俳句短歌2023-10~2023-12 

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<2023.12.24>
クリスマス 歌詠みすごす 日本人
雨戸引く 音忍びかに 朝冷し
今日ひと日 思いめぐらす 朝の床 もう起きている 夫は書斎に(道子)
先の夜も この夜も歌の 声聞きて 砕けぬ磐に 寄する打波
雪なをも 降り積もりつつ 山陰に わが学舎は ありて静けし

バチカン博物館

<2023.12.17>
ふいに来て ふいに飛び立つ 小鳥かな
だいこ畑 夕餉の菜に ひとつ引く
金曜の 午後は私の 礼拝日 ココアをいれて 聖書を学ぶ(道子)
ことなだめ 思ひ正せる 冬の日の 入りこむ部屋の 聖日の午後
スマホなる 機械にものを 云ふ人の 脇に座りて こともなきわれ

<2023.12.10>
御言葉を 改め読める 野分かな
虫取りは 遊びにあらず キャベツ畑
これまでの 自分を引き連れ これからの よわい尊び カノンきく夜(道子)
いつまでも 共にゐやふと 云ふ妻と ながゐなければ 生きぬわれかも
若者の 働く街の 夕暮れに 雨戸引く音 響く静けさ

バチカン博物館

<2023.12.3>
へその緒の ごとくを引けり 熟柿種
早咲きは 季節が前に 隠れ咲く
朝々に 今日もよろしく 安かれと 互いに声かく 祈りのごとし(道子)
一日に 一個の柿を 食らひをり 冬のはじめの 妻のいる部屋
歌なしと 云はれ流るる 大利根の 土手に菜花の 群れあるを見つ

<2023.11.26>
行き先を 告げずゆきけり ちろろ虫
木守りを 残して高し 玻璃の月
額縁の みことば日々に 祈りもて 心にきざむ ゼパニヤ 三章十五節(道子)
いづこにも 生へゐし花を 移し来て 土に埋もれる いまだ見ぬ春
朝霧に 海に沈めし 正無しの 石は濡れをり 深く息して

<2023.11.19>
それぞれに 蜜柑の皮の 剥かれをり
二人ゐて 湯気立つ芋の うまさかな
にぎやかな 夕暮れどきの ドックラン 散歩帰りの 連休中日(道子)
熱湯を 静かに注ぐ 珈琲の 摘下を受くる 白磁の器
日は変はり 時はうつれど 正座して 祈りすわれを 映す冬の日

<2023.11.12>
重ね着の 順序を妻は われに告ぐ 
渋柿や 鼈甲色に 染まりけり 
宵やみの 陸橋のぼり 花火見ゆ 人集まれる この楽しさは何(道子) 
相応と 言ふ人ありて わが貌に 相応なれる 齢をはかる 
湯のたぎる 音のみ聞こゆ 静謐な 交はすことばの 聖日の午後

<2023.11.5>
断れば 二度とまわらず 柚子の問ひ
われも又 十一月に 驚けり
のど元に 小骨ささりて 気病みすも 癒えて安らう この身いとおし(道子)
遠雷の 音しばらくを 数へしが 避けるがごとく 微かなりゆく
青鷺は 群れなし飛べり 位置変はり 位置変はりして 形なしつつ

<2023.10.29>
菜虫とり 隣家の朝に 出合いけり
秋の蠅 ついに打たれて 夜長し
外が好き 土匂う畑 草そよぐ やさしき日ざし 秋空が好き(道子)
妻の手を 引きて登れる 石段の 寂をたたきて 苔いや青し
百舌鳥食みし 柿の実落ちて 種出ずる めぐりゆくもの 地に帰らむか

聖ペテロの椅子,ベルニーニ作,サン・ピエトロ大聖堂

<2023.10.22>
紅葉の 山見ず抜けり 九十九折
贄刺すに 良き枝なきか 百舌鳥の来ず
雨あがり 澄み極まりて 夢のごと車窓をそめる ダブルレインボー(道子)
神域の 梢は高き 杉の根の 夫婦になれる 契り尊し
薄墨の 霧の流れに 洗はるる 谷間の家に 灯を見ゆ

<2023.10.15>
大根の 余りの種の 巡り来る
秋の蚊や さしたる用も なく消ゆる
更新の 試験に向かう 夫おくり 車なき日の いつかを思う(道子)
こぼれ落つ 野花の種の 一粒を 集むるごとく 秋の日差しは
土かけて 根元押さへし 玉ねぎの 無月の畑を 明日に託し来

バルダッキーノ(大天蓋),ベルニーニ作,サン・ピエトロ大聖堂

<2023.10.8>
何一つ 思ひうかばず 秋の風
かたちよく 柿盛る笊や 水切場
ようやくに 秋は来たれり 夜なれば 野良着のやぶれ 繕いはじむ(道子)
立ち止まり そぞろ歩ける 秋虫の 名は知らねども 親しとも見ゆ
狭庭に 秘するがごとく 中秋の 月を見んとぞ 妻は誘へる

