† 福音書縦観 「復活論争」マタイ22:23~33
マタイ22:23~33 マルコ12:18~27 ルカ20:27~40
マタイ22:23~33
Matt.22:26次男も三男も(次男がその女をめとって、また子をもうけずに死に、三男も同様でした。マルコ12:20 そして次男、三男と、次々に、その女をめとり ルカ20:30)、ついに七人とも同じことになりました(七人ともみな子孫を残しませんでした マルコ12:22)。 口語訳聖書
† 日本語訳聖書 Matt.22:26
【漢訳聖書】
Matt.22:26 第二其三、至其七、皆然。
【明治元訳】
Matt.22:26 その二その三その七まで皆然す
【大正文語訳】
Matt.22:26 その二その三より、その七まで皆かくの如く爲し、
【ラゲ訳】
Matt.22:26 其第二第三より第七まで同じ様にして、
【口語訳】
Matt.22:26 次男も三男も、ついに七人とも同じことになりました。
【新改訳改訂3】
Matt.22:26 次男も三男も、七人とも同じようになりました。
【新共同訳】
Matt.22:26 次男も三男も、ついに七人とも同じようになりました。
【バルバロ訳】
Matt.22:26 第二、第三から第七まで同じようにして、
【フランシスコ会訳】
Matt.22:26 こうして、二番目、三番目、そして、七番目まで同様でした、
【日本正教会訳】
Matt.22:26 其二、其三、其七に至るまで皆然り。
【塚本虎二訳】
Matt.22:26 同じように、次男も三男も、ついに七人まで(子をのこさずに)死んで、
【前田護郎訳】
Matt. 22:26 同様に次男も三男も、七人とも死に、
【永井直治訳】
Matt.22:26 二番めも、三番めも、七〔人〕まで等し。
【詳訳聖書】
Matt.22:26 次男もまた子がなくて死んで、三男も、七番目まで〔そうでした〕。
† 聖書引照 Matt.22:26
Matt.22:26 その二その三より、その七まで皆かくの如く爲し、
[その二その三より、その七まで皆かくの如く爲し] seventh or, seven.
† ギリシャ語聖書 Matt.22:26
Stephens 1550 Textus Receptus
ομοιως και ο δευτερος και ο τριτος εως των επτα
Scrivener 1894 Textus Receptus
ομοιως και ο δευτερος και ο τριτος εως των επτα
Byzantine Majority
ομοιως και ο δευτερος και ο τριτος εως των επτα
Alexandrian
ομοιως και ο δευτερος και ο τριτος εως των επτα
Hort and Westcott
ομοιως και ο δευτερος και ο τριτος εως των επτα
† ギリシャ語聖書 品詞色分け
Matt.22:26
ὁμοίως καὶ ὁ δεύτερος καὶ ὁ τρίτος, ἕως τῶν ἑπτά.
† ヘブライ語聖書 Matt.22:26
Matt.22:26
,כָּךְ גַּם הַשֵּׁנִי וְהַשְּׁלִישִׁי עַד הַשְּׁבִיעִי
† ラテン語聖書 Matt.22:26
Latin Vulgate
Matt.22:26
Similiter secundus, et tertius usque ad septimum.
similarly with the second, and the third, even to the seventh.
† 私訳(詳訳)Matt.22:26
【私訳】 「そして二番目も、また三番目も、七〔番目〕まで同様に(した)」
† 新約聖書ギリシャ語語句研究
Matt.22:26
ὁμοίως καὶ ὁ δεύτερος καὶ ὁ τρίτος, ἕως τῶν ἑπτά.
【そして】 καὶ. καί カイ kai {kahee} (ab 副詞)
1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた
(G2532 καί Apparently a primary particle, having a copulative and sometimes also a cumulative force; and, also, even, so, then, too, etc.; often used in connection (or composition) with other particles or small words: – and, also, both, but, even, for, if, indeed, likewise, moreover, or, so, that, then, therefore, when, yea, yet. Internet Sacred Text Archive)
【二番目】 δεύτερος δεύτερος デウテロス deuteros {dyoo‘-ter-os} (aponm-s 序数詞・主男単)
1) 第二の 2)二番目の 3)次の
(G1208 δεύτερος As the compound of 1417 (ordinal) second (in time, place or rank; also adverbially): – afterward, again, second (-arily, time). Internet Sacred Text Archive)
【そして】 καὶ καί カイ kai {kahee} (cc 接続詞・等位)
1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた
(G2532 καί Apparently a primary particle, having a copulative and sometimes also a cumulative force; and, also, even, so, then, too, etc.; often used in connection (or composition) with other particles or small words: – and, also, both, but, even, for, if, indeed, likewise, moreover, or, so, that, then, therefore, when, yea, yet. Internet Sacred Text Archive)
【三番目】 τρίτος τρίτος トリトス tritos {tree‘-tos} (aponm-s 序数詞・主男単)
1)三番目の 3)三分の一の 3)三日目の
(G5154 τρίτος From 5140 third; neuter (as noun) a third part, or (as adverb) a (or the) third time, thirdly: – third (-ly). Internet Sacred Text Archive)
マタ16:21; 17:23; 20:19; 27:64; ルカ9:22; 13:32; 18:33; 24;7,21,46; ヨハ2:1; 使徒10:40; 27:19;
【七】 ἑπτά ἑπτά ヘプタ hepta {hep-tah‘} (apcgm-p 数詞・属男複)
1)7 2)7つの
(G2033 ἑπτά A primary number; seven: – seven. Internet Sacred Text Archive)
【まで】 ἕως ἕως へオース heōs {heh‘-oce} (pg 前置詞・属)
1)~まで 2)~するまで 3)ところまで 4)の限度まで 5)に及ぶまで
(G2193 ἕως Of uncertain affinity; a conjugation, preposition and adverb of continuance, until (of time and place): – even (until, unto), (as) far (as), how long, (un-) til (-l), (hither-, un-, up) to, while (-s). Internet Sacred Text Archive)
【同様に】 ὁμοίως ὅμοιος ホモイオス homoios {hom‘-oy-os} (ab 副詞)
< ὁμός 同一の
1)同様な、同種の、同一の 2)類似の 3)似た、似ている、~のようである 3)に匹敵する 4)等しい、同じ、相当する 5)同種の
(G3664 ὅμοιος From the base of 3674 similar (in appearance or character): – like, + manner. Internet Sacred Text Archive)
マタ11:16; ルカ6:47; 7:31,32; 13:18; ヨハ9:9; Ⅰヨハ3:2; 黙示4:6; 9:7; 13:2; etc.
