† 福音書縦観 「バプテスマ」 マタイ3:13~17
マタイ3:13~17 マルコ1:9~11 ルカ3:21~22 ヨハネ1:32~34
Matt.3:14ところがヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った、「わたしこそあなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたがわたしのところにおいでになるのですか」。 口語訳聖書
† 日本語訳聖書 Matt. 3:14
【漢訳聖書】
Matt. 3:14 約翰辭之曰、我當受洗禮於爾、而爾就我乎。
【明治元訳】
Matt. 3:14 ヨハネ辭(いなみ)て曰(いひ)けるは我(われ)は爾(なんぢ)よりバプテスマを受(うくる)べき者(もの)なるに爾(なんぢ)反(かへつ)て我(われ)に來(きた)る乎(か)
【大正文語訳】
Matt. 3:14 ヨハネ之を止めんとして言ふ『われは汝にバプテスマを受くべき者なるに、反つて我に來り給ふか』
【ラゲ訳】
Matt. 3:14 ヨハネ辞して云ひけるは、我こそ汝に洗せらるべきに、汝我に來り給ふか。
【口語訳】
Matt. 3:14 ところがヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った、「わたしこそあなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたがわたしのところにおいでになるのですか」。
【新改訳改訂3】
Matt. 3:14 しかし、ヨハネはイエスにそうさせまいとして、言った。「私こそ、あなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたが、私のところにおいでになるのですか。」
【新共同訳】
Matt. 3:14 ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」
【バルバロ訳】
Matt. 3:14 ヨハネはそれを押しとどめて、「私こそあなたから洗礼を受けねばならぬ者ですのに、あなたのほうから私のもとに来られたのですか」と言った。
【フランシスコ会訳】
Matt. 3:14 しかし、ヨハネはそれを思いとどまらせようとして、「わたくしこそあなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたがわたくしのところにおいでになったのですか」と言った。
【日本正教会訳】
Matt. 3:14 イオアン彼を止めて曰く、我爾より洗を受くべきに、爾我に就(つ)くか。
【塚本虎二訳】
Matt. 3:14 しかしヨハネは、「わたしこそあなたから洗礼を受けるべきであるのに、あなたがわたしの所に来られるのか」と言って、しきりに辞退したが、
【前田護郎訳】
Matt. 3:14 彼はしきりにとめていう、「わたしこそあなたから受洗すべきですのに、あなたがわたしのもとに来られるのですか」と。
【永井直治訳】
Matt. 3:14 然るにヨハネ遮(さへ)ぎりて、云ひけるは、われは汝よりバプテズマせらるるの要あり。然るに汝は我が許に來り給ふや。
【詳訳聖書】
Matt. 3:14 しかしヨハネは、イエスにそうさせまいと、頑強に、反対して言った、「私のほうがあなたからバプテスマを受けなければなりません。それなのにあなたが私のところに来られるのですか」。
† 聖書引照 Matt. 3:14
Matt. 3:14 ヨハネ之を止めんとして言ふ『われは汝にバプテスマを受くべき者なるに、反つて我に來り給ふか』
[ヨハネ之を止めんとして言ふ] ルカ1:43; ヨハ13:6~8
[われは汝にバプテスマを受くべき者なるに、反つて我に來り給ふか] ヨハ1:16; 3:3~7; 使徒1:5~8; ロマ3:23,25; ガラ3:22,27~29; 4:6; エペ2:3~5; 黙示7:9~17
† ギリシャ語聖書 Matt. 3:14
Stephens 1550 Textus Receptusο
δε ιωαννης διεκωλυεν αυτον λεγων εγω χρειαν εχω υπο σου βαπτισθηναι και συ ερχη προς με
Scrivener 1894 Textus Receptus
ο δε ιωαννης διεκωλυεν αυτον λεγων εγω χρειαν εχω υπο σου βαπτισθηναι και συ ερχη προς με
Byzantine Majority
ο δε ιωαννης διεκωλυεν αυτον λεγων εγω χρειαν εχω υπο σου βαπτισθηναι και συ ερχη προς με
Alexandrian
ο δε ιωαννης διεκωλυεν αυτον λεγων εγω χρειαν εχω υπο σου βαπτισθηναι και συ ερχη προς με
Hort and Westcott
ο δε διεκωλυεν αυτον λεγων εγω χρειαν εχω υπο σου βαπτισθηναι και συ ερχη προς με
† ギリシャ語聖書 品詞色分け
Matt. 3:14
ὁ δὲ ᾽Ιωάννης διεκώλυεν αὐτὸν λέγων, ᾽Εγὼ χρείαν ἔχω ὑπὸ σοῦ βαπτισθῆναι, καὶ σὺ ἔρχῃ πρός με;
† ラテン語聖書 Matt. 3:14
Latin Vulgate
Matt. 3:14
Ioannes autem prohibebat eum, dicens: Ego a te debeo baptizari, et tu venis ad me?
