ヨハネ1:11
εἰς τὰ ἴδια ἦλθεν, καὶ οἱ ἴδιοι αὐτὸν οὐ παρέλαβον.
新共同訳聖書
言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。
【中心聖句】 ヨハネ1:11
【聖書引照】 ヨハネ1:11 ルカ20:13~15 使徒7:51~52 マタイ12:31 イザヤ53:2 ルカ19:14
「民は受け入れなかった」
Ⅰ ぶどう園のたとえ
ヨハネ1:11
εἰς τὰ ἴδια ἦλθεν, καὶ οἱ ἴδιοι αὐτὸν οὐ παρέλαβον.
新共同訳聖書
言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。
ルカ20:13~15
εἶπεν δὲ ὁ κύριος τοῦ ἀμπελῶνος, τί ποιήσω; πέμψω τὸν υἱόν μου τὸν ἀγαπητόν· ἴσως τοῦτον ἐντραπήσονται.ἰδόντες δὲ αὐτὸν οἱ γεωργοὶ διελογίζοντο πρὸς ἀλλήλους λέγοντες, οὖτός ἐστιν ὁ κληρονόμος· ἀποκτείνωμεν αὐτόν, ἵνα ἡμῶν γένηται ἡ κληρονομία.καὶ ἐκβαλόντες αὐτὸν ἔξω τοῦ ἀμπελῶνος ἀπέκτειναν. τί οὗν ποιήσει αὐτοῖς ὁ κύριος τοῦ ἀμπελῶνος;
新共同訳聖書
そこで、ぶどう園の主人は言った。『どうしようか。わたしの愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう。』 農夫たちは息子を見て、互いに論じ合った。『これは跡取りだ。殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』そして、息子をぶどう園の外にほうり出して、殺してしまった。さて、ぶどう園の主人は農夫たちをどうするだろうか。
「時満ちて」、「ロゴス λόγος(ことば)」、すなわち神の御子イエス・キリストは「自分の民のところへ来た」(ガラテヤ4:4 新共同訳聖書)。しかし、神の民は神の「ロゴス λόγος(ことば)」を受け入れなかった。主イエス・キリストは「ぶどう園の譬え」を話されている。主人がぶどう園を農夫たちに貸して長い旅に出たが、戻ってくると貸したぶどう園を返すように促すが、農夫たちは派遣された僕らを袋叩きにして追い返した。遂に主人は自分の息子を遣わすが農夫たちはこれを捕らえて殺してしまった。(ルカ20:9~18) 「ぶどう園の主人は不忠な農夫たちをどうするだろうか?」とイエスは民に尋ねている。
Ⅱ 聖霊に逆らう
使徒7:51~52
σκληροτράχηλοι καὶ ἀπερίτμητοι καρδίαις καὶ τοῖς ὠσίν, ὑμεῖς ἀεὶ τῶ πνεύματι τῶ ἁγίῳ ἀντιπίπτετε, ὡς οἱ πατέρες ὑμῶν καὶ ὑμεῖς.τίνα τῶν προφητῶν οὐκ ἐδίωξαν οἱ πατέρες ὑμῶν; καὶ ἀπέκτειναν τοὺς προκαταγγείλαντας περὶ τῆς ἐλεύσεως τοῦ δικαίου οὖ νῦν ὑμεῖς προδόται καὶ φονεῖς ἐγένεσθε,
新共同訳聖書
かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたがたもそうしているのです。いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを預言した人々を殺しました。そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった。
心をかたくなにして「ロゴス λόγος(ことば)」を受け入れない者は、「心と耳に割礼を受けていない人たち(聞く耳をもたない人)」で、「聖霊に逆らう」のである。(使徒7:51 Ⅱコリント13:8)
マタイ12:31
Διὰ τοῦτο λέγω ὑμῖν, πᾶσα ἁμαρτία καὶ βλασφημία ἀφεθήσεται τοῖς ἀνθρώποις, ἡ δὲ τοῦ πνεύματος βλασφημία οὐκ ἀφεθήσεται.
新共同訳聖書
だから、言っておく。人が犯す罪や冒涜は、どんなものでも赦されるが、“霊”に対する冒涜は赦されない。
Ⅲ 受難の僕
イザヤ53:2
וַיַּ֨עַל כַּיּוֹנֵ֜ק לְפָנָ֗יו וְכַשֹּׁ֙רֶשׁ֙ מֵאֶ֣רֶץ צִיָּ֔ה לֹא־תֹ֥אַר ל֖וֹ וְלֹ֣א הָדָ֑ר וְנִרְאֵ֥הוּ וְלֹֽא־מַרְאֶ֖ה וְנֶחְמְדֵֽהוּ
נִבְזֶה֙ וַחֲדַ֣ל אִישִׁ֔ים אִ֥ישׁ מַכְאֹב֖וֹת וִיד֣וּעַ חֹ֑לִי וּכְמַסְתֵּ֤ר פָּנִים֙ מִמֶּ֔נּוּ נִבְזֶ֖ה וְלֹ֥א חֲשַׁבְנֻֽהוּ
新共同訳聖書
乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように/この人は主の前に育った。見るべき面影はなく/輝かしい風格も、好ましい容姿もない。彼は軽蔑され、人々に見捨てられ/多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠し/わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
ルカ19:14
οἱ δὲ πολῖται αὐτοῦ ἐμίσουν αὐτόν, καὶ ἀπέστειλαν πρεσβείαν ὀπίσω αὐτοῦ λέγοντες, οὐ θέλομεν τοῦτον βασιλεῦσαι ἐφ᾽ ἡμᾶς.
新共同訳聖書
しかし、その国民たちは、彼を憎んでいたので、あとから使いをやり、『この人に、私たちの王にはなってもらいたくありません』と言った。
預言者イザヤは、遣わされた「ロゴス λόγος(イエス・キリスト)」が、「見るべき面影はなく/輝かしい風格も、好ましい容姿もない。彼は軽蔑され、人々に見捨てられ/多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠し/わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。」と十字架の受難を預言した。神の民は、神の遣わされた御子を「私たちの王にはなってもらいたくありません」(ルカ19:14 新共同訳聖書)と「ロゴス λόγος(イエス・キリスト)」を拒んだのである。
(聖書研究ノート 00082-45-1-11-2 「民はうけいれなかった」 ヨハネ1:11)
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