マタイによる福音書15章32節

マタイによる福音書
Generic selectors
完全一致
タイトルから
記事本文から
Post Type Selectors
カテゴリーで絞込

† 福音書対観 「四千人の給食」 マタイ15:32~39  

マタイ15:32~39 マルコ8:1~10

† 福音書縦観 「四千人の給食」 マタイ15:32~39  

マタイ15:32~39 マルコ8:1~10
マタイ15:32~39

Matt.15:32(8:1そのころ、また大ぜいの群衆が集まっていたが、何も食べるものがなかったので、マルコ8:1)イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、「この群衆がかわいそうである。もう三日間もわたしと一緒にいるのに、何も食べるものがない。しかし、彼らを空腹のままで帰らせたくはない。恐らく途中で弱り切ってしまうであろう(それに、なかには遠くからきている者もある マルコ8:3)」。 口語訳聖書

† 日本語訳聖書 Matt.15:32 

【漢訳聖書】
Matt.15:32 耶穌召門徒曰、我憫斯衆、蓋今已三日偕我、而無所食、我不欲使之飢而去、恐途間困憊也。

【明治元訳】
Matt.15:32 イエスそのを呼(よび)て曰(いひ)けるは我(われ)この衆人(ひとびと)を憫(あはれ)む彼等(かれら)われと偕(とも)に居(をる)こと三日(みつか)にして食(くら)ふものなし飢(うゑ)させて去(さら)しむることを欲(このま)ず恐(おそら)くは途間(みち)にて惱(なやま)ん

【大正文語訳】
Matt.15:32 イエス弟子たちを召して言ひ給ふ『われ此の群衆をあはれむ、既に三日われと偕にをりて食ふべき物なし。飢ゑたるままにて歸らしむるを好まず、恐らくは途にて疲れ果てん』

【ラゲ訳】
Matt.15:32 時にイエズス、弟子等を召集めて曰ひけるは、我[此]群衆を憐む、蓋忍びて我と共に居る事既に三日にして食すべき物なし、我之を空腹にして去らしむるを好まず、恐らくは途にて倒れん、と。

【口語訳】
Matt.15:32  イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、「この群衆がかわいそうである。もう三日間もわたしと一緒にいるのに、何も食べるものがない。しかし、彼らを空腹のままで帰らせたくはない。恐らく途中で弱り切ってしまうであろう」。

【新改訳改訂3】
Matt.15:32  イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。「かわいそうに、この群衆はもう三日間もわたしといっしょにいて、食べる物を持っていないのです。彼らを空腹のままで帰らせたくありません。途中で動けなくなるといけないから。」

【新共同訳】
Matt.15:32  イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。空腹のままで解散させたくはない。途中で疲れきってしまうかもしれない。」

【バルバロ訳】
Matt.15:32 イエズスは弟子たちを集め、「私はこの人々をあわれに思う、もう三日も私と一緒にいて、食べ物もない。空腹のまま帰らせるに忍びぬ。途中で倒れてしまうかもしれぬ」と言われた。

【フランシスコ会訳】
Matt.15:32 イエスは弟子たちを呼び寄せて仰せになった。「この群衆がかわしそうだ。もうすでに、三日間わたしとともに過ごし、食べる物を持っていない。空腹のまま帰すのは忍びない。途中で倒れるかもしれない」。

【日本正教会訳】
Matt.15:32 イイスス其門徒を召して、彼等に謂へり、我斯の民を憫む、蓋已に三日我と偕に在りて、食ふ物なし、我彼等を飢ゑて去らしむるを欲せず、恐らくは途中に憊れん。

【塚本虎二訳】
Matt.15:32 イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしをはなれずにいるので、何も食べるものを持っていない。空腹のままで帰したくない。途中でへたばってしまうかも知れない。」

【前田護郎訳】
Matt.15:32 イエスは弟子たちを呼びよせていわれた、「群衆が気の毒だ。わたしのところに三日もいるのに、食べものがない。空腹のままでは帰したくない。途中で力つきるといけないから」。

【永井直治訳】
Matt.15:32 然るにイエス弟子等を召してへり、われ群衆を不便(ふびん)に思ふ。そは彼等は既に三曰續きて我とともに在り、且つ何をも喰ふべき物をもたざればなり。されば食を斷ちたるままにて彼等を去らしむることを欲せず。然らざれば彼等は途にて弱らん。

【詳訳聖書】
Matt.15:32 それから、イエスは弟子たちを呼び寄せて、言われた、「私はこの群衆をあわれむ<に同情する<深く感情を動かされる>。なぜなら、彼らは私とすでにもう三日間もいっしょにおり、彼らには食べる物が[なんにも残って]ないからである。私は彼らを空腹のままで去らせたくない。彼らが途中で弱り果てて<疲れきって>しまってはいけないからである」。