But John refused him, saying, “I ought to be baptized by you, and yet you come to me?”
† ヘブライ語聖書 Matt. 3:14
Matt. 3:14
אֶלָּא שֶׁיּוֹחָנָן נִסָּה לַהֲנִיאוֹ מִכָּךְ בְּאָמְרוֹ: “אֲנִי צָרִיךְ לְהִטָּבֵל אֶצְלְךָ, וְאַתָּה בָּא אֵלַי
† 私訳(詳訳)Matt. 3:14
【私訳】 「そして、ヨハネはどうしても彼〔イエス〕を思いとどまらせようとして<執拗に妨げて、阻んで、邪魔をして>言った。『このわたしこそが、あなたによってバプテスマ<水に浸される、洗礼>される必要がありますのに、そのあなたがわたしに来られるのですか?』」
† 新約聖書ギリシャ語語句研究
Matt. 3:14
ὁ δὲ ᾽Ιωάννης διεκώλυεν αὐτὸν λέγων, ᾽Εγὼ χρείαν ἔχω ὑπὸ σοῦ βαπτισθῆναι, καὶ σὺ ἔρχῃ πρός με;
【そして】 δὲ δέ デ de {deh} (cc 接続詞・等位)
1)ところで、しかし、さて、そして 2)しかも、そしてまた、なお、すると、また 3)次に、さらに 4)否、むしろ
【ヨハネは】 ᾽Ιωάννης ᾽Ιωάννης イオーアンネース Iōannēs {ee-o-an‘-nace} (n-nm-s 名詞・主男単)
ヨハネ ヘブライ名「ヤーゥエの賜物」
(バプテスマのヨハネ マタ3:1,2,6,11; マル1:4; 2:18; ルカ3:2,3; ヨハ3:23; 使徒10:37; 13:24,25; 19:3,4)
【彼を】 αὐτὸν αὐτός アウトス autos {ow-tos‘} (npam3s 代名詞・対男3)
1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど
【思いとどまらせようとして】 διεκώλυεν διακωλύω デイアーりゆオー diakōluō {dee-ak-o-loo‘-o} (viia–3s 動詞・直・未完・能・3単)
< διά + κωλύω 妨げる邪魔する <κόλος 短く切り詰める
1)妨げる、執拗に妨げる 2)はばむ、どうしても思いとどめさせようとする 3)邪魔する、阻止する、妨害する、妨げる
マタ3:14
【言った】 λέγων λέγω れゴー legō {leg‘-o} (vppanm-s 分詞・現能主男)
1)言う、告げる、語る、話す、言い表す、述べる 2)呼ぶ、命ずる、指図する、言いつける 3)名づける、称する、呼びかける 4)意味する、指す
マタ1:20; 2:23; 5:44; 9:14,34; マル2:11; 5:9; 12:18; ルカ5:39; 6:46; 20:41; ヨハ1:29; 2:6; 16:12; etc.
