† 福音書縦観 「ヨハネの証言」 マタイ3:11~12
マタイ3:11~12 マルコ1:7~8 ルカ3:15~17 ヨハネ1:19~27
マタイ3:11~12
Matt.3:11(1:19さて、ユダヤ人たちが、エルサレムから祭司たちやレビ人たちをヨハネのもとにつかわして、「あなたはどなたですか」と問わせたが、その時ヨハネが立てたあかしは、こうであった。 1:20すなわち、彼は告白して否まず、「わたしはキリストではない」と告白した。 1:21そこで、彼らは問うた、「それでは、どなたなのですか、あなたはエリヤですか」。彼は「いや、そうではない」と言った。「では、あの預言者ですか」。彼は「いいえ」と答えた。 1:22そこで、彼らは言った、「あなたはどなたですか。わたしたちをつかわした人々に、答を持って行けるようにしていただきたい。あなた自身をだれだと考えるのですか」。 1:23彼は言った、「わたしは、預言者イザヤが言ったように、『主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声』である」。 1:24つかわされた人たちは、パリサイ人であった。 1:25彼らはヨハネに問うて言った、「では、あなたがキリストでもエリヤでもまたあの預言者でもないのなら、なぜバプテスマを授けるのですか」。 1:26ヨハネは彼らに答えて言った、「わたしは水でバプテスマを授けるが、あなたがたの知らないかたが、あなたがたの中に立っておられる。 1:27それがわたしのあとにあとにおいでになる方であって、わたしはその人のくつのひもを解く値うちもない」。ヨハネ1:19~27)(民衆は救主を待ち望んでいたので、みな心の中でヨハネのことを、もしかしたらこの人がそれではなかろうかと考えていた。 3:16そこでヨハネはみんなの者にむかって言った、ルカ3:16~17)わたしは悔改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。(1:7彼は宣べ伝えて言った、「わたしよりも力のあるかたが、あとからおいでになる。マルコ1:7) (わたしは水でバプテスマを授けたが マルコ1:7)このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。口語訳聖書
† 日本語訳聖書 Matt.3:11
【漢訳聖書】
Matt.3:11 夫我以水施洗禮於爾、致合於悔改、但後我而來者、更勝於我、其履我亦不堪提、彼將以聖靈輿火、而施洗禮於爾、
【明治元訳】
Matt.3:11 我(われ)は爾曹(なんぢら)を悔(くい)改(あらため)させんとて水(みづ)を以(も)て爾曹(なんぢら)にバプテスマを授(さづ)く我(われ)より後(のち)に來(くる)者(もの)は我(われ)に勝(まさり)て能力(ちから)あり我(われ)は其(その)履(くつ)を提(とる)にも足(たら)ず彼(かれ)は聖靈(せいれい)と火(ひ)をもて爾曹(なんぢら)にバプテスマを授(さづけ)ん
【大正文語訳】
Matt.3:11 我は汝らの悔改のために、水にてバプテスマを施す。されど我より後にきたる者は、我よりも能力あり、我はその鞋をとるにも足らず、彼は聖靈と火とにて汝らにバプテスマを施さん。
【ラゲ訳】
Matt.3:11 我は改心の為に水にて汝等を洗すれども、我後に來り給ふ者は我よりも力あり、我は其履を執るにも足らず、彼は聖霊と火とにて汝等を洗し給ふべし。
【口語訳】
Matt.3:11 わたしは悔改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。
【新改訳改訂3】
Matt.3:11 私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。
【新共同訳】
Matt.3:11 わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。
【バルバロ訳】
Matt.3:11 私はあなたたちの悔い改めのために水で洗礼を授けるが、私のあとに来られる方は、私よりも勢力のある方である。私はその方の履物を持つ値打さえもない。その方は聖霊と火によってあなたたちに洗礼を授けられる。
【フランシスコ会訳】
Matt.3:11 わたしは水によって悔い改めの洗礼を授ける。しかし、わたしの後からおいでになるかたは、わたしよりも力があるかたであり、わたしはそのかたのはきものを抜かせてあげる値うちもない。その方は聖霊と火とによって、あなたがたに洗礼をお授けになる。
【日本正教会訳】
Matt.3:11 我水を以て爾等に洗(せん)を授けて悔改せしむ、然れども我の後に來る者は更に我より强し、我其屨(くつ)を堤(ひつさ)ぐるに堪(た)へず、彼は聖神(せいしん)及び火を以て爾等に洗(せん)を授けん、
【塚本虎二訳】
Matt.3:11 わたしは悔改めのために水で洗礼を授けているが、わたしのあとから来られる方はわたしよりも力がある。わたしはその靴をぬがしてあげる値打もない者である。その方は聖霊と(裁きの)火とで洗礼をお授けになる。
【前田護郎訳】
Matt.3:11 わたしはあなた方を悔い改めのために水で洗礼する。しかしわが後に来るものはわたしより偉く、わたしはその靴をお脱がせする資格もない。彼はあなた方を聖霊と火で洗礼なさろう。