† 聖書引照 Matt.15:32 

Matt.15:32 イエス弟子たちを召して言ひ給ふ『われ此の群衆をあはれむ、既に三日われと偕にをりて食ふべき物なし。飢ゑたるままにて歸らしむるを好まず、恐らくは途にて疲れ果てん』

[イエス弟子たちを召して言ひ給ふ]  マタ9:36; 14:14; 20:34; マル8:1,2; 9:22; ルカ7:13
[われ此の群衆をあはれむ]  ヘブ4:15
[既に三日われと偕にをりて食ふべき物なし]  マタ12:40; 27:63; 使徒27:33
[飢ゑたるままにて歸らしむるを好まず]  マタ6:32,33; ルカ12:29,30
[恐らくは途にて疲れ果てん]  Ⅰサム14:28-31; 30:11,12; マル8:3

† ギリシャ語聖書 Matt.15:32 

Stephens 1550 Textus Receptus
ο δε ιησους προσκαλεσαμενος τους μαθητας αυτου ειπεν σπλαγχνιζομαι επι τον οχλον οτι ηδη ημερασ τρεις προσμενουσιν μοι και ουκ εχουσιν τι φαγωσιν και απολυσαι αυτους νηστεις ου θελω μηποτε εκλυθωσιν εν τη οδω

Scrivener 1894 Textus Receptus 
ο δε ιησους προσκαλεσαμενος τους μαθητας αυτου ειπεν σπλαγχνιζομαι επι τον οχλον οτι ηδη ημερασ τρεις προσμενουσιν μοι και ουκ εχουσιν τι φαγωσιν και απολυσαι αυτους νηστεις ου θελω μηποτε εκλυθωσιν εν τη οδω

Byzantine Majority
ο δε ιησους προσκαλεσαμενος τους μαθητας αυτου ειπεν σπλαγχνιζομαι επι τον οχλον οτι ηδη ημεραι τρεις προσμενουσιν μοι και ουκ εχουσιν τι φαγωσιν και απολυσαι αυτους νηστεις ου θελω μηποτε εκλυθωσιν εν τη οδω

Alexandrian 
ο δε ιησους προσκαλεσαμενος τους μαθητας αυτου ειπεν σπλαγχνιζομαι επι τον οχλον οτι ηδη ημεραι τρεις προσμενουσιν μοι και ουκ εχουσιν τι φαγωσιν και απολυσαι αυτους νηστεις ου θελω μηποτε εκλυθωσιν εν τη οδω

Hort and Westcott 
ο δε ιησους προσκαλεσαμενος τους μαθητας αυτου ειπεν σπλαγχνιζομαι επι τον οχλον οτι ηδη ημεραι τρεις προσμενουσιν μοι και ουκ εχουσιν τι φαγωσιν και απολυσαι αυτους νηστεις ου θελω μηποτε εκλυθωσιν εν τη οδω

† ギリシャ語聖書 品詞色分け 

Matt.15:32

ὁ δὲ ἰησοῦς προσκαλεσάμενος τοὺς μαθητὰς αὐτοῦ εἶπενσπλαγχνίζομαι ἐπὶ τὸν ὄχλονὅτι ἤδη ἡμέραι τρεῖς προσμένουσίν μοι καὶ οὐκ ἔχουσιν τί φάγωσιν· καὶ ἀπολῦσαι αὐτοὺς νήστεις οὐ θέλωμήποτε ἐκλυθῶσιν ἐν τῇ ὁδῶ.

† ヘブライ語聖書 Matt.15:32 

Matt.15:32

קָרָא יֵשׁוּעַ לְתַלְמִידָיו וְאָמַר: נִכְמְרוּ רַחֲמַי עַל הָעָם. זֶה שְׁלוֹשָׁה יָמִים הֵם נִמְצָאִים אִתִּי וְאֵין לָהֶם מַה לֶּאֱכֹל. אֵינֶנִּי חָפֵץ לְשַׁלֵּחַ אוֹתָם רְעֵבִים פֶּן יִתְעַלְּפוּ בַּדֶּרֶךְ

† ラテン語聖書 Matt.15:32 

Latin Vulgate
Matt.15:32

Iesus autem, convocatis discipulis suis, dixit: Misereor turbæ, quia triduo iam perseverant mecum, et non habent quod manducent: et dimittere eos ieiunos nolo, ne deficiant in via.
And Jesus, calling together his disciples, said: “I have compassion on the crowds, because they have persevered with me now for three days, and they do not have anything to eat. And I am not willing to dismiss them, fasting, lest they faint along the way.” 

