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はじめに
当ホームページは聖書を学ぶ一助として、日本学生宣教会の聖書研究法「Small Voice 細き聲 聖書研究」を公開するものです。 今日、私たちは日本語で自由に聖書を読むことができます。そこには原典から日本語の聖書を翻訳する血のにじむ努力がありました。翻訳者は自らの信仰を刻みつつ、神のことばを表現したのです。その結果私たちは多くの 日本語訳聖書を持つことができました。
「Small Voice 細き聲 聖書研究」は、日本の教会によって残された「日本語訳聖書」をたどりつつ、聖書原典 から、神のことばを学ぶものです。
「Small Voice 細き聲 聖書研究」には、膨大な資料が含まれています。神のことばを学ぶということは、人間 存在についての生きた学びでもあるからです。聖書は人間の実存に属するあらゆる事柄に対する神の応答である と信じます。
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最近の更新
<2025.8.4>
神である主、今おられ、昔おられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」(黙示録1:8)
この方を見たとき、私は死んだ者のように、その足もとに倒れ込んだ。すると、その方は私の上に右手を置いて言われた。「恐れることはない。わたしは初めであり、終わりであり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、世々限りなく生きている。また、死とよみの鍵を持っている。(黙示録1:17~18)
心のデボーション611,612,聖書引照使徒の働き14章,俳句と短歌をアップロードしました。
<今週の俳句と短歌>
百合立ちて 庭のかたちを 変へにけり
とりあへず 書架に這はせり 蝉の殻
拙なくも 鞠つきたりし 幼な日を 互いに伝ふ 妻とわれとは
薬師寺の 山門赤く 沈みゐし 奈良の都は ひたに遠しも
<2025.7.29>
私はいつも【主】を前にしています。主が私の右におられるので私は揺るがされることがありません。それゆえ私の心は喜び私の胸は喜びにあふれます。私の身も安らかに住まいます。あなたは私のたましいをよみに捨て置かずあなたにある敬虔な者に滅びをお見せにならないからです。あなたは私にいのちの道を知らせてくださいます。満ち足りた喜びがあなたの御前にあり楽しみがあなたの右にとこしえにあります。(詩篇16篇8-11)
心のデボーション609,610,聖書引照使徒の働き13章,俳句と短歌をアップロードしました。
<今週の俳句と短歌>
作法なく かぶりつきたし 焼なすび
閑古鳥 鳴きて一羽の 天下かな
いにしへの 山並み遠く かすみゐる うまし国にぞ われは生まれし
何をもて おのがいのちと なすべしや 黙し野に咲く 花をし見れば
<2025.7.23>
【主】はモーセに言われた。「わたしはファラオとエジプトの上に、もう一つのわざわいを下す。その後で彼は、あなたがたをここから去らせる。彼があなたがたを去らせるときには、本当に一人残らず、あなたがたをここから追い出す。さあ、民に言って聞かせよ。男は隣の男に、女は隣の女に、銀の飾りや金の飾りを求めるように。」【主】は、エジプトがこの民に好意を持つようにされた。モーセその人も、エジプトの地でファラオの家臣と民にたいへん尊敬された。(出エジプト11:1~3)
心のデボーション607,608,聖書引照使徒の働き12章,俳句と短歌をアップロードしました。
<今週の俳句と短歌>
水やりて 外人のみの 端居かな
青柿の 幾つを落とし 風の止む
へばりつく 芝を剥がして 石敷きて 我が家は少し 夏に備へす
明けの月 消ゆるが前の 静けさを 身の羽ばたきと 見しか飛ぶ鳥
<2025.7.16>
神から遣わされた一人の人が現れた。その名はヨハネであった。この人は、証しのために来た。光について証しするためであり、彼によってすべての人が信じるためであった。彼は光ではなかった。ただ光について証しするために来たのである。(ヨハネ1:6〜8)
この方は元から世におられ,世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のところに来られたのに、自分の民はこの方を受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち,その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の望むところでも人の意思によってでもなく、ただ神によって生まれたのである。(ヨハネ1:10〜13)
心のデボーション605,606,聖書引照使徒の働き11章,俳句と短歌をアップロードしました。
<今週の俳句と短歌>
草取りや 妻には妻の 仕上げ跡
去年に見し 蝦蟇には会へず 夏の畑
野の花の 夜の備へに くらべなき われが眠りの 浅きを思ふ
朝まだき 起きゐる人の 息遣ひ 見へずなりとも 籠れる屋並
<2025.7.11>
初めにことばがあった。ことばは神と共にあった。ことばは神であった。
この方は、初めに神とともにおられた。
すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。
この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。
光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。
すべての人を照らすまことの光が,世に来ようとしていた。
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
(ヨハネ1:1~5, 9, 14)
心のデボーション603,604,聖書引照使徒の働き10章,俳句と短歌をアップロードしました。
<今週の俳句と短歌>
そこまでを 隠すか妻の 夏帽子
蟻急ぐ 畑の乾きや 炎天下
ひとつ詠み またひとつ詠みする 言の葉の 出でまた消へる 宿りなきさま
明日の日に 各々なさむ ことどもを 確かめ生きる 老いの一日