聖書研究ノート「言は神であった」

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ヨハネ1:1 「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。(聖書協会共同訳聖書)

【中心聖句】 ヨハネ1:1
【聖書引照】 詩篇33:6 イザヤ9:5 イザヤ7:14 イザヤ40:9~10 テトス2:13 Ⅰヨハネ5:20 ロマ9:5 ヨハネ10:30 ヨハネ20:25,27,28 ピリピ2:6~11 詩篇45:7

「言は神であった」

神が天と地を創造される前から、「ことば ὁ λόγος」は神と共にあり、「ことば ὁ λόγος」は「神」であった。

「御言葉(ὁ λόγος)によって天は造られ/主の口の息吹によって天の万象は造られた。」 詩篇33:6 新共同訳聖書

Ⅰ 預言された「ことば ὁ λόγος」

「ことば ὁ λόγος」すなわちイエス・キリストは預言者によって預言された。

「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と唱えられる。」 イザヤ9:5 新共同訳聖書

「それゆえ、わたしの主が御自ら/あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み/その名をインマヌエルと呼ぶ。」 イザヤ7:14 新共同訳聖書

「高い山に登れ/良い知らせをシオンに伝える者よ。力を振るって声をあげよ/良い知らせをエルサレムに伝える者よ。声をあげよ、恐れるな/ユダの町々に告げよ。見よ、あなたたちの神。見よ、主なる神。彼は力

を帯びて来られ/御腕をもって統治される。見よ、主のかち得られたものは御もとに従い/主の働きの実りは御前を進む。」 イザヤ40:9~10 新共同訳聖書

神と共にあり、神てあられた「ことば ὁ λόγος」は「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」(イザヤ9:5 新改訳聖書)として来られ、その名を「インマヌエル ᾽Εμμανουήλ 神は我々と共におられる」と呼ば

れると預言者によって預言された。(イザヤ7:14 マタイ1:23 新共同訳聖書)

「高い山に登れ。良い知らせをシオンに伝える者よ。力を振るって声をあげよ。」(イザヤ40:9 新共同訳聖書 「見よ、あなたたちの神。見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られ/御腕をもって統治される。」(イザヤ40:10 新共同訳聖書)

Ⅱ 「ことば ὁ λόγος」は祝福された望みである

預言者によって預言された「来るべきことば ὁ λόγος」を待ち望むことは、神の民の「祝福に満ちた希望」(テトス2:13 新共同訳聖書)となった。

「また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。」 テトス2:13 新共同訳聖書

「祝福に満ちた希望」とは、神と共にあり、神てあられた「ことば ὁ λόγος」、すなわち、
1 偉大なる神であり
2 わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むことである。

「幸いなる希望 τὴν μακαρίαν ἐλπίδα」は、「μακάριος  マカリオス 祝福されるべき、羨むべき、幸福な、めぐまれた、うらやむべき、至福の ἐλπίς エるピス 「望み、希望」で「霊的希望(メシアへの希望)」をあらわす。

「祝福に満ちた希望」新共同訳聖書
「幸いなる希望」聖書協会共同訳聖書
「祝福された望み」新改訳聖書
「福なる望」永井直治訳聖書
「祝福に満ちた希望」フランシスコ会訳聖書
「幸福な希望」塚本虎二訳聖書

預言された、「来るべきことば ὁ λόγος」は「幸いなる希望 τὴν μακαρίαν ἐλπίδα」への「待ち望み、待望」を与える。「希望」は「待望」を生み出す。この「希望」は「祝福に満ちた希望」である。

Ⅲ 真実を知る理解力

「ことば ὁ λόγος」は人に「真実な方を知る力」を与える。

「わたしたちは知っています。神の子が来て、真実な方を知る力を与えてくださいました。わたしたちは真実な方の内に、その御子イエス・キリストの内にいるのです。この方こそ、真実の神、永遠の命です」 Ⅰヨハネ5:20 新共同訳聖書

「ことば ὁ λόγος」は待ち望む人に真実を解き明かし「神を知る力」を与えてくださる。

その結果、「わたしたちは、
1 真実な方の内に
2 御子イエス・キリストの内にいる」ことを知るのである。

この「ことば ὁ λόγος」こそ「真実の神、永遠の命」である。

「先祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストも彼らから出られたのです。キリストは、万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神、アーメン ὧν οἱ πατέρες, καὶ ἐξ ὧν ὁ χριστὸς τὸ κατὰ σάρκα· ὁ ὢν ἐπὶ πάντων θεὸς εὐλογητὸς εἰς τοὺς αἰῶνας, ἀμήν.」 ロマ9:5 新共同訳聖書

「わたしと父とは一つである ἐγὼ καὶ ὁ πατὴρ ἕν ἐσμεν.」 ヨハネ10:30 新共同訳聖書

Ⅳ トマスの告白

「ことば ὁ λόγος」は、預言された「祝福に満ちた希望」であり、待ち望む人に真実を解き明かし「神を知る力」となった。「言は神であった」ことが証しされた。この証しは「告白」において、人の内に働く信仰となるのである。

トマスは復活されたイエスを目撃した弟子たちから告げられても、信ることができなかった。

トマスが弟子たちに、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」と言うと、その8日後にイエスが来られ、トマスに、「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」と言われた。トマスはイエスに、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。」 ヨハネ20:25,27,28 新共同訳聖書

こうして、トマスはイエスを「わたしの主、わたしの神 ὁ κύριός μου καὶ ὁ θεός μου」(ヨハネ20:28 新共同訳聖書)と告白した最初の弟子となった。

「初めに言があった。言は神と共にあった。」(ヨハネ1:1 聖書協会共同訳聖書)は、トマスによって、十字架と復活のイエスを、「わたしの主、わたしの神」と告白する信仰に至るのである。

「キリストは/神の形でありながら/神と等しくあることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして/僕の形をとり/人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで/それも十字架の死に至るまで/従順でした。このため、神はキリストを高く上げ/あらゆる名にまさる名を/お与えになりました。それは、イエスの御名によって/天上のもの、地上のもの、地下のものすべてが/膝をかがめすべての舌が/「イエス・キリストは主である」と告白して/父なる神が崇められるためです。」
ピリピ2:6~11 聖書協会共同訳聖書

「神よ、あなたの王座は代々とこしえに。/あなたの王権の笏は公平の笏。」
詩篇45:7 聖書協会共同訳聖書

(聖書研究ノート 00005-04-01-01-5 「言は神であった」 ヨハネ1:1)

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