† 私訳(詳訳)Matt.15:32 

【私訳】 「また、イエスは彼の弟子たちを呼び寄せて言われた。『わたしは群衆に同情する<深く憐れむ、心が騒ぐ>。なぜなら、彼らはすでに三日間わたしと一緒にいるのに、食べるものを何も持っていないからである。しかし、わたしは彼らを空腹のままで去らせたくはない。彼らが道の途中で弱り果ててしまうかもしれないから』」

† 新約聖書ギリシャ語語句研究 

Matt.15:32

ὁ δὲ ἰησοῦς προσκαλεσάμενος τοὺς μαθητὰς αὐτοῦ εἶπεν, σπλαγχνίζομαι ἐπὶ τὸν ὄχλον, ὅτι ἤδη ἡμέραι τρεῖς προσμένουσίν μοι καὶ οὐκ ἔχουσιν τί φάγωσιν· καὶ ἀπολῦσαι αὐτοὺς νήστεις οὐ θέλω, μήποτε ἐκλυθῶσιν ἐν τῇ ὁδῶ.

【また】 δὲ δέ  デ de {deh} (cc 接続詞・等位)

1)ところで、しかし、さて、そして 2)しかも、そしてまた、なお、すると、また 3)次に、さらに 4)否、むしろ

(G1161 δέ A primary particle (adversative or continuative); butand, etc.: – also, and, but, moreover, now [often unexpressed in English].  Internet Sacred Text Archive)

【イエスは】 ἰησοῦς  ᾽Ιησοῦς イエースウース  Iēsous {ee-ay-sooce‘ } (n-nm-s 名詞・主男単)

イエス 意味は「ヤㇵウェは救いである」

「イエス」はヘブル語「 יְהוֺשׁוּעַ イェホーシュア Yehowshuwa` {yeh-ho-shoo’-ah} ”Jehovah is salvation” 主は救い、ヨシュア」の ギリシャ名

(G2424  ᾽Ιησοῦς Of Hebrew origin [3091; Jesus (that is, Jehoshua), the name of our Lord and two (three) other Israelites: – Jesus.  H3091 יְהוֹשׁוַּע יְהוֹשׁוַּע ‎ yehôshûa‛ yehôshûa‛ yeh-ho-shoo‘-ah,yeh-ho-shoo‘-ah From 3068 and 3467 Jehovah-saved; Jehoshua (that is, Joshua), the Jewish leader: – Jehoshua, Jehoshuah, Joshua. Compare 1954 3442.   Internet Sacred Text Archive)

マタ16:16;  マル5:7;  ルカ1:32;  ヨハ1:29,36; 14:6; 6:33,51;  ロマ1:16; 3:29; 11:26; 14:9;  Ⅰコリ1:24; 2:8; 15:45;  Ⅰテモ6:15;  ヘブ2:10; 3:6; 9:11,15; 12:24;  黙示1:5,8; 2:8; 3:14 etc.

【彼の】 αὐτοῦ  αὐτός  アウトス autos {ow-tos‘}  (npgm3s 代名詞・属男3)

1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど

(G846 αὐτός From the particle αὖ au (perhaps akin to the base of 109 through the idea of a baffling wind; backward); the reflexive pronoun self, used (alone or in the compound of 1438 of the third person, and (with the proper personal pronoun) of the other persons: – her, it (-self), one, the other, (mine) own, said, ([self-], the) same, ([him-, my-, thy-]) self, [your-] selves, she, that, their (-s), them ([-selves]), there [-at, -by, -in, -into, -of, -on, -with], they, (these) things, this (man), those, together, very, which. Compare 848.   Internet Sacred Text Archive)

【弟子たちを】 μαθητὰς  μαθητής  マてーテース mathētēs {math-ay-tes‘} (n-am-p 名詞・対男複)

< μανθάνω 学ぶ、覚える、聞き知る、尋ねる

1)学生、弟子、門弟 2)弟子、門人、帰依者 3)学ぶ者、師を見出した者

(G3101 μαθητής From 3129 a learner, that is, pupil: – disciple.  Internet Sacred Text Archive)

【呼び寄せて】 προσκαλεσάμενος  προσκαλέομαι  プロスカれオマイ proskaleomai {pros-kal-eh‘-om-ahee}  (vpadnm-s 分詞・1アオ能欠主男単)

< πρός  向かって + καλέω 呼ぶ

1)自らのもとに呼び寄せる 2)招く、召す、召還する 3)呼び集める、呼びつける、呼び出す、呼び入れる

(G4341 προσκαλέομαι Middle voice from 4314 and 2564 to call toward oneself, that is, summoninvite: – call (for, to, unto).  Internet Sacred Text Archive)

マタ10:1; 15:32;  マル3:13; 6:7; 8:1;  使徒2:39; 13:2; 16:10; etc.