【永井直治訳】
Matt.3:11 我は如何にも悔い改に至るべく、水にて汝等をバプテズマす、されど我に後れて來り給ふ彼は、我より能(ちから)ある者におはします。我はその人の鞋(くつ)を提(さ)ぐるにも足らざる者なり。彼は聖靈と火とにて汝等をバプテズマし給ふべし。
【詳訳聖書】
Matt.3:11 私は確かに悔い改めによる<すなわち、心底から過去の罪を憎んで行いを改め、あなたがたの心が善いほうに変わるということで>水の<水の中で、水をもって>バプテスマをあなたがた授けているが、私のあとに来られるかたは、私よりも偉大なかたであって、私はそのかたのくつ[サンダル]をお脱がせする<持ち運ぶ>資格もない<それにふさわしくない>。そのかたは聖霊と火をもってバプテスマを授けられるのである。
† 聖書引照 Matt.3:11
Matt.3:11 我は汝らの悔改のために、水にてバプテスマを施す。されど我より後にきたる者は、我よりも能力あり、我はその鞋をとるにも足らず、彼は聖靈と火とにて汝らにバプテスマを施さん。
[我は汝らの悔改のために、水にてバプテスマを施す] マタ3:6; マル1:4,8; ルカ3:3,16; ヨハ1:26,33; 使徒1:5; 11:16; 13:24; 19:4
[されど我より後にきたる者は、我よりも能力あり] ルカ1:17; ヨハ1:15,26,27,30,34; 3:23~36
[我はその鞋をとるにも足らず] マル1:7; ルカ7:6,7; 使徒13:25; エペ3:8; Ⅰペテ5:5
[彼は聖靈と火とにて汝らにバプテスマを施さん] イザ4:4; 44:3; 59:20,21; ゼカ13:9; マラ3:2~4; マル1:8; ルカ3:16; ヨハ1:33; 使徒1:5; 2:2~4; 11:15,16; Ⅰコリ12:13; ガラ3:27,28
† ギリシャ語聖書 Matt.3:11
Stephens 1550 Textus Receptus
εγω μεν βαπτιζω υμας εν υδατι εις μετανοιαν ο δε οπισω μου ερχομενος ισχυροτερος μου εστιν ου ουκ ειμι ικανος τα υποδηματα βαστασαι αυτος υμας βαπτισει εν πνευματι αγιω και πυρι
Scrivener 1894 Textus Receptus
εγω μεν βαπτιζω υμας εν υδατι εις μετανοιαν ο δε οπισω μου ερχομενος ισχυροτερος μου εστιν ου ουκ ειμι ικανος τα υποδηματα βαστασαι αυτος υμας βαπτισει εν πνευματι αγιω και πυρι
Byzantine Majority
εγω μεν βαπτιζω υμας εν υδατι εις μετανοιαν ο δε οπισω μου ερχομενος ισχυροτερος μου εστιν ου ουκ ειμι ικανος τα υποδηματα βαστασαι αυτος υμας βαπτισει εν πνευματι αγιω
Alexandrian
εγω μεν βαπτιζω υμας εν υδατι εις μετανοιαν ο δε οπισω μου ερχομενος ισχυροτερος μου εστιν ου ουκ ειμι ικανος τα υποδηματα βαστασαι αυτος υμας βαπτισει εν πνευματι αγιω και πυρι
Hort and Westcott
εγω μεν βαπτιζω υμας εν υδατι εις μετανοιαν ο δε οπισω μου ερχομενος ισχυροτερος μου εστιν ου ουκ ειμι ικανος τα υποδηματα βαστασαι αυτος υμας βαπτισει εν πνευματι αγιω και πυρι
† ギリシャ語聖書 品詞色分け
Matt.3:11
ἐγὼ μὲν ὑμᾶς βαπτίζω ἐν ὕδατι εἰς μετάνοιαν,ὁ δὲ ὀπίσω μου ἐρχόμενος ἰσχυρότερός μού ἐστιν, οὗ οὐκ εἰμὶ ἱκανὸς τὰ ὑποδήματα βαστάσαι αὐτὸς ὑμᾶς βαπτίσει ἐν πνεύματι ἁγίῳ καὶ πυρί
† ラテン語聖書 Matt.3:11
Latin Vulgate
Matt.3:11
Ego quidem baptizo vos in aqua in pœnitentiam: qui autem post me venturus est, fortior me est, cuius non sum dignus calceamenta portare: ipse vos baptizabit in Spiritu Sancto, et igni.
