

1)群衆、集団、群れ、大勢の人々 2)軍勢 3)大衆、民衆、人民、市民、 4)人だかり、雑踏 5)ごたごた、煩わしさ、迷惑、厄介、面倒

(G3793  ὄχλος From a derivative of 2192 (meaning a vehicle); a throng (as borne along); by implication the rabble; by extension a class of people; figuratively a riot: – company, multitude, number (of people), people, press.  Internet Sacred Text Archive)

【彼に】 αὐτῷ  αὐτός アウトス autos {ow-tos‘} (npdm3s 代名詞・与男3)

1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど

(G846 αὐτός From the particle αὖ au (perhaps akin to the base of 109 through the idea of a baffling wind; backward); the reflexive pronoun self, used (alone or in the compound of 1438 of the third person, and (with the proper personal pronoun) of the other persons: – her, it (-self), one, the other, (mine) own, said, ([self-], the) same, ([him-, my-, thy-]) self, [your-] selves, she, that, their (-s), them ([-selves]), there [-at, -by, -in, -into, -of, -on, -with], they, (these) things, this (man), those, together, very, which. Compare 848.  Internet Sacred Text Archive)

【従った】 ἠκολούθησαν  ἀκολουθέω アコるーてオー akoloutheō {ak-ol-oo-theh‘-o} (viaa–3p 動詞・直・1アオ・能・3複)

< α + κέλευθος 道

1)同じ道を歩む、ついて行く、従う、つき従う、一緒に行く、~に同行する、随行する、同行する 2)導かれる、適合する 3)弟子になる、弟子である 4)愛着する、固く結びつく、生死を共にする

(G190  ἀκολουθέω From 1 (as a particle of union) and κέλευθος keleuthos (a road); properly to be in the same way with, that is, to accompany (specifically as a disciple): – follow, reach.  Internet Sacred Text Archive)

マタ4:20,22,23; 8:1,10,19,22,23; 9:9,27; 10:24; 19:2,21,27,28; 20:29,34; 26:58 etc.

【そして】 καὶ  καί カイ kai {kahee} (cc 接続詞・等位)

1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた

(G2532 καί Apparently a primary particle, having a copulative and sometimes also a cumulative force; and, also, even, so, then, too, etc.; often used in connection (or composition) with other particles or small words: – and, also, both, but, even, for, if, indeed, likewise, moreover, or, so, that, then, therefore, when, yea, yet.  Internet Sacred Text Archive)

【イエスは皆の病気を】 原文 「彼(イエス)は彼らを皆」

【彼らを】 αὐτοὺς  αὐτός アウトス autos {ow-tos‘} (npam3p 代名詞・対男3)

1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど

(G846 αὐτός From the particle αὖ au (perhaps akin to the base of 109 through the idea of a baffling wind; personal pronoun) of the other persons: – her, it (-self), one, the other, (mine) own, said, ([self-], the) same, ([him-, my-, thy-]) self, [your-] selves, she, that, their (-s), them ([-selves]), there [-at, -by, -in, -into, -of, -on, -with], they, (these) things, this (man), those, together, very, which. Compare 848.  Internet Sacred Text Archive)

【皆】 πάντας  πᾶς パース pas {pas} (a–am-p 形容詞・対)

1)どれでも、何であれ、何でも、あらゆる、みな  2)~全部の、あらんかぎりの、1つも欠けが無い、ひとり残らず 3)全体の、全部の、すべて 4)混じりものがなく、純粋な

πᾶσαι パーサイ 「πᾶς どれでも、全体の」の複数形

(G3956 πᾶς Including all the forms of declension; apparently a primary word; allanyevery, the whole: – all (manner of, means) alway (-s), any (one), X daily, + ever, every (one, way), as many as, + no (-thing), X throughly, whatsoever, whole, whosoever.  Internet Sacred Text Archive)

【いやしされた】 ἐθεράπευσεν  θεραπεύω てラペウオー therapeuō {ther-ap-yoo‘-o } (viaa–3s 動詞・直・1アオ・能・3単)

< θεράπων 召使い、下僕

1)奉仕する、仕える 2)治療する、いやす、直す、看護する、手当する 3)世話する、面倒をみる、心を掛ける、配慮する 4)育む、養う

Psychotherapy 精神療法 はギリシャ語の 「θεραπεία ψυχῆς」に由来する。「ψυχῆς プシュケー いのち、こころ、精神、自我、自己」に「θεραπεία テラペイア 奉仕、世話、治療、手当」すること

(G2323 θεραπεύω From the same as 2324 to wait upon menially, that is, (figuratively) to adore (God), or (specifically) to relieve (of disease): – cure, heal, worship.  Internet Sacred Text Archive)

マタ4:23,24; 8:7,16; 9:35; 10:1,8; 12:10,15,22; 14:14; 15:30; 17:26; 19:2: 21:14; マル1:34; 3:2,10: 6:5,13 etc.