【言われた】 εἶπεν  εἶπον エイポン  eipon {i‘-pon}  (viaa–3s 動詞・直・2アオ・能3)

εἶπον は ἔπω の2アオリスト形で実際には λέγω のアオリストとして用いられる

1)言う、話す、語る、告げる、言いあらわす、述べる、呼ぶ 2)命じる、願う、尋ねる 3)~と呼ぶ、称する 4)語られたこと、言葉、発言、発話、話の内容 5)出来事

(G2036 ἔπω A primary verb (used only in the definite past tense, the others being borrowed from 2046 4483 and 5346 ; to speak or say (by word or writting): – answer, bid, bring word, call, command, grant, say (on), speak, tell. Compare 3004.   Internet Sacred Text Archive)

【群衆】 ὄχλον  ὄχλος  オくろス  ochlos {okh‘-los} (n-am-s 名詞・対男単)

1)群衆、集団、群れ、大勢の人々 2)軍勢 3)大衆、民衆、人民、市民、 4)人だかり、雑踏 5)ごたごた、煩わしさ、迷惑、厄介、面倒

(G3793  ὄχλος From a derivative of 2192 (meaning a vehicle); a throng (as borne along); by implication the rabble; by extension a class of people; figuratively a riot: – company, multitude, number (of people), people, press.  Internet Sacred Text Archive)

【を】 ἐπὶ  ἐπί  エピ epi{ep-ee‘} (pa 前置詞・対)

1)の上に、近くに 2)よって 3)に向かって 4)に 5)を 6)へ

(G1909  ἐπί A primary preposition properly meaning superimposition (of time, place, order, etc.), as a relationof distribution [with the genitive case], that is, overupon, etc.; of rest (with the dative case) aton, etc.; of direction (with the accusative case) towardsupon, etc.: – about (the times), above, after, against, among, as long as (touching), at, beside, X have charge of, (be-, [where-]) fore, in (a place, as much as, the time of, -to), (because) of, (up-) on (behalf of) over, (by, for) the space of, through (-out), (un-) to (-ward), with. In compounds it retains essentially the same import, atupon, etc. (literally or figuratively).  Internet Sacred Text Archive)

【私は深く憐れむ】 σπλαγχνίζομαι  σπλαγχνίζομαι  スプらンくニゾマイ  splagchnizomai {splangkh-nid‘-zom-ahee} (vipn–1s 動詞・直・現・能欠・1単)

 < σπλάγχνον 腸、内臓 深い感情は内臓にあり、人間存在の中心と考えられた。

1)憐れむ、深く憐れむ 2) 同情する、同情溢れる 3)思いやりの心で一杯になる

「σπλάγχνον スプラグケナ(内臓、はらわた)まで動かされる」 ヘブル語「רַחָםִימ  rachami-m ラハミム(憐れみ)」は「胎内」の意味がある

(G4697 σπλαγχνίζομαι Middle voice from 4698 to have the bowels yearn, that is, (figuratively) feel sympathy, to pity: – have (be moved with) compassion.  Internet Sacred Text Archive)

マタ9:36; 14:14; 15:32; 18:27; 20:34;  マル1:41; 6:34; 8:2; 9:22;  ルカ7:13; 10:33; 15:20

【なぜなら】 ὅτι  ὅτι  ホティ hoti {hot‘-ee} (cs 接続詞・従)

1)~ということ 2)なぜなら~だから、というのは~だから、すなわち 3)~であるから 4)というのは

(G3754  ὅτι Neuter of 3748 as conjugation; demonstrative that (sometimes redundant); causatively because: – as concerning that, as though, because (that), for (that), how (that), (in) that, though, why.  Internet Sacred Text Archive)

【既に】 ἤδη  ἤδη  エーデー  ēdē {ay‘-day} (ab 副詞)

1)すでに、もう 2)すぐに、今にも、今や 3)いまやついに、いまやすでに

(G2235  ἤδη Apparently from 2228 (or possibly 2229 and 1211 even now: – already, (even) now (already), by this time.  Internet Sacred Text Archive)

【三日も】 ἡμέραι τρεῖς

【三】 τρεῖς  τρεῖς  トレイス treis {trice} (a-caf-p 数詞・主女複)

1)3 2)3の

(G5140 τρεῖς A primary (plural) number; “three”: – three.  Internet Sacred Text Archive)

マタ12:40; 13:33; 15:32; 17:4; 18:16,20; 26:61; 27:40,63  マル8:2,31; 9:5,31; 10:34; 14:58; 15:29; etc.

【日】 ἡμέραι  ἡμέρα  ヘーメラ hēmera {hay-mer‘-ah} (n-nf-p 名詞・主女複)

1)日、時 2)昼間、日中 3)時期、時代 4)人生、生活

(G2250  ἡμέρα Feminine (with 5610 implied) of a derivative of ἧμαι hēmai (to sit; akin to the base of 1476 meaning tame, that is, gentleday, that is, (literally) the time space between dawn and dark, or the whole 24 hours (but several days were usually reckoned by the Jews as inclusive of the parts of both extremes); figuratively a period (always defined more or less clearly by the context): – age, + alway, (mid-) day (by day, [-ly]), + for ever, judgment, (day) time, while, years.  Internet Sacred Text Archive)

マタ2:1; 4:2; 7:22; 10:15; 12:40; 20:2;  マル4:27; 5:5;  ルカ2:37,44; 4:42; 6:13; 9:12;  ヨハ1:39; 11:9;  使徒5:32; 9:24; 12:18;  ロマ13:12,13;  Ⅰテサ5:5,8; etc.