Indeed, I baptize you with water for repentance, but he who will come after me is more powerful than me. I am not worthy to carry his shoes. He will baptize you with the fire of the Holy Spirit.
~ The word ‘me’ is used instead of the grammatically correct ‘than I’ because it sounds more natural in English and because it makes a better parallel with the phrase ‘after me’. Even though the verse literally says ‘and fire,’ the word ‘et’ is sometimes used in Latin in a way that it is not used in English, to combine two qualities of the same thing. So the Baptism of Christ is not Holy Spirit and also fire, but rather the figurative fire of the Holy Spirit.
† ヘブライ語聖書 Matt.3:11
Matt.3:11
אֲנִי אָמְנָם מַטְבִּיל אֶתְכֶם בְּמַיִם לִתְשׁוּבָה, אַךְ הַבָּא אַחֲרַי חָזָק מִמֶּנִּי וְאֵינֶנִּי רָאוּי לָשֵׂאת אֶת נְעָלָיו. הוּא יַטְבִּיל אֶתְכֶם בְּרוּחַ הַקֹּדֶשׁ וּבְאֵשׁ
† 私訳(詳訳)Matt.3:11
【私訳】 「わたし〔ヨハネ〕は、確かに<まさに、私も又>、悔い改め<心を変える 理解力・理性・知性・思考の根源を変える>のために<に対して>水でバプテスマ<洗礼>を授ける。しかし、わたしの後から来る<近づく、現われる、到着する>方は、わたしより力が強くあり<より有力な、より烈しい、より力強い>、わたしはその履物<サンダル>を脱がせるに足りない<充分でない、値打もない>。その方はあなたがたを聖霊と火の中に沈められ<バプテスマされ>る」
† 新約聖書ギリシャ語語句研究
Matt.3:11
ἐγὼ μὲν ὑμᾶς βαπτίζω ἐν ὕδατι εἰς μετάνοιαν,ὁ δὲ ὀπίσω μου ἐρχόμενος ἰσχυρότερός μού ἐστιν, οὗ οὐκ εἰμὶ ἱκανὸς τὰ ὑποδήματα βαστάσαι αὐτὸς ὑμᾶς βαπτίσει ἐν πνεύματι ἁγίῳ καὶ πυρί
【わたしは】 ἐγὼ ἐγώ エゴー egō {eg-o‘} (npn-1s 代名詞・主1単)
1)私 2)わたし
【確かに】 μὲν μέν メン men {men} (cs 接続詞・従位)
1)本当に 2)確かに 3)まさに 4)こそ 5)(~である)が 6)~にもかかわらず 7)~もまた、~も 8)一方では、他方では
【あなた方に】 ὑμᾶς σύ スゆ sou {soo} (npa-2p 代名詞・対2複)
1)あなた 2)汝 3)君
【悔改め】 ετάνοιαν μετάνοια メタノイア metanoia {met-an‘-oy-ah} (n-af-s 名詞・対女単)
< μερανοῶ メタノオー μετά 共に + νοῦς こころ、理解力、理性、知性
1)心を変える 理解力・理性・知性・思考の根源を変える 2)悔改め 3)改心 4)後悔
マタ3:8,11; マル1:4; 2:17; ルカ3:3,8; 5:32; 15:7; 24:47; 使徒5:31; 11:18; 13:24; 19:4; 20:21; 26:20; ロマ2:4; Ⅱコリ7:9,10; Ⅱテモ2:25; ヘブ6:1,6; 12:17; Ⅱペテ3:9
【のために】 εἰς εἰς エイス eis {ice} (pa 前置詞・対)
1)~の中へ 2)~へ 3)~まで 4)~のために 5)~に対して 6)~に向かって 7)~を目標にして 8)の間に
【水でバプテスマを授けている】 βαπτίζω ἐν ὕδατι εἰς μετάνοιαν
【水】 ὕδατι ὕδωρ フゆドール hudōr {hoo‘-dor } (n-dn-s 名詞・与中単)
1)水 2)川 3)池、泉、水たまり 4)湖
マタ3:11,16; 8:32; 14:28,29; 17:15; 27:24; マル1:8,10; 9:22,41; 14:13; ルカ3:16; 7:44; 8:25; 16:24; 22:10; ヨハ1:26,31,35; 2:7,9; 3:5,23; 4:7,10,11,13,14,15,46; 5:3,4,7; 7:38; 13:5; 19:34 etc.
