<2024.6.30>
蚊遣火の 立ち上り消ゆ 神の堂
指折りて トマトはまだか 日を数ふ
日が暮れて 隣の畑に 草を引く 友に声かけ ひと日を終える(道子)
一日を 雨降りこめて しづかなる 書斎に坐して 聖書を調ぶ
土盛の 高き堤の 内窪に 地虫鳴きみつ 中にわれゐし
<2024.6.23>
茄子とれて よろずととのふ 夕の皿
ひきがえる 去年の古巣を 出でにけり
屋根こえて 次次届く しゃぼん玉 夕日をうけて わが庭に消ゆ(道子)
雨音の かすかに聞こゆ 聖日に 御言葉の意味 妻と語らふ
今日がその 定めと知るは 芍薬の 五月は庭の 赤き一輪
<2024.6.16>
静かさを バッハが招く 五月尽
朝顔や 色とりどりに 天のマナ
ひとり居る 朝の厨に 夫の来て バッハ流れる ラジオつけゆく(道子)
古き詩 幾うたひしか 言の葉の 生まれかはれる 日にぞわれ生く
われ行けば 君わが家に 行きしとふと よもし交はす 思ひあれども
<2024.6.9>
黒革の 文語の聖書 夏の月
遊び場の 縁石の上 土筆の子
在りし日の 義母に送りし 夫の文 今義妹よみて やさしと伝えく(道子)
安価なるボールペンとふ筆求め棚を眺めつ決めかねてをり
つばくらめ 二羽転ぶよに 軒先を かすめて飛べり 再びは来ず
<2024.6.2>
向かふとこ 敵なき群か 雀の子
捩花に いのち長らふ 芝生かな
草を引く 手を休めずに よもやまの 話のできる 幼友達(道子)
評すべき ことばはなくて 紫陽花の 色の深さを 立ちて眺めつ
老い難き 日に老いゆける 一日を まさにも 閉づる 五色月
<2024.5.26>
さ庭べに 梅雨の来ぬ間に 布団ほす
知る人の まれなる畑や 瓜の苗
どれほどの ひと手にとりし 図書館の 書を借り受けて 今はわれ読む(道子)
月末に 物見定めて スーパーの 人の流れの 内にわれゐし
野菫は 梅雨の走りに 生ふ草に 混ざりて咲り 引くに引かれず
<2024.5.19>
迷いなく 巣に戻り来て 親燕
花屑を 埋めな心の 溜め処
幼き日 校歌にうたいし 利根川の 変らぬ流れ 幾年を経し(道子)
入る道を 塞げどむなし 夏の蚊の いつ刺しゆきし むづ痒き指
気力こそ 細くあらざれ 老いの身に 若きが時の 勢い失すとも
<2024.5.12>
蕾菜と いふものありて 書に調ぶ
耕せば 云ふこともなし 五月雨
背の高き 白き毛並みの ボルゾイは わが手に顔よせ 撫でてと甘ゆ(道子)
甘へつく ロシアの犬と 老人と 利根の河原と 鳶の鳴く空
春の蚊は 音なく飛ぶか 現れて 消へてまた出て 部屋の片隅
<2024.5.5>
悪さして 逃げまはれる子 藤の棚
蕗を煮て 一皿増へし 老いの夕
休みなく 時を惜しみて 仕事する 果てしなき道 夫に添いゆく(道子)
名物と ならぬが味の 炭酸の 饅頭喰らふ 連休末日
大利根の 河の流れの その先に 君が住まひの 町はありしも
<2024.4.28>
燕来て やや早口に 聖書読む
春色の シャツ並べ見て 妻迷う
白黒の 写真にほほ笑む 父と母 われが生まれし 今はなき家(道子)
葉にかはる 若木の匂い しみじみと 見あぐるままに 櫻なるべし
茄子植へて 水くれなして 実を摘める 時を思へり 水無月の頃
<2024.4.21>
主に委ぬ 祈りの朝や 花の雨
煮るほどの 土筆は摘まず 二つ三つ
あずき入る 母の形見の お手玉と 一人遊べば 心和ぎゆく(道子)
歌心 動かぬ朝に ガーベラの 花さへ黙す 庭の片隅
われここに ゐますと小さき 手をあはせ 古き会堂 壁のサムエル
<2024.4.14>
蜆蝶 ちかばちかばを 遊びゐし
会堂の 屋根に並べり 雀の子
胃カメラを 受けて事なき この夕べ あなたの好きな ギョーザをつくる(道子)
軒先を かすめて鳥の 飛びはじむ 三葉躑躅の 花の咲く日に
花散りて ひとつ終はりて 萌へ出る いのちありけり 朝霧の中
<2024.4.7>
積み上げて すまぬすまぬと 捨て大根
初蝶や 牧師の足を とどめおき
老い重ね 世にはらからの 声とおく 子なき庭にも 白き花咲く(道子)
ココア飲む 春が霞の 花咲きて 香り立ちませ 鳥や鳴きませ
自転車の 空気を張りて 遠出して 人参さげて 友を訪ね来
コメント
今回の写真は「サンタンジェロ城」ですね。サンタンジェロ城はイタリヤ語「 Castel Sant’Angelo」で「聖天使城」の意味になります。サンピエトロから700メートルのところにある城塞で、城の頂上に大天使ミカエルの像が見えます。興味深いのは、そのミカエル像が、剣を鞘に戻す姿であることです。調べてみますと、この像は590年にローマでペストが流行したときに、教皇グレゴリーⅠ世が城の頂上に大天使ミカエルが剣を鞘に納める姿を見て、それをペスト終焉の証しと信じたことからくるものだそうです。建設当初は大理石製でしたが、1753年から青銅製の像として現在に至ります。当時の人々にとって、自然の災害は神の審判ととらえられたことを物語る像で、大変興味深いと思いつつ、写真を見ながら、その歴史をあれこれ想像しています。皆川