【わたしと】 μοι  ἐγώ エゴー  egō {eg-o‘} (npd-1s 代名詞・与1単)

1)私 2)わたし

(G1473  ἐγώ A primary pronoun of the first person, “I” (only expressed when emphatic): – I, me. For the other cases and the plural see 1691 1698 1700 2248 2249 2254 2257 etc.  Internet Sacred Text Archive)

【一緒にいるのに】 προσμένουσίν  προσμένω  プロスメノー prosmenō {pros-men‘-o} (vipa–3p 動詞・直・現・能・3複)

< πρός  傍らに + μένω  とどまる

1)まつ、じっとしている 2)とりついて離れない、共にいる 2)いる 3)耐える

(G4357 προσμένω From 4314 and 3306 to stay further, that is, remain in a place, with a person; figuratively to adhere to, persevere in: – abide still, be with, cleave unto, continue in (with).  Internet Sacred Text Archive)

マタ15:32;  マル8:2;  使徒11:23;  Ⅰテモ5:5

【しかし】 καὶ  καί カイ kai {kahee} (ch 接続詞・完)

1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた

(G2532 καί Apparently a primary particle, having a copulative and sometimes also a cumulative force; andalsoevensothentoo, etc.; often used in connection (or composition) with other particles or small words: – and, also, both, but, even, for, if, indeed, likewise, moreover, or, so, that, then, therefore, when, yea, yet.  Internet Sacred Text Archive)

【食べるものを】 φάγωσιν\ ἐσθίω  エスてィオー  esthiō {es-thee‘-o} (vsaa–3p 動詞・仮・2アオ・能・3複)

1)食う、食べる、食事する 2)食い尽くす、焼き尽くす 3)摂取する 4)悩ます、苦しめる

(G2068  ἐσθίω Strengthened for a primary word ἔδω edō (to eat); used only in certain tenses, the rest being supplied by 5315 to eat (usually literally): – devour, eat, live.  Internet Sacred Text Archive)

マタ6:25,31; 12:1,4; 14:20,21; 15:27,32,37,38; 25:35,42; 26:26;  マル1:6; 2:26; 6:37,42,44, 7:3,4,28; 8:1,2,8; 11:14;  ルカ4:2; 6:2,4; 7:33; 9:17; 10:7; 12:22,29; 15:16; 17:27,28 etc.

【何も】 τί  τίς ティス tis {tis} (aptnm-s 形容詞・疑主男単)

1)誰 2)何 3)どんな 4)なぜ 5)どちら 6)何故、どうして

(G5101 τίς Probably emphatic of 5100 an interrogitive pronoun, who, which or what (in direct or indirect questions): – every man, how (much), + no (-ne, thing), what (manner, thing), where ([-by, -fore, -of, -unto, -with, -withal]), whether, which, who (-m, -se), why.  Internet Sacred Text Archive)

【持って】 ἔχουσιν  ἔχω エこー  echō {ekh‘-o} (vipa–3p 動詞・直・現・能・3複)

1)持っている、保持している、保存する、保管する、所有する、保つ 2)身につける、帯びる、具備している、着る 3)含んでいる、抱く、とどめる、しっかり捕らえている 4)~とみなす、思う

(G2192  ἔχω A primary verb (including an alternate form σχέω scheō skheh‘-o used in certain tenses only); to hold (used in very various applications, literally or figuratively, direct or remote; such as possessionabilitycontiguityrelation or condition): – be (able, X hold, possessed with), accompany, + begin to amend, can (+ -not), X conceive, count, diseased, do, + eat, + enjoy, +fear, following, have, hold, keep, + lack, + go to law, lie, + must needs, + of necessity, + need, next, + recover, + reign, + rest, return, X sick, take for, + tremble, + uncircumcised, use.  Internet Sacred Text Archive)

【いない】 οὐκ  οὐ  ウー ou {oo} (qn 不変化詞・否定)

1)否 2)~ない 3)~でない

(G3756 οὐ Also οὐκ ouk ook used before a vowel and οὐχ ouch ookh before an aspirate. A primary word; the absolutely negative (compare 3361 adverb; no or not: – + long, nay, neither, never, no (X man), none, [can-] not, + nothing, + special, un ([-worthy]), when, + without, + yet but. See also 3364 3372.   Internet Sacred Text Archive)