† 英語訳聖書 Matt.12:15

King James Version
12:15 But when Jesus knew [it], he withdrew himself from thence: and great multitudes followed him, and he healed them all;

New King James Version
12:15 But when Jesus knew it, He withdrew from there. And great multitudes followed Him, and He healed them all.

American Standard Version
12:15 And Jesus perceiving it withdrew from thence: and many followed him; and he healed them all,

New International Version
12:15 Aware of this, Jesus withdrew from that place. Many followed him, and he healed all their sick,

Bible in Basic English
12:15 And Jesus, having knowledge of this, went away from there, and a great number went after him; and he made them all well,

Today’s English Version
12:15 When Jesus heard about the plot against him, he went away from that place; and large crowds followed him. He healed all the sick

Darby’s English Translation
12:15 But Jesus knowing it, withdrew thence, and great crowds followed him; and he healed them all:

Douay Rheims
12:15 But Jesus knowing it, retired from thence: and many followed him, and he healed them all.

Noah Webster Bible
12:15 But when Jesus knew it, he withdrew himself from thence: and great multitudes followed him, and he healed them all.

Weymouth New Testament
12:15 Aware of this, Jesus departed elsewhere; and a great number of people followed Him, all of whom He cured.

World English Bible
12:15 Jesus, perceiving that, withdrew from there. Great multitudes followed him; and he healed them all,

Young’s Literal Translation
12:15 and Jesus having known, withdrew thence, and there followed him great multitudes, and he healed them all,

Amplified Bible
12:15 Being aware of this, Jesus left there. Many followed Him, and He healed all of them [who were sick],

† 細き聲 聖書研究ノート

 <イエス之を知りて此處を去りたまふ。多くの人したがひ來りたれば、ことごとく之を醫し>

イエスはパリサイ人たちの不穏な動きを知って、そこを立ち去られた。しかし、多くの人々がイエスを追いかけてきたので、人々の病を癒された。

 <イエス之を知りて此處を去りたまふ>

イエスはファリサイ派の危険な協議が始まったのを知って、反対派を挑発しないために、そこを「立ち去られ」る。しかし、イエスは病に苦しむ人々を癒すことを止められない。

 <多くの人したがひ來りたれば>

マルコ並行記事には「それから、イエスは弟子たちと共に海べに退かれたが、ガリラヤからきたおびただしい群衆がついて行った。またユダヤから、 3:8エルサレムから、イドマヤから、更にヨルダンの向こうから、ツロ、シドンのあたりからも、おびただしい群衆が、そのなさっていることを聞いて、みもとにきた。3:9イエスは群衆が自分に押し迫るのを避けるために、小舟を用意しておけと、弟子たちに命じられた。 3:10それは、多くの人をいやされたので、病苦に悩む者は皆イエスにさわろうとして、押し寄せてきたからである」(マルコ3:7~10)とこの時の状況が伝えられている。

「ユダヤ、エルサレム、イドマヤ、更にヨルダンの向こうから、ツロ、シドンのあたりからも、おびただしい群衆が」イエスのもとに押し寄せてきた。ユダヤとイスラエル全国からの人々であった。

 <ことごとく之を醫し>

人々は「教を聞こうとし、また病気をなおしてもらおうとして、そこにきていた。そして汚れた霊に悩まされている者たちも、いやされた。 6:19また群衆はイエスにさわろうと努めた。それは力がイエスの内から出て、みんなの者を次々にいやしたからである。 ルカ6:17~19)