† 英語訳聖書 Matt.22:26
King James Version
22:26 Likewise the second also, and the third, unto the seventh.
New King James Version
22:26 “Likewise the second also, and the third, even to the seventh.
American Standard Version
22:26 in like manner the second also, and the third, unto the seventh.
New International Version
22:26 The same thing happened to the second and third brother, right on down to the seventh.
Bible in Basic English
22:26 In the same way the second and the third, up to the seventh.
Today’s English Version
22:26 The same thing happened to the second brother, to the third, and finally to all seven.
Darby’s English Translation
22:26 In like manner also the second and the third, unto the seven.
Douay Rheims
22:26 In like manner the second, and the third, and so on to the seventh.
Noah Webster Bible
22:26 Likewise the second also, and the third, to the seventh.
Weymouth New Testament
22:26 So also did the second and the third, down to the seventh,
World English Bible
22:26 In like manner the second also, and the third, to the seventh.
Young’s Literal Translation
22:26 in like manner also the second, and the third, unto the seventh,
† 細き聲 聖書研究ノート
<その二その三より、その七まで皆かくの如く爲し>
サドカイ派の作った「七人の兄弟の物語」では、長男の嫁は、二男から世継ぎを得ようとするが次男も子を宿すことなく亡くなり、三男も同様で、七人の兄弟全員が長男の嫁に子を宿すことなく亡くなってしまった。
<その二その三より、その七まで皆かくの如く爲し>
次男も子どもを残さずに死に、三男も同様で、ついに七人ともおなじことになり、みな長男の妻に子孫をのこせなかった。
† 心のデボーション
「その二その三より、その七まで皆かくの如く爲し」 マタイ22:26 大正文語訳聖書
「こうして、二番目、三番目、そして、七番目まで同様でした」 フランシスコ会訳聖書
「有り得ない話」
長男が子どもを残さずに死亡し、次男と結婚するが同じように死亡することが七男まで繰り返され、ついに妻が子孫を残せなかった、その確率は京の単位になるはずである。(どなたか正確な計算をしてください。)
つまり、「七人の兄弟」がありふれた風景などでは決してない。
起こりえないことから真理を導き出そうとしてはいけない。
† 心のデボーション
「その二その三より、その七まで皆かくの如く爲し」 マタイ22:26 大正文語訳聖書
「こうして、二番目、三番目、そして、七番目まで同様でした」 フランシスコ会訳聖書
「祝福の胎」
子どもが与えられずに夫に先立たれた妻が、次々に七人の兄弟の妻になった背景には、子どもは神の与える「嗣業、賜物」であり、子どもを産まない胎は神の祝福から外れると見なされたことがある。
「みよ子輩はヱホバのあたへたまふ嗣業にして 胎の實はその報のたまものなり」(詩篇127:3 明治元訳聖書)
神は子どもをうめない胎を詛われはしない。男も女もすべてのいのちはいのちを生み出す。神はそのいのちの誕生を祝福されるのである。
子どもを生めなかった妻よ、あなたはあなたのいのちを生み出せ。あなたは神の祝福の胎なのだ。
† 細き聲 説教
「慰めのない物語」
「その二その三より、その七まで皆かくの如く爲し」 マタイ22:26 大正文語訳聖書
「こうして、二番目、三番目、そして、七番目まで同様でした」 フランシスコ会訳聖書
サドカイ派の作った「七人の兄弟の物語」では、長男の嫁は、二男から世継ぎを得ようとするが次男も子を宿すことなく亡くなり、三男も同様で、七人の兄弟全員が長男の嫁に子を宿すことなく亡くなってしまった。
サドカイ派の「七人の兄弟の物語」は彼らの教えのために作られた「物語」であることは、七人の兄弟がことごとく長男の嫁に子を残すことなく亡くなるという「ありそうにない現実」からもわかる。
子どもが与えられずに夫に先立たれた妻が、次々に七人の兄弟の妻になった背景には、子どもは神の与える「嗣業、賜物」であり、子どもを産まない胎は神の祝福から外れると見なされたことがある。
「みよ子輩はヱホバのあたへたまふ嗣業にして 胎の實はその報のたまものなり」(詩篇127:3 明治元訳聖書)
しかし、子どもが与えられなかった妻には深い悲しみが残った。彼女は「神の嗣業、賜物のない女」とみなされたからである。
しかし、神は子どもをうめない胎を詛われはしない。男も女もすべてのいのちはいのちを生み出す。神はそのいのちの誕生を祝福されるのである。
子どもを生めなかった妻よ、あなたはあなたのいのちを生み出せ。あなたは神の祝福の胎なのだ。
「七人の兄弟の物語」は、世継ぎを残せない長男の嫁の悲しみを慰める物語ではない。パリサイ人たちの信じる死後の復活があるとすれば、長男の妻は誰の妻となのかを問うために作られた物語である。
慰めのない物語を信じてはならない。
(皆川誠)
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