【しかし】 καὶ  καί カイ kai {kahee} (cc 接続詞・等位)

1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた

(G2532 καί Apparently a primary particle, having a copulative and sometimes also a cumulative force; andalsoevensothentoo, etc.; often used in connection (or composition) with other particles or small words: – and, also, both, but, even, for, if, indeed, likewise, moreover, or, so, that, then, therefore, when, yea, yet.  Internet Sacred Text Archive)

【空腹のままで】 νήστεις  νῆστις  ネースティス nēstis {nace‘-tis} (a–am-p 形容詞・対男複)

< νή  否定 + ἐσθίω  食べる

1)断食、空腹の 2)何も食べていない、断食中の 3)飢えをもたらす

(G3523 νῆστις From the negative particle νη nē and 2068 not eating, that is, abstinent from food (religiously): – fasting.  Internet Sacred Text Archive)

マタ15:32;  マル8:3

【彼らを】 αὐτοὺς  αὐτός  アウトス autos {ow-tos‘}  (npam3p 代名詞・対男3)

1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど

(G846 αὐτός From the particle αὖ au (perhaps akin to the base of 109 through the idea of a baffling wind; backward); the reflexive pronoun self, used (alone or in the compound of 1438 of the third person, and (with the proper personal pronoun) of the other persons: – her, it (-self), one, the other, (mine) own, said, ([self-], the) same, ([him-, my-, thy-]) self, [your-] selves, she, that, their (-s), them ([-selves]), there [-at, -by, -in, -into, -of, -on, -with], they, (these) things, this (man), those, together, very, which. Compare 848.   Internet Sacred Text Archive)

【さらせることを】 ἀπολῦσαι   ἀπολύω  アポりゆオー apoluō {ap-ol-oo‘-o} (vnaa 不定詞・1アオ能)

< ἀπό  ~から + λύω 解く、ほどく

1)追い出す、解く、解き放つ、解放する、自由にする、弛める、ほどく 2)離婚する、去らせる、バラバラにする、解散する 3)清算する 4)罪をゆるす、釈放する

(G630  ἀπολύω From 575 and 3089 to free fully, that is, (literally) relievereleasedismiss (reflexively depart), or (figuratively) let diepardon, or (specifically) divorce: – (let) depart, dismiss, divorce, forgive, let go, loose, put (send) away, release, set at liberty.  Internet Sacred Text Archive)

マタ1:19; 14:15,22,23; 15:32,39; 27:15,17,21,26;   マル6:36,45; 15:6,9,11,15;  ルカ2:29; 8:38; 9:1,22;  ヨハ18:39; 19:10,12;  使徒23:22;  etc.

【望む】 θέλω  θέλω  てろー  thelō ethelō {thel‘-o, eth-el‘-o} (vppanm-s 動詞・直・現・能・1単)

1)欲する、望む、願望する、したいと思う、主張する 2)~の気がある、気が向く、用意がある、~しようとする、心に持つ、(~する)つもりである、志す、決意する 3)好む 4)心に持つ 5)惑わす、呪縛する

(G2309 θέλω Either the first or the second form may be used. In certain tenses θελέω theleō thel-eh‘-o (and ἐθέλέω etheleō eth-el-eh‘-o ) are used, which are otherwise obsolete; apparently strengthened from the alternate form of 138 to determine (as an active voice option from subjective impulse; whereas 1014 properly denotes rather a passive voice acquiescence in objective considerations), that is, choose or prefer (literally or figuratively); by implication to wish, that is, be inclined to (sometimes adverbially gladly); impersonally for the future tense, to be about to; by Hebraism to delight in: – desire, be disposed (forward), intend, list, love, mean, please, have rather, (be) will (have, -ling, -ling [ly]).  Internet Sacred Text Archive)

マタ1:19; 2:18; 5:40; 9:23; 12:38; 13:28; 23:4;  マル3:13; 6:22;  ルカ1:62; 10:29;15:28;  ヨハ5:21; etc.

【ない】 οὐ  οὐ  ウー ou {oo} (qn 不変化詞・否定)

1)否 2)~ない 3)~でない

(G3756 οὐ Also οὐκ ouk ook used before a vowel and οὐχ ouch ookh before an aspirate. A primary word; the absolutely negative (compare 3361 adverb; no or not: – + long, nay, neither, never, no (X man), none, [can-] not, + nothing, + special, un ([-worthy]), when, + without, + yet but. See also 3364 3372.   Internet Sacred Text Archive)

【道】 ὁδῶ  ὁδός  ホドス  hodos {hod-os‘} (n-gf-s 名詞・与女単)

1)道、道路、通路、通り 2)旅、旅路、行路、旅行、旅程、歩行 3)生き方、行為、やり方、方法

(G3598  ὁδός Apparently a primary word; a road; by implication a progress (the route, act or distance); figuratively a mode or means: – journey, (high-) way.  Internet Sacred Text Archive)