† 心のデボーション  

「イエス之を知りて此處を去りたまふ。多くの人したがひ來りたれば、ことごとく之を醫し」 マタイ12:15 大正文語訳聖書

「イエスはこれを知って、そこを立ち去られた。すると、大勢の人々がついて来たので、彼らを皆いやされた」 フランシスコ会訳聖書

 「教えと癒し」

イエスに集まる人々が、「教え」を聞くことと「癒し」を求めることは、一つの行為だった。教えは力であった。

† 心のデボーション  

「イエス之を知りて此處を去りたまふ。多くの人したがひ來りたれば、ことごとく之を醫し」 マタイ12:15 大正文語訳聖書

「イエスはこれを知って、そこを立ち去られた。すると、大勢の人々がついて来たので、彼らを皆いやされた」 フランシスコ会訳聖書

 「病を癒し」

医学は病を癒すか? イエスはかくも病を癒し給うのは、それがいのちを創られた神の業であるからである。

† 心のデボーション  

「イエス之を知りて此處を去りたまふ。多くの人したがひ來りたれば、ことごとく之を醫し」 マタイ12:15 大正文語訳聖書

「イエスはこれを知って、そこを立ち去られた。すると、大勢の人々がついて来たので、彼らを皆いやされた」 フランシスコ会訳聖書

 「神の手」

九州大学病院の医学部創立75周年記念庭園の西北に白い塔があり、その上にスエーデンの彫刻家カール・ミレスの『神の手』がある。大きな手の上に一人の人間が危うい姿勢で立っている。「神の手」は男を乗せるほどに大きいが、男を空中の高いところに引き上げる。男の立つ運命は不安定で、あり得ないところに男を置く。男は両足を踏ん張り、両手を広げて、必死にバランスをとろうとする。しかし、その顔はしっかりと天を仰ぎ、大きくあらん限りの口をあけている。運命が男を運ぶとき、男は天に向かって何を叫ぶのか。

ミレスの男は大きな「神の手」に運命をゆだねながらも、決して「希望」を失わず、天を仰ぐのではないか。

カール・ミレスの『神の手』は世界の至宝といわれる晩年の傑作で、医学部創立75周年にあたり、当時の九大病院長だった第二外科の井口潔教授により、医学部同窓会有志、第二外科教室同門が寄贈したものである。

† 細き聲 説教 

 「善」

「イエス之を知りて此處を去りたまふ。多くの人したがひ來りたれば、ことごとく之を醫し」 マタイ12:15 大正文語訳聖書

「イエスはこれを知って、そこを立ち去られた。すると、大勢の人々がついて来たので、彼らを皆いやされた」 フランシスコ会訳聖書

イエスはファリサイ派の危険な協議が始まったのを知って、反対派を挑発しないために、そこを「立ち去られ」た。

しかし、多くの人々がイエスを追いかけてきたので、人々の病を癒された。

マルコ並行記事には「それから、イエスは弟子たちと共に海べに退かれたが、ガリラヤからきたおびただしい群衆がついて行った。またユダヤから、エルサレムから、イドマヤから、更にヨルダンの向こうから、ツロ、シドンのあたりからも、おびただしい群衆が、そのなさっていることを聞いて、みもとにきた。イエスは群衆が自分に押し迫るのを避けるために、小舟を用意しておけと、弟子たちに命じられた。それは、多くの人をいやされたので、病苦に悩む者は皆イエスにさわろうとして、押し寄せてきたからである」(マルコ3:7~10)とこの時の状況が伝えられている。

「ユダヤ、エルサレム、イドマヤ、更にヨルダンの向こうから、ツロ、シドンのあたりからも、おびただしい群衆が」イエスのもとに押し寄せてきた。ユダヤとイスラエル全国からの人々であった。

人々は「教を聞こうとし、また病気をなおしてもらおうとして、そこにきていた。そして汚れた霊に悩まされている者たちも、いやされた。また群衆はイエスにさわろうと努めた。それは力がイエスの内から出て、みんなの者を次々にいやしたからである。」 (ルカ6:17~19)

イエスはパリサイ人たちの陰謀に正面から対決されたのではない。

静かに彼らから離れて行かれたが、ユダヤ全国から人々がイエスを求めて集まり、その中に癒しを求める人がいれば病を癒されたのである。そのことは、むしろ、パリサイ人たちを怒らせ、彼らの陰謀は確信へと変わっていった。

それに反対するもののない善はない。しかし、反対に支えられる善は贋物である。

(皆川誠)

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