【で】 ἐν ἐν エン en {en} (pd 前置詞・属)
1)~の中に、~の間に 2)~の上に 3)ところに、のそばに 4)で 3)よって 5)に
【バプテスマを授ける】 βαπτίζω βαπτίζω バプティゾー baptizō {bap-tid‘-zo} (vipa–1s 動詞・直・現・能・1単)
< βάπτω つける、浸す
1)水中に潜らす、浸す、沈める、つける、濡らす、洗う、注ぎかける 2)洗礼を施す
βάπτω は人が川を渡ってみずに浸かる、船が沈没する等の意味に用いられた言葉
マタ3:6,7,11,14; 21:25; 28:19; マル1:4,8; 11:30; 16:10; ルカ3:3,12,16,21; 7:29; 20:4; ヨハ1:25,26,33 etc.
永井訳 「我は如何にも悔改に至るべく、水にて汝らをパブテズマす」
【しかし】 δὲ δέ デ de {deh} (ch 接続詞・完等)
1)ところで、しかし、さて、そして 2)しかも、そしてまた、なお、すると、また 3)次に、さらに 4)否、むしろ
【わたしの】 μου ἐγώ エゴー egō {eg-o‘} (npg-1s 代名詞・属1単)
1)私 2)わたし
【後から】 ὀπίσω ὀπίσω オピソー opisō {op-is‘-o } (pg 前置詞・属)
1)後ろで 2)後方から、後から 3)の後に、逆戻りして、後方に 4)後を 5)後方を 6)逆に 7)もとに 8)今後、将来 9)後ほど、あとから
【来る方は】 ἐρχόμενος ἔρχομαι エルこマイ erchomai {er‘-khom-ahee} (vppnnm-s 分詞・現能欠主男単)
1)来る、やってくる、~しにやってくる 2)近づく、臨む、達する 3)着く、到着する 4)現れる 5)上がる、下る
【わたしより】 μου ἐγώ エゴー egō {eg-o‘} (npg-1s 代名詞・属1単)
1)私 2)わたし
【優れて】 ἰσχυρότερός ἰσχυρός イスくゆロス ischuros {is-khoo-ros‘} (a-mnm-s 形容詞・比較主男単)
1)より強い、強い、力強い 2)より有力な 3)より力ある、堅固な 4)より烈しい
マタ12:29; マル1:7,27; ルカ3:16; 11:21,22; Ⅱコリ10:10; ヘブ6:18; Ⅰヨハ2:14 etc.
