ヨハネ1:14
καὶ ὁ λόγος σὰρξ ἐγένετο καὶ ἐσκήνωσεν ἐν ἡμῖν, καὶ ἐθεασάμεθα τὴν δόξαν αὐτοῦ, δόξαν ὡς μονογενοῦς παρὰ πατρός, πλήρης χάριτος καὶ ἀληθείας.
口語訳聖書
そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり
子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。
【中心聖句】 ヨハネ1:14
【聖書引照】 ヨハネ1:14,18; 3:16,18 詩篇2:7 使徒13:33 ヘブル1:5; 5:5 Ⅰヨハネ4:9
Ⅰ 父の独り子としての栄光
ヨハネ1:14
καὶ ὁ λόγος σὰρξ ἐγένετο καὶ ἐσκήνωσεν ἐν ἡμῖν, καὶ ἐθεασάμεθα τὴν δόξαν αὐτοῦ, δόξαν ὡς μονογενοῦς παρὰ πατρός, πλήρης χάριτος καὶ ἀληθείας.
口語訳聖書
そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。
ヨハネ1:18
θεὸν οὐδεὶς ἑώρακεν πώποτε· μονογενὴς θεὸς ὁ ὢν εἰς τὸν κόλπον τοῦ πατρὸς ἐκεῖνος ἐξηγήσατο.
口語訳聖書
神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである。
詩篇2:7
אֲסַפְּרָ֗ה אֶֽ֫ל3 חֹ֥ק יְֽהוָ֗ה אָמַ֘ר אֵלַ֥י בְּנִ֥י אַ֑תָּה אֲ֝נִ֗י הַיּ֥וֹם יְלִדְתִּֽיךָ
口語訳聖書
わたしは主の詔をのべよう。主はわたしに言われた、「おまえはわたしの子だ。きょう、わたしはおまえを生んだ。
「ことば ὁ λόγος」は「肉体となり、わたしたちのうちに宿った」。「わたしたちはその栄光を見た」。それは「父のひとり子としての栄光」であった。「神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである。」(ヨハネ1:14,18 口語訳聖書)
Ⅱ 大祭司としての栄光
ヘブル5:5
οὕτως καὶ ὁ χριστὸς οὐχ ἑαυτὸν ἐδόξασεν γενηθῆναι ἀρχιερέα, ἀλλ᾽ ὁ λαλήσας πρὸς αὐτόν, υἱός μου εἶ σύ, ἐγὼ σήμερον γεγέννηκά σε·
口語訳聖書
同様に、キリストもまた、大祭司の栄誉を自分で得たのではなく、「あなたこそは、わたしの子。きょう、わたしはあなたを生んだ」と言われたかたから、お受けになったのである。
Ⅰヨハネ4:9
ἐν τούτῳ ἐφανερώθη ἡ ἀγάπη τοῦ θεοῦ ἐν ἡμῖν, ὅτι τὸν υἱὸν αὐτοῦ τὸν μονογενῆ ἀπέσταλκεν ὁ θεὸς εἰς τὸν κόσμον ἵνα ζήσωμεν δι᾽ αὐτοῦ.
口語訳聖書
神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。
ヨハネ3:16
οὕτως γὰρ ἠγάπησεν ὁ θεὸς τὸν κόσμον, ὥστε τὸν υἱὸν τὸν μονογενῆ ἔδωκεν, ἵνα πᾶς ὁ πιστεύων εἰς αὐτὸν μὴ ἀπόληται ἀλλ᾽ ἔχῃ ζωὴν αἰώνιον.
口語訳聖書
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
肉体となり、わたしたちのうちに宿った「父のふところにいるひとり子なる神(ことば ὁ λόγος)だけが、神を見ることが許されていない人間に神を現わされたのである。「彼(ことば ὁ λόγος イエスキリスト)」は大祭司(ヘブル5:5)として至聖所に入り、祭壇に御自分の血を注がれ、わたしたちを「生きる者」とされ、わたしたちに対する神の愛を明らかにされたのである。「それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヘブル5:5 Ⅰヨハネ4:9 ヨハネ3:16 口語訳聖書)
Ⅲ 神の子とされる栄光
ヨハネ3:18
ὁ πιστεύων εἰς αὐτὸν οὐ κρίνεται· ὁ δὲ μὴ πιστεύων ἤδη κέκριται, ὅτι μὴ πεπίστευκεν εἰς τὸ ὄνομα τοῦ μονογενοῦς υἱοῦ τοῦ θεοῦ.
口語訳聖書
彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。
使徒13:33
ὅτι ταύτην ὁ θεὸς ἐκπεπλήρωκεν τοῖς τέκνοις [αὐτῶν] ἡμῖν ἀναστήσας ἰησοῦν, ὡς καὶ ἐν τῶ ψαλμῶ γέγραπται τῶ δευτέρῳ, υἱός μου εἶ σύ, ἐγὼ σήμερον γεγέννηκά σε.
口語訳聖書
神は、イエスをよみがえらせて、わたしたち子孫にこの約束を、お果しになった。それは詩篇の第二篇にも、『あなたこそは、わたしの子。きょう、わたしはあなたを生んだ』と書いてあるとおりである。
ヘブル1:5
τίνι γὰρ εἶπέν ποτε τῶν ἀγγέλων, υἱός μου εἶ σύ, ἐγὼ σήμερον γεγέννηκά σε; καὶ πάλιν, ἐγὼ ἔσομαι αὐτῶ εἰς πατέρα, καὶ αὐτὸς ἔσται μοι εἰς υἱόν;
口語訳聖書
いったい、神は御使たちのだれに対して、「あなたこそは、わたしの子。きょう、わたしはあなたを生んだ」と言い、さらにまた、「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となるであろう」と言われたことがあるか。
「ことば ὁ λόγος」は「肉体となり、わたしたちのうちに宿った」。「わたしたちはその栄光を見た」。それは「父のひとり子としての栄光」であった。「神を見た者はまだひとりもいない。」、しかし、父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわされ、その流された血によって、「あなたこそは、わたしの子。きょう、わたしはあなたを生んだ」と言われたのである。これによって、わたしたちは父なる神の子とされる栄光を受け、その身をもって神をあらわし、愛を受ける器とされる。(ヨハネ3:18 使徒13:33 ヘブル1:5 口語訳聖書))
(聖書研究ノート 00116-43-1-14-3 「父の独り子としての栄光」 ヨハネ1:14)
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