<2023.10.1>
秋雨に 赤い長靴 日曜日
名を呼ぶに 菜虫とる 妻に届かず
すこやかに 一日を終えて 「お疲れ」と 夕餉に向かう 夫も穏やか(道子)
わが性を うつして種は 気まぐれに 畝にあらざる 地にも生え出ず
聞きなしと 云ふことありて その意味を 妻は語りき 鳥鳴かぬ朝

コメント

  1. 皆川誠 より:

    10月に入り季節ごとの冒頭の写真が変わりましたね。これはクーポラの真下にあるベルニーニのブロンズ製の大天蓋バルダッキーノですね。天井が聖霊を象徴する鳩の絵になっていることは写真を見て初めて知りました。人が大勢集まるところなのでゆっくり写真をとるのはかなり難しいところと思いますが、望遠を使ってしっかり内部が撮れています。巨大なクーポラの中では小さく感じますが高さ29mの巨大な天蓋です。その大きさはそこに立たないと本当にはわからないでしょうね。写真の四本の柱は下部がねじれた形で圧倒されるとか…、ねじれの意味を知りたいところです。バルダッキーノの下はローマ教皇のみがミサをささげられる祭壇コンフェシオーネで、その地下がペテロの墓地になっていると言われていますが、入ることはできないようです。大天蓋の柱には蜂の彫刻が散らばっていて、これはバルダッキーノを建てた教皇ウルバヌス8世のバルベリーニ家の紋章にちなむものだそうですね。写真をみるにつれて知りたいところがきりもなく湧いてくる聖堂です。皆川

  2. 皆川誠 より:

    いよいよバルダッキーノの奥にある聖ペテロの司教座ですね。椅子は神学の基礎を築いた4人の博士たち(聖アンボロジウス、アウグスティヌス、聖ヨハネ・クリゾストス、聖アタナシオ)が支えています。記録によると博士の像の大きさは5メートルといいますから、椅子の大きさは6メートル~7メートル位でしょうか? 相当大きなもので、とても人が座れるものではなさそうです。これまで、聖ペテロの司教座にはローマ法王が座ることもあるのかと思っていたものですから、その思いを大幅に修正されました。実際に見ないと、そんな間違ったイメージをもってしまうものです。
    椅子の上部にある円形の窓には中央に鳩、円形は12使徒をあらわして12分割され、その下に聖ペテロの司教座があり、椅子の上部には鍵と冠をもつ二体の天使があるという、一つのストーリーを読み取ることができました。皆川

    • hiroshi より:

      聖ペテロの椅子の写真については,俳句と短歌のコーナ2019年1月~3月のところでも掲載していました。そのときの写真は2009年3月の撮影。そして今回の写真は昨年2022年11月のものです。その13年間に何となく色合いが変わったという印象があります。撮影に使ったカメラが違うからかもしれません。それから今回の写真では,椅子の下の部分にイエス様と十字架がありますが,2019年にはなかったという点も違います。

  3. 皆川誠 より:

    先のメールで「聖ペテロの椅子を4人の博士たちが支えている」と書きましたが、四人の博士たちが物理的に聖ペテロの椅子を支えているのではなく、彼らは椅子に手を伸ばしていますが触れてはいないのですね。このあたりにも、カトリック教会の神学に対する姿勢が現わされているようで興味深いです。聖ペテロの椅子はあたかも空中に浮いているかのようになっているようで、その信じがたいサイズからも、人の座るものではないということなのでしょうか?
    ご指摘の2019年の写真と今回の写真を比べると、確かに、以前の聖ペテロの椅子にイエス様の十字架はなく、今回のものにはあります。これには少々驚きました。カトリック教会の聖ペテロの椅子の重要性を考えますと、何か意味がありそうで、調べてみようと思っています。何かわかりましたらお知らせします。もし、このコーナーをご覧になっておられる方で、その意味を御存じの方がおられましたら、お教えくだされば幸いです。

  4. 皆川誠 より:

    聖ペテロの司教座の全体の写真は、圧倒的なメッセージを伝えます。今回の写真ではミサが行われているような人影が見えます。人々は着座してミサに参加しているのでしょうか。
    聖ペテロの司教座の前に置かれる十字架像について、いろいろ調べてみましたが、私はプロテスタントの牧師で、カソリック教会に親しく話の聞ける友がおりませんので、何故、以前には十字架像がないのかという疑問はいまだに解けずにいます。
    聖ペテロの司教座はカトリック教会の信仰を伝えていて、その神学的意味など、さらに知りたいと思っています。

  5. 皆川誠 より:

    サンピエトロ大聖堂の前にある聖ペテロ像ですね。右手に天国の鍵を左手に丸められた羊皮紙(聖書)を持っているように見えます。鍵をもつ右手の人差し指がまっすぐに見る人を指しているかのようで、「あなたはどうなのか」と信仰を迫っているように見えます。ファサードの上に見える時計は古いもので、二つあるうちの一つでしょうか。右の時計はローマの時間を左の時計はヨーロッパの時間を指しているのだとか。見えているのはローマの時計のほうでしょう。写真をみながらもこの大聖堂の奥深さを感じています。皆川