【おられる】 ἐστιν εἰμί エイミ eimi {i-mee‘} (vipa–3s 動詞・直・現・能・3単)
1)ある、いる、~である、~です、~だ 2)行われる、おこる、生ずる、現れる、来る 3)いる、滞在する、とどまる 4)存在する 5)生きている
【履物】 ὑποδήματα ὑπόδημα ヒゆポデーマ hupodēma {hoop-od‘-ah-mah} (n-an-p 名詞・対中複)
< ὑπό 下に +δέω 結びつける
1)サンダル 2)はきもの 3)わらじ 4)靴
マタ3:11; 10:10; マル1:7; ルカ3:16; 10:4; 15:22; 23:35; ヨハ1:27; 使徒7:33; 13:25
【脱がせる】 βαστάσαι βαστάζω バスタゾー bastazō {bas-tad‘-zo} (vnaa 不定詞・1アオ能)
1)取り上げる、脱がせる、とり上げる、とり去る 2)かかえる、担ぐ、担う、負う、背負う、抱く、持つ 3)支える 4)忍ぶ、辛抱する、耐える 5)運び去る、取り去る、連れ去る 6)盗む 7)触れる、触る客の足からサンダルを脱がせるのは奴隷の務めであった
【値打もない】 οὗ οὐκ εἰμὶ ἱκανὸς
【値打ち】 ἱκανὸς ἱκανός ヒカノス hikanos {hik-an-os‘} (a–nm-s 形容詞・主男単)
1)十分な、~に相当する、~に足りる 2)できる、能力のある、有能な、秀でた 4)ふさわしい、資格のある
マタ3:11; 8:8; 28:12 マル1:7; ルカ3:16; 7:6; 22:38; Ⅰコリ15:9; Ⅱコリ2:6; 3:5 etc.
【ない】 οὐκ οὐ ウー ou {oo} (qn 不変化詞・否定)
1)否 2)~ない 3)~でない
【もので】 οὗ ὅς ホス hos {hos} (aprnn-s 関係代名詞・主中単)
1)この~ 2)これ 3)ところの、そして
【である】 εἰμὶ εἰμί エイミ eimi {i-mee‘} (vipa–1s 動詞・直・現・能・1単)
1)ある、いる、~である、~です、~だ 2)行われる、おこる、生ずる、現れる、来る 3)いる、滞在する、とどまる 4)存在する 5)生きている
【彼は】 αὐτὸς αὐτός アウトス autos {ow-tos‘} (npnm3s 代名詞・主男3)
1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど
【聖霊】 ἐν πνεύματι ἁγίῳ 「聖き霊の中に」
【聖】 ἁγίῳ ἅγιος ハギオス hagios {hag‘-ee-os} (a–dn-s 形容詞・与中単)
1)神聖な、神に献げられた、畏敬すべき 2)畏敬すべき 3)聖なる、聖い 4)清い、正しい 5)至聖所
マタ27:52; マル1:24; ルカ1:49; ロマ1:4,7; 11:16; 12:1; Ⅰコリ7:14; 16:20; エペ1:4; 5:27; ヘブ9:2,3,8,25,24; 12:10; 黙示4:8
【霊の】 πνεύματι πνεῦμα プネウマ pneuma {pnyoo‘-mah} (n-dn-s 名詞・与中単)
< πνέω 呼吸する、吹く、風が吹く
1)風、運動している空気 2)(生命力としての、生のエネルギーの根源としての)息、気息、息吹、呼吸、3)精神、心、(知、情、意を代表する 精神生活の座としての)霊 4)霊、霊的
存在、悪霊 5)神、(神の霊、キリストの霊、聖霊)
マタ1:18; 27:50; マル2:8; ヨハ3:8; 4:24; 使徒16:7; ロマ8:9; Ⅰコリ2:11,12,14; 3:16; 6:11; Ⅱコリ7:1; ガラ4:6; コロ2:5; Ⅱテサ2:8; ヘブ1:14; Ⅰヨハ4:2; 黙示11:11
【中に】 ἐν ἐν エン en {en} (pd 前置詞・属)
1)~の中に、~の間に 2)~の上に 3)ところに、のそばに 4)で 3)よって 5)に
【そして】 καὶ καί カイ kai {kahee} (cc 接続詞・等位)
1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた
【火】 πυρί πῦρ プゆル pur {poor} (n-dn-s 名詞・与中単)
1)火 2)審判の火 3)火祭に積み重ねた薪、燃えさかる火、薪の台の上で犠牲の供物を焼く 4)熱
マタ3:10,11,12; 5:22; 7:19; 13:40;,42,50; 17:15; 18:8,9; 25:41; マル9:22,43,48,49; ルカ3:9,16,17; 9:54;12:49; 17:29; 22:55; ヨハ15:6 etc.