マタ3:3; 7:14; 13:4; 22:16;   マル1:2,3; 4:4; 12:14;  ルカ1:79; 3:4; 20:21;  ヨハ14:6;  使徒2:28; 9:27; 16:17; 19:9;  ロマ1:10; 3:17;  Ⅰコリ10:13; 12:31  ヘブ10:20;  ヤコ5:20;  黙示15:3

【で】 ἐν  ἐν エン en {en}  (pd 前置詞・属)

1)~の中に、~の間に 2)~の上に 3)ところに、のそばに 4)で 3)よって 5)に

(G1722  ἐν A primary preposition denoting (fixed) position (in place, time or state), and (by implication) instrumentality (medially or constructively), that is, a relation of rest (intermediate between 1519 and 1537 ; “in”at, (up-) onby, etc.: – about, after, against, + almost, X altogether, among, X as, at, before, between, (here-) by (+ all means), for (. . . sake of), + give self wholly to, (here-) in (-to, -wardly), X mightily, (because) of, (up-) on, [open-] ly, X outwardly, one, X quickly, X shortly, [speedi-] ly, X that, X there (-in, -on), through (-out), (un-) to(-ward), under, when, where (-with), while, with (-in). Often used in compounds, with substantially the same import; rarely with verbs of motion, and then not to indicate direction, except (elliptically) by a separate (and different) prep.  Internet Sacred Text Archive)

【疲れきってしまう】 ἐκλυθῶσιν  ἐκλύω   エクリュオー  ekluō {ek-loo‘-o} (vsap–3p 動詞・仮・1アオ・受・3複)

< ἐκ + λύω 解く

1)弱り果てる、倦み疲れる、気力を失わせる 2)弛める 3)終わらせる 4)解放する

(G1590  ἐκλύω From 1537 and 3089 to relax (literally or figuratively): – faint.  Internet Sacred Text Archive)

マタ15:32;  マル8:3;  ガラ6:9;  ヘブ12:3,5

【といけなから】 μήποτε  μήποτε  メーポテ mēpote {may‘-pot-eh} (cs 接続詞・従位)

1)決して~ない、いまだかつて~ない 2)ないように 3)するといけなから 4)あるいは、多分、おそらく

(G3379 μήποτε From 3361 and 4218 not ever; also if (or lestever (or perhaps): – if peradventure, lest (at any time, haply), not at all, whether or not.  Internet Sacred Text Archive)

† 英語訳聖書 Matt.15:32 

King James Version 
15:32 Then Jesus called his disciples [unto him], and said, I have compassion on the multitude, because they continue with me now three days, and have nothing to eat: and I will not send them away fasting, lest they faint in the way.

New King James Version
15:32 Now Jesus called His disciples to Himself and said, “I have compassion on the multitude, because they have now continued with Me three days and have nothing to eat. And I do not want to send them away hungry, lest they faint on the way.”

American Standard Version 
15:32 And Jesus called unto him his disciples, and said, I have compassion on the multitude, because they continue with me now three days and have nothing to eat: and I would not send them away fasting, lest haply they faint on the way.

New International Version
15:32 Jesus called his disciples to him and said, “I have compassion for these people; they have already been with me three days and have nothing to eat. I do not want to send them away hungry, or they may collapse on the way.”

Bible in Basic English 
15:32 And Jesus got his disciples together and said, I have pity for the people, because they have now been with me three days and have no food: and I will not send them away without food, or they will have no strength for the journey.

Today’s English Version
5:32 Jesus called his disciples to him and said, “I feel sorry for these people, because they have been with me for three days and now have nothing to eat. I don’t want to send them away without feeding them, for they might faint on their way home.”

Darby’s English Translation 
15:32 But Jesus, having called his disciples to him, said, I have compassion on the crowd, because they have stayed with me already three days and they have not anything they can eat, and I would not send them away fasting lest they should faint on the way.

Douay Rheims 
15:32 And Jesus called together his disciples, and said: I have compassion on the multitudes, because they continue with me now three days, and have not what to eat, and I will not send them away fasting, lest they faint in the way.

Noah Webster Bible 
15:32 Then Jesus called his disciples to him, and said, I have compassion on the multitude, because they continue with me now three days, and have nothing to eat: and I will not send them away fasting, lest they faint in the way.

Weymouth New Testament 
15:32 But Jesus called His disciples to Him and said, ‘My heart yearns over this mass of people, for it is now the third day that they have been with me and they have nothing to eat. I am unwilling to send them away hungry, lest they should faint on the road.’

World English Bible 
15:32 Jesus called his disciples to him, and said, ‘I have compassion on the multitude, because they continue with me now three days and have nothing to eat. I don’t want to send them away fasting, or they might faint on the way.’

