マタイ26:37
καὶ παραλαβὼν τὸν πέτρον καὶ τοὺς δύο υἱοὺς ζεβεδαίου ἤρξατο λυπεῖσθαι καὶ ἀδημονεῖν.
口語訳聖書
そしてペテロとゼベダイの子ふたりとを連れて行かれたが、悲しみを催しまた悩みはじめられた。
【中心聖句】 マタイ26:37
【聖書引照】 マタイ26:37 マルコ14:33
Ⅰ 用語 ἀδημονέω アデーモネオー 悶えて
ἀδημονέω アデーモネオー adēmoneō {ad-ay-mon-eh‘-o} G85
①気にしている、落ち着かないでいる ②苦しみもだえる ③心をわずらう ④悩む ⑤困惑する、当惑する ⑥悲しんでいる ⑦不安である
[(悲しみ)悶えて、悩みはじめられて] マタ26:37 マルコ14:33
(ἀδημονέω マタ26:37 マルコ14:33)
Ⅱ 死ぬほどの悲しみ
マタイ26:37
καὶ παραλαβὼν τὸν πέτρον καὶ τοὺς δύο υἱοὺς ζεβεδαίου ἤρξατο λυπεῖσθαι καὶ ἀδημονεῖν.
口語訳聖書
そしてペテロとゼベダイの子ふたりとを連れて行かれたが、悲しみを催しまた悩みはじめられた。
マルコ14:33
καὶ παραλαμβάνει τὸν πέτρον καὶ [τὸν] ἰάκωβον καὶ [τὸν] ἰωάννην μετ᾽ αὐτοῦ, καὶ ἤρξατο ἐκθαμβεῖσθαι καὶ ἀδημονεῖν,
口語訳聖書
そしてペテロ、ヤコブ、ヨハネを一緒に連れて行かれたが、恐れおののき、また悩みはじめて、彼らに言われた、
十字架を前にしてイエスはゲッセマネの園にゆかれ、悲しみのあまり「悶え ἀδημονέω 」祈られた。悲しみは深く「死ぬほどの深い悲しみ περίλυπος 」(マタイ26:38)であった。「ἀδημονέω 」は「死ぬほどの深い悲しみ περίλυπος 」に対する苦悩である。
(聖書研究ノート 00154-40-26-37-1 「アデーモネオー 悶えて」 マタイ26:37)
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