【で】 ἐν ἐν エン en {en} (pd 前置詞・属)
1)~の中に、~の間に 2)~の上に 3)ところに、のそばに 4)で 3)よって 5)に
【あなたがたに】ὑμᾶς σύ スゆ sou {soo} (npa-2p 代名詞・対2複)
1)あなた 2)汝 3)君
【バプテスマをお授けになる】βαπτίσει βαπτίζω バプティゾー baptizō {bap-tid‘-zo} (vifa–3s 動詞・直・未来・能・3単)
< βάπτω つける、浸す
1)水中に潜らす、浸す、沈める、つける、濡らす、洗う、注ぎかける 2)洗礼を施す
βάπτω は人が川を渡ってみずに浸かる、船が沈没する等の意味に用いられた言葉
マタ3:6,7,11,14; 21:25; 28:19; マル1:4,8; 11:30; 16:10; ルカ3:3,12,16,21; 7:29; 20:4; ヨハ1:25,26,33 etc.
永井訳 「我は如何にも悔改に至るべく、水にて汝らをパブテズマす」
† 英語訳聖書 Matt.3:11
King James Version
3:11 I indeed baptize you with water unto repentance: but he that cometh after me is mightier than I, whose shoes I am not worthy to bear: he shall baptize you with the Holy Ghost, and [with] fire:
American Standard Version
3:11 I indeed baptize you in water unto repentance: but he that cometh after me is mightier than I, whose shoes I am not worthy to bear: he shall baptize you in the Holy Spirit and in fire:
New International Version
3:11 “I baptize you with water for repentance. But after me will come one who is more powerful than I, whose sandals I am not fit to carry. He will baptize you with the Holy Spirit and with fire.
Bible in Basic English
3:11 Truly, I give baptism with water to those of you whose hearts are changed; but he who comes after me is greater than I, whose shoes I am not good enough to take up: he will give you baptism with the Holy Spirit and with fire:
Darby’s English Translation
3:11 I indeed baptise you with water to repentance, but he that comes after me is mightier than I, whose sandals I am not fit to bear; he shall baptise you with the Holy Spirit and fire;
Douay Rheims
3:11 I indeed baptize you in the water unto penance, but he that shall come after me, is mightier than I, whose shoes I am not worthy to bear; he shall baptize you in the Holy Ghost and fire.
Noah Webster Bible
3:11 I indeed baptize you with water to repentance: but he that cometh after me is mightier than I, whose shoes I am not worthy to bear: he shall baptize you with the Holy Spirit, and with fire:
Weymouth New Testament
3:11 I indeed am baptizing you in water on a profession of repentance; but He who is coming after me is mightier than I: His sandals I am not worthy to carry for a moment; He will baptize you in the Holy Spirit and in fire.
World English Bible
3:11 I indeed baptize you in water for repentance, but he who comes after me is mightier than I, whose shoes I am not worthy to carry. He shall baptize you in the Holy Spirit.
Young’s Literal Translation
3:11 ‘I indeed do baptize you with water to reformation, but he who after me is coming is mightier than I, of whom I am not worthy to bear the sandals, he shall baptize you with the Holy Spirit and with fire,
Amplified Bible
3:11 “As for me, I baptize you [h]with water because of [your] repentance [that is, because you are willing to change your inner self—your old way of thinking, regret your sin and live a changed life], but He (the Messiah) who is coming after me is mightier [more powerful, more noble] than I, whose sandals I am not worthy to remove [even as His slave]; He will baptize you [who truly repent] with the Holy Spirit and [you who remain unrepentant] with [i]fire (judgment).
Footnotes:
[h]The Greek here can be translated in, with, or by.
[i]Another view of “fire” purports that the text refers to the fiery baptism of the Holy Spirit, not judgment. According to this view the fire indicates that the believer is purified as in the refining of gold. Fire burns up the impurities and the gold (the believer) survives (cf 1 Cor 3:12, 13; James 1:3). The Holy Spirit promised here has been associated with Pentecost, purification, testing, and judgment. Each person who accepts Jesus is filled with the Holy Spirit (Acts 1:5-8).