Young’s Literal Translation 
15:32 And Jesus having called near his disciples, said, ‘I have compassion upon the multitude, because now three days they continue with me, and they have not what they may eat; and to let them away fasting I will not, lest they faint in the way.’

Amplified Bible
15:32 Then Jesus called His disciples to Him, and said, “I feel compassion for the crowd, because they have been with Me now three days and have nothing [left] to eat; and I do not want to send them away hungry, because they might faint [from exhaustion] on the way [home].”

† 細き聲 聖書研究ノート 

 <イエス弟子たちを召して言ひ給ふ『われ此の群衆をあはれむ、既に三日われと偕にをりて食ふべき物なし。飢ゑたるままにて歸らしむるを好まず、恐らくは途にて疲れ果てん』>

ガリラヤに戻られてから三日が経過した。この間、群衆はイエスから去らず、食料の調達もままならなくなっていた。そこで、弟子たちは「彼らを空腹のままで去らせたくない」とイエスに訴えた。

 <われ此の群衆をあはれむ>

イエスのところに大ぜいの群衆が集まって、すでに三日を経過していたが、彼らに「何も食べるものがなかった」(マルコ8:1)。「なかには遠くからきている者もあり」(マルコ8:3)、食料を調達することも困難だったのである。

イエスは「この群衆がかわいそうである。もう三日間もわたしと一緒にいるのに、何も食べるものがない。しかし、彼らを空腹のままで帰らせたくはない。恐らく途中で弱り切ってしまうであろう」と心配される。

† 心のデボーション   

「イエス弟子たちを召して言ひ給ふ『われ此の群衆をあはれむ、既に三日われと偕にをりて食ふべき物なし。飢ゑたるままにて歸らしむるを好まず、恐らくは途にて疲れ果てん』」 マタイ15:32 大正文語訳聖書

「イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。空腹のままで解散させたくはない。途中で疲れきってしまうかもしれない。」 新共同訳聖書

 「心は燃えても、肉体は弱い」

遠くガリラヤ湖を遠望できる山の中で、群集は多くの病人をイエスのところに運んできた。それは昼夜を分かたず三日におよんだ。

町に遠く、人々はこの間、十分な食事もできなかった。

イエスはそのような群集の健康を気遣われる。

「心は燃えても、肉体は弱い」(マタイ26:41)

† 心のデボーション   

「イエス弟子たちを召して言ひ給ふ『われ此の群衆をあはれむ、既に三日われと偕にをりて食ふべき物なし。飢ゑたるままにて歸らしむるを好まず、恐らくは途にて疲れ果てん』」 マタイ15:32 大正文語訳聖書

「イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。空腹のままで解散させたくはない。途中で疲れきってしまうかもしれない。」 新共同訳聖書

 「教会の帰り道」

礼拝に来られた人々を「空腹のまま帰らせる」わけにはいかない。だが、教会の帰り道に空腹のあまり倒れている人を見たことはないか。せめて彼と私の貧しい弁当を一緒に食べたいのである。しかし、しばしば、それは彼の空腹感を強めるだけに終わるのである。

まず、私は自分の「貧しい弁当」をイエスに受け取っていただかなければならない。

† 細き聲 説教   

 「日々の必要」

「イエス弟子たちを召して言ひ給ふ『われ此の群衆をあはれむ、既に三日われと偕にをりて食ふべき物なし。飢ゑたるままにて歸らしむるを好まず、恐らくは途にて疲れ果てん』」 マタイ15:32 大正文語訳聖書

「イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。空腹のままで解散させたくはない。途中で疲れきってしまうかもしれない。」 新共同訳聖書

ガリラヤに戻られてから三日が経過した。この間、群衆はイエスから去らず、食料の調達もままならなくなっていた。そこで、弟子たちは「彼らを空腹のままで去らせたくない」とイエスに訴えた。

イエスの周りに集まる群衆は、「何も食べるものがなかった」(マルコ8:1)。「なかには遠くからきている者もあり」(マルコ8:3)、食料を調達することも困難だったのである。

イエスに集まる人々は互いに日々の必要に心を寄せる「一つの家族」であった。やがて、教会は迫害の中でも、生活を共にし、貧しい者も富める者も生活を分けた。一人が飢えれば、他の人は自らのパンを分けた。

現代では初代教会の原始的共産体制は現実のものではなくなった。信徒生活の責任をそれぞれが負うことが原則であろう。しかし、教会は食事にも事欠く貧しい信徒に手を差し伸べる心を失ってはいない。ましてや、それぞれの悩みを共有することにおいて手をこまねくものであってはならない。

しかし、教会はその良き業の中心にイエスのおられることを常に確認すべきである。イエスを抜きにした「共助」は、いかに愛に満ちたものであっても教会のなすべきことではない。そのために、教会は常に「事柄」をイエスに問うのである。

(皆川誠)

コメント