【わたしこそは】 ᾽Εγὼ ἐγώ エゴー egō {eg-o‘} (npn-1s 代名詞・主1単)
1)私 2)わたし
【あなた】 σοῦ σύ スゆ sou {soo} (npg-2s 代名詞・属2単)
1)あなた 2)汝 3)君
【から】 ὑπὸ ὑπό ヒゆポ hupo {hoop-o‘} (pg 前置詞・属)
1) 下に、~の下から 2)~の下に、下の 3)によって 4)~の故に 5)と共に
【バプテスマを受ける】 βαπτισθῆναι βαπτίζω バプティゾー baptizō {bap-tid‘-zo} (vnap 不定詞・1アオ受)
< βάπτω つける、浸す
1)水中に潜らす、浸す、沈める、つける、濡らす、洗う、注ぎかける 2)洗礼を施す
βάπτω は人が川を渡ってみずに浸かる、船が沈没する等の意味に用いられた言葉
マタ3:6,7,11,14; 21:25; 28:19; マル1:4,8; 11:30; 16:10; ルカ3:3,12,16,21; 7:29; 20:4; ヨハ1:25,26,33 etc.
【必要】 χρείαν χρεία くレイア chreia {khri‘-ah} (n-af-s 名詞・対女単)
< χρῶμαι 使う、用いる < χπή 必要
1)必要、必然、入り用、要する、不足、欠乏、困窮、欠けていること 2)務め、任務、仕事、役割 3)使用、用途、処遇
マタ3:14; ルカ10:42; ヨハ6:30; 使徒16:30: 使徒6:3; ピリ4:28,29; ヘブ5:12 etc.
【であるのに】 ἔχω ἔχω エこー echō {ekh‘-o} (vipa–1s 動詞・直・現・能・1単)
1)持っている、保持している、保存する、保管する、所有する、保つ 2)身につける、帯びる、具備している、着る 3)含んでいる、抱く、とどめる、しっかり捕らえている 4)~とみなす、思う
【しかも】 καὶ καί カイ kai {kahee} (cc 接続詞・等位)
1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた
【あなたが】 σὺ σύ スゆ sou {soo} (npn-2s 代名詞・主2単)
1)あなた 2)汝 3)君
【わたしの】 με ἐγώ エゴー egō {eg-o‘} (npa-1s 代名詞・対1単)
1)私 2)わたし
【ところに】 πρός πρός プロス pros {pros} (pa 前置詞・対)
1)~のところへ、~の方へ、~に向かって 2)~の近くに、~の側に、~に接して 3)~のために 4)~に対して 5)~について 6)~の面前で
【来られるのですか?】 ἔρχῃ È ἔρχομαι エルこマイ erchomai {er‘-khom-ahee} (vipn–2s 動詞・直説法・現・能欠・2単)
1)来る、やってくる、~しにやってくる 2)近づく、臨む、達する 3)着く、到着する 4)現れる 5)上がる、下る
† 英語訳聖書 Matt. 3:14
King James Version
3:14 But John forbad him, saying, I have need to be baptized of thee, and comest thou to me?
American Standard Version
3:14 But John would have hindered him, saying, I have need to be baptized of thee, and comest thou to me?
New International Version
3:14 But John tried to deter him, saying, “I need to be baptized by you, and do you come to me?”
Bible in Basic English
3:14 But John would have kept him back, saying, It is I who have need of baptism from you, and do you come to me?
Darby’s English Translation
3:14 but John urgently forbad him, saying, I have need to be baptised of thee; and comest thou to me?
Douay Rheims
3:14 But John stayed him, saying: I ought to be baptized by thee, and comest thou to me?
Noah Webster Bible
3:14 But John forbad him, saying, I have need to be baptized by thee, and comest thou to me?
Weymouth New Testament
3:14 John protested. ‘It is I,’ he said, ‘who have need to be baptized by you, and do you come to me?’
World English Bible
3:14 But John would have hindered him, saying, ‘I need to be baptized by you, and you come to me?’
Young’s Literal Translation
3:14 but John was forbidding him, saying, ‘I have need by thee to be baptized — and thou dost come unto me!’
Amplified Bible
3:14 But John tried to prevent Him [vigorously protesting], saying, “It is I who need to be baptized by You, and do You come to me?”