† 細き聲 聖書研究ノート
<我は汝らの悔改のために、水にてバプテスマを施す。されど我より後にきたる者は、我よりも能力あり、我はその鞋をとるにも足らず、彼は聖靈と火とにて汝らにバプテスマを施さん>
バプテスマのヨハネは荒野に集まる群衆に悔改めの証として「水のバプテスマ」を施し、「我より後にきたる者」として来られるイエスが「聖靈と火」のバプテスマを施すと告げた。その方に比べれば「わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない」というのがヨハネの告白であった。
ルカはこの間にバプテスマのヨハネと群衆の間に交わされた会話について以下のように記録している。群衆は「救主を待ち望んでいたので、みな心の中でヨハネのことを、もしかしたらこの人がそれではなかろうかと考えていた」(ルカ3:16~17)からである。
「1:19さて、ユダヤ人たちが、エルサレムから祭司たちやレビ人たちをヨハネのもとにつかわして、「あなたはどなたですか」と問わせたが、その時ヨハネが立てたあかしは、こうであった。 1:20すなわち、彼は告白して否まず、「わたしはキリストではない」と告白した。 1:21そこで、彼らは問うた、「それでは、どなたなのですか、あなたはエリヤですか」。彼は「いや、そうではない」と言った。「では、あの預言者ですか」。彼は「いいえ」と答えた。 1:22そこで、彼らは言った、「あなたはどなたですか。わたしたちをつかわした人々に、答を持って行けるようにしていただきたい。あなた自身をだれだと考えるのですか」。 1:23彼は言った、「わたしは、預言者イザヤが言ったように、『主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声』である」。
1:24つかわされた人たちは、パリサイ人であった。 1:25彼らはヨハネに問うて言った、「では、あなたがキリストでもエリヤでもまたあの預言者でもないのなら、なぜバプテスマを授けるのですか」。 1:26ヨハネは彼らに答えて言った、「わたしは水でバプテスマを授けるが、あなたがたの知らないかたが、あなたがたの中に立っておられる。 1:27それがわたしのあとにあとにおいでになる方であって、わたしはその人のくつのひもを解く値うちもない」。(ヨハネ1:19~27)
<バプテスマ>
バプテスマは悔改めの証しであって行為ではない。バプテスマが罪を赦すのではなく、罪許されたことの証しである。しかし、証しは行為を明らかにする。その光に導かれて行為が明らかにされる。
<後方より来る>
すべての物事の「後ろ、背後 ὀπίσω オピソー」より来る「より力ある方」あり。その方は「私」の、そして「物事」の「後方」から、「接近し、近づかれ、到着し、出現」される。遅れているのではない。到着すべき時に現れ給うのである。
<ヨハネの告白>
客の足からサンダルを脱がせるのは奴隷の仕事とされた。ヨハネは自分がそれにも足りないと告白する。謙譲して言うのではない。その事実を言うのである。
決定的に「価値なき者」「足りない者」との認識に至るところに人の価値がある。この価値を高めよ。低さによってではなく、高みによって、それはなされる。
<火のバプテスマ>
「火 πῦρ プゆル」は、祭壇に犠牲の動物を焼くための「燃えさかる炎」を意味する。「審判の火」である。悔改めは罪の断罪を受け入れることである。
直訳「その方はあなたがたを聖霊と火の中に沈められ(バプテスマされ)ます」 悔改めによって人は「聖霊」の中に沈められ、「火 πῦρ プゆル」の中に沈められ、浸される。
† 心のデボーション
「彼は必ず盛になり、我は衰ふべし」 ヨハネ3:30 大正文語訳聖書
「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」 新共同訳聖書
「ヨハネの喜び」
ヨハネはバプテスマを受けるために集まった人々に「自分より優れた方」を紹介する。ヨハネは自身が「求道者」だった。人々はヨハネから去り、イエスに従った。しかし、「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」ヨハネ3:30 というのがヨハネの「喜び」であった。
† 心のデボーション
「夕餐より起ちて上衣をぬぎ、手巾をとりて腰にまとひ、 尋(つい)で盥(たらひ)に水をいれて、弟子たちの足をあらひ、纏(まと)ひたる手巾にて之を拭ひはじめ給ふ」 ヨハネ13:4~5 大正文語訳聖書
「食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた」 新共同訳聖書
「洗足」
バプテスマのヨハネはイエスを「我より後にきたる者は、我よりも能力(ちから)あり、我はその鞋(くつ)をとるにも足らず」(マタイ3:11 大正文語訳聖書)と告白した。しかし、そのイエスは最後の晩餐の場で弟子たちの足から「鞋(くつ)」を脱がせ、水で足を洗い、手ぬぐいで拭われた。(ヨハネ13:4~5)
バプテスマのヨハネが見出したイエスの「能力(ちから)」は、屈んで弟子の足から靴をぬがせ、足を洗われたことである。昼間の旅で汚れた私の足を、イエス浄めたもう。
† 心のデボーション
「彼は聖靈と火とにて汝らにバプテスマを施さん」 マタイ3:11 大正文語訳聖書
「その方は聖霊と火とによって、あなたがたに洗礼をお授けになる」 フランシスコ会訳聖書
「聖霊のバプテスマ」
ヨハネは自らのバプテスマを「水のバプテスマ」と呼び、イエスは「聖霊と火でバプテスマを施す」と言った。
「火」は「聖霊」の象徴であり、「火のバプテスマ」も「聖霊のバプテスマ」も同じ意味である。
「聖霊と火のバプテスマ」を使徒2:1~4との関連から、「水のバプテスマ」と別の霊的体験とする信仰の立場もある。
だが、「御霊は一つ」「バプテスマは一つ」である。
「我らはユダヤ人・ギリシヤ人・奴隷・自主の別なく、一體とならん爲に、みな一つ御靈にてバプテスマを受けたり。而してみな一つ御靈を飮めり」Ⅰコリント12:13 大正文語訳聖書
† 細き聲 説教
「聖霊と火のバプテスマ」
「我は汝らの悔改のために、水にてバプテスマを施す。されど我より後にきたる者は、我よりも能力り、我はその鞋をとるにも足らず、彼は聖靈と火とにて汝らにバプテスマを施さん」 マタイ3:11 大正文語訳聖書
ヨハネは「水にてバプテスマを施す」がイエスは「聖靈と火とにてバプテスマを施す」と語る。
「聖霊と火のバプテスマ」とは何を意味するのだろうか。
イザヤによれば、「聖霊と火」は、「さばきの霊、焼き尽くす霊」として民を清める霊である。
「そは主さばきするみたまと燒つくす靈とをもてシオンのむすめらの汚をあらひ ヱルサレムの血をその中よりのぞきたまふ期きたるべければなり」 イザヤ4:4 明治元訳聖書
そして、「聖霊と火」は「いのちと祝福の霊」である。
「われ渇けるものに水をそそぎ乾たる地に流をそそぎ わが靈をなんぢの子輩にそそぎ わが恩惠をなんぢの裔にあたふべければなり 44:4 斯てかれらは草のなかにて川のほとりの柳のごとく生そだつべし」 イザヤ44:3~4 明治元訳聖書
この「審判といのちの霊」は「そむきの罪を悔改める者」に来る。そして、その「契約のことば」は「今よりとこしえに信じる者から離れない」。
「ヱホバいひ給く なんぢの上にあるわが靈なんぢの口におきたるわがことばは 今よりのち永遠になんぢの口よりなんぢの裔の口より汝のすゑの裔の口よりはなれざるべし わがかれらにたつる契約はこれなりと此はヱホバのみことばなり」 イザヤⅴ9:20~21 明治元訳聖書
イエスはイザヤの預言した「聖霊と火」によって罪を悔改める者に「バプテスマ」を施すとヨハネは語ったのである。
ここで注意しなければならないのは「聖霊と火によるバプテスマ」が儀式として、また特殊な信仰経験としてあるのではないことである。
イエスは弟子たちに直接「聖霊と火によるバプテスマ」を施された記録はない。
使徒2:1~4 の「五旬節」に聖霊が弟子たちに「炎のように分かれた舌」として現れ、「一人一人の上にとどまった」(使徒2:1~2)のを見るのである。
イエスの「聖霊と火によるバプテスマ」はイエス・キリストの受難と復活によって完成した「神の国の福音」そのものであり、それによってはじまる教会に約束され一度限りに与えられた変わることのない「バプテスマ」である。我らはみなその祝福にあずかる者である。
(皆川誠)
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