† 細き聲 聖書研究ノート
<ヨハネ之を止めんとして言ふ『われは汝にバプテスマを受くべき者なるに、反つて我に來り給ふか』>
バプテスマのヨハネはイエスがバプテスマを受ける群衆の列に加わるのを見て、イエスを「世の罪を取り除く噛みの子羊」(ヨハネ1:29)と認め、それを思いとどまらせようとして、自分こそがイエスからバプテスマを受ける者なのに、どうしてそのような自分からバプテスマをうけようとされるのかと問う。
<思いとどまらせる>
「思いとどまらせる διακωλύω デイアーりゆオー」は「妨げる、執拗に阻む」こと。新約聖書ではMatt. 3:14にのみ用いられる。
詳訳聖書は「そうさせまいと、頑強に、反対して」と訳す。ヨハネの強い意志をあらわす。
<わたしこそあなたから>
「あなたから」は ὑπὸ σοῦ、ὑπὸ は「~の下から によって」をあらわす。
ヨハネにとってイエスは「我より後にきたる者は、我よりも能力あり」と語った、その人であった。そのイエスをバプテスマを受けようとする人々の列の中に見出したのだから、ヨハネがイエスを拒むのは自然なことであった。
より能力ある者が来たとき、能力なき者がその下につくのは当然である。しかし、神の営みにおいて、その原則は破られる。能力のある指導者のバプテスマは下位のものと何の優れたところもない。
バプテスマは神の業であって、施す者によるのではない。力ある指導者であったバプテスマのヨハネ自身が、まず、そのことを学ばなければならなかった。
「誰からのバプテスマ」「誰の祝福」「誰の祈り」などの思いは捨てなければならない。誰であろうと、神からのものである。
† 心のデボーション
「ヨハネ之を止めんとして言ふ」 マタイ3:14 大正文語訳聖書
「ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った」 新共同訳聖書
「拒んではならない」
「思いとどまらせる διακωλύω デイアーりゆオー」は「妨げる、執拗に阻む」こと。
詳訳聖書は「そうさせまいと、頑強に、反対して」と訳す。ヨハネの強い意志をあらわすことばである。
私が「そうはさせまい」と執拗に思うイエスの行為がある。しかし、誰も神のなさることを、「思いとどめさせる διακωλύω デイアーりゆオー」ことはできない。
神からくるものを拒んではならない。
† 心のデボーション
「われは汝にバプテスマを受くべき者なるに、反つて我に來り給ふか」 マタイ3:14 大正文語訳聖書
「我こそ汝に洗せらるべきに、汝我に來り給ふか」 ラゲ訳聖書
「神の謙譲」
神は人の前に跪かれ、人の業を受けられる。それなのに、人は何と粗末に「私」を扱うことだろうか。
神の謙譲によって、私は神と人と自分に跪くことを学ぶ。
† 心のデボーション
「われは汝にバプテスマを受くべき者なるに、反つて我に來り給ふか」 マタイ3:14 大正文語訳聖書
「我こそ汝に洗せらるべきに、汝我に來り給ふか」 ラゲ訳聖書
「神の到達」
私が神に行くのは、神が私に来られたことによる。私が神に行くのではなく、神が私に来られたのである。神がいつ私に来られるのかを思う必要はない。私が「私」に思いを寄せるとき、神はすでに私に来られるのである。しかし、人は常に神の到達に戸惑う。思わぬ所に来たり給うからである。
「ヤコブ目をさまして言けるは誠にヱホバ此處にいますに我しらざりきと」 創世記28:16 明治元訳聖書
† 心のデボーション
「ヨハネ之を止めんとして言ふ」 マタイ3:14 大正文語訳聖書
「ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った」 新共同訳聖書
「思いを魂の中にいれる」
「思いをとどまらせる διακωλύω デイアーりゆオー」は「ko,loj 短く切り詰める」から来た言葉。思いを切り詰めること。これに対して「思いを巡らす ἐνθυμέομαι エンとゆメオマイ」(マタイ1:20)は、「ἐν 中に +θυμός 魂、呼吸、生命、生気、気力、心」で思いを魂の中にいれること。
深みが見えないからといって、「神の思い」を「κόλος 短く切り詰める」てはならない。「思いを巡らす」ことである。
† 心のデボーション
「われは汝にバプテスマを受くべき者なるに、反つて我に來り給ふか」 マタイ3:14 大正文語訳聖書
「我こそ汝に洗せらるべきに、汝我に來り給ふか」 ラゲ訳聖書
「汝我に來り給ふか」
復活のイエスは弟子たちに「なんぢら我が飢ゑしときに食はせ、渇きしときに飮ませ、旅人なりし時に宿らせ、 裸なりしときに衣せ、病みしときに訪ひ、獄に在りしときに來りたればなり」と言われた。弟子たちは驚き、思わず「主よ、何時なんぢの飢ゑしを見て食はせ、渇きしを見て飮ませし。 何時なんぢの旅人なりしを見て宿らせ、裸なりしを見て衣せし。何時なんぢの病みまた獄に在りしを見て、汝にいたりし」とイエスに尋ねた。訝る弟子にイエスは「まことに汝らに告ぐ、わが兄弟なる此等のいと小き者の一人になしたるは、即ち我に爲したるなり」と答えられた。(マタイ25:35~40)
イエスが私に来られるのは、思わぬところ、につかわしくない姿においてである。そのとき、私は「イエス我に來り給ふか」と驚くしかない。
† 細き聲 説教
「あなたでしたか」
「ヨハネ之を止めんとして言ふ『われは汝にバプテスマを受くべき者なるに、反つて我に來り給ふか』」 マタイ3:13~14
ヨルダン川でバプテスマを施すヨハネの元にユダヤ中から大勢の人々が集まった。(マタイ3:4~6)
イエスは一人でガリラヤからヨハネのところに来られ、バプテスマを受けようと集まった人々の列にならばれた。
マタイ3:14では、それに気づいたヨハネが、「之を止めんとして」、『われは汝にバプテスマを受くべき者なるに、反つて我に來り給ふか』と言っている。
よくぞ、ヨハネは大勢の人々の列の中に「イエス」を見分けたものである。
バプテスマのヨハネは祭司ザカリヤと妻エリサベツの子であり、エリサベツはマリアの「親戚」と言われている(ルカ1:36)。ヨハネはイエスの「同年齢の従兄弟」であったところから、イエスを幼少時から知っていたことは間違いなく、このことからヨハネがイエスを人々の中に見出すのは容易なことだと考えることはできる。
しかし、マタイ25:35~40を読むと、その光景はいくらか違ったものに思えるのである。
これはイエスが十字架におかかりになる直前に弟子たちにされたお話である。
人の子が再び御使いたちとともに来られるとき、国々の民が集められ、御国の世継ぎを選ばれる。そのとき王(人の子)は、
「わが父に祝せられたる者よ、來りて世の創より汝等のために備へられたる國を嗣げ。
なんぢら我が飢ゑしときに食はせ、渇きしときに飮ませ、旅人なりし時に宿らせ、 裸なりしときに衣せ、病みしときに訪ひ、獄に在りしときに來りたればなり」 と言う。
そこで、選ばれた人々はその理由が腑に落ちず、
「主よ、何時なんぢの飢ゑしを見て食はせ、渇きしを見て飮ませし。
何時なんぢの旅人なりしを見て宿らせ、裸なりしを見て衣せし。
何時なんぢの病みまた獄に在りしを見て、汝にいたりし」 と尋ねると、王は、「まことに汝らに告ぐ、わが兄弟なる此等のいと小き者の一人になしたるは、即ち我に爲したるなり」とこたえられた。
イエスは、思わぬとき、につかわしくない姿で私たちのところに来られるのである。
ヨルダン川でバプテスマの順を待つ人々の誰ひとりとして、イエスを見分けることはできなかった。あたかも「悔い改めてバプテスマを受ける人々」と全く同じ顔をし、表情をうかべて、イエスは列に並ばれた。
ただヨハネ一人が、それがイエスと知り、心底驚くのである。
この驚きを知る者こそが「神の御国」を継ぐにふさわしい。
(皆川誠)
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