ヨハネ1:10
ἐν τῶ κόσμῳ ἦν, καὶ ὁ κόσμος δι᾽ αὐτοῦ ἐγένετο, καὶ ὁ κόσμος αὐτὸν οὐκ ἔγνω.
新共同訳聖書
言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。
【中心聖句】 ヨハネ1:10
【聖書引照】 ヨハネ1:10 ヨハネ1:5 Ⅰコリント2:8 ヨハネ17:25 マタイ11:27 Ⅰコリント1:21 Ⅰコリント1:23~24
「世は言を認めなかった」
Ⅰ 世は言を認めなかった
ヨハネ1:10
ἐν τῶ κόσμῳ ἦν, καὶ ὁ κόσμος δι᾽ αὐτοῦ ἐγένετο, καὶ ὁ κόσμος αὐτὸν οὐκ ἔγνω.
新共同訳聖書
言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。
ヨハネ1:5
καὶ τὸ φῶς ἐν τῇ σκοτίᾳ φαίνει, καὶ ἡ σκοτία αὐτὸ οὐ κατέλαβεν.
新共同訳聖書
光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
「世 κόσμος この世、世界」は「ことば λόγος」を「認めない οὐκ ἔγνω」は「認める γινώσκω ギノースコー 認識する、理解する、知り合う、意識する、気づく、分かる、知るに至る、聞き知る、知覚する」の意であり、「認めなかった οὐκ ἔγνω」は、「認める γινώσκω」の否定である。暗闇は光を「理解しなかった」。「理解καταλαμβάνω カタらㇺバノー」は「捕らえる、自分のものにする」の意で、闇は光を「捕らえる、自分のものにする」ことができない。
Ⅱ
Ⅰコリント2:8
ἣν οὐδεὶς τῶν ἀρχόντων τοῦ αἰῶνος τούτου ἔγνωκεν, εἰ γὰρ ἔγνωσαν, οὐκ ἂν τὸν κύριον τῆς δόξης ἐσταύρωσαν.
新共同訳聖書
この世の支配者たちはだれ一人、この知恵を理解しませんでした。もし理解していたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。
ヨハネ17:25
πάτερ δίκαιε, καὶ ὁ κόσμος σε οὐκ ἔγνω, ἐγὼ δέ σε ἔγνων, καὶ οὖτοι ἔγνωσαν ὅτι σύ με ἀπέστειλας,
新共同訳聖書
正しい父よ、世はあなたを知りませんが、わたしはあなたを知っており、この人々はあなたがわたしを遣わされたことを知っています。
マタイ11:27
Πάντα μοι παρεδόθη ὑπὸ τοῦ πατρός μου, καὶ οὐδεὶς ἐπιγινώσκει τὸν υἱὸν εἰ μὴ ὁ πατήρ, οὐδὲ τὸν πατέρα τις ἐπιγινώσκει εἰ μὴ ὁ υἱὸς καὶ ὧ ἐὰν βούληται ὁ υἱὸς ἀποκαλύψαι.
新共同訳聖書
すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。
世は「ロゴス λόγος(ことば)」をとらえ、自分のものとして理解することは出来なかったが、神は人間をつぶさに知っておられ、この世に「ロゴス λόγος(ことば)」を遣わされた。{ロゴス λόγος(ことば)」によって世が父なる神を知る(とらえる、自分のものとする)ためである。御子によらずに人は父なる神を知らない。
Ⅲ
Ⅰコリント1:21
ἐπειδὴ γὰρ ἐν τῇ σοφίᾳ τοῦ θεοῦ οὐκ ἔγνω ὁ κόσμος διὰ τῆς σοφίας τὸν θεόν, εὐδόκησεν ὁ θεὸς διὰ τῆς μωρίας τοῦ κηρύγματος σῶσαι τοὺς πιστεύοντας.
新共同訳聖書
世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。
Ⅰコリント1:23~24
ἡμεῖς δὲ κηρύσσομεν χριστὸν ἐσταυρωμένον, ἰουδαίοις μὲν σκάνδαλον ἔθνεσιν δὲ μωρίαν,αὐτοῖς δὲ τοῖς κλητοῖς, ἰουδαίοις τε καὶ ἕλλησιν, χριστὸν θεοῦ δύναμιν καὶ θεοῦ σοφίαν·
新共同訳聖書
わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、
異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えて
世は己が知識によって神を知ることはできなかったが、神は言葉の宣教という「愚かな手段」によって信じる者を救われる。異邦人が愚かとして退けた「ロゴス λόγος(ことば)」は信じる者には「神の力、神の知恵」であり、人が退けた「ロゴス λόγος(ことば)」の宣教によって人を救われることは「神の知恵」にかなうことであった。
(聖書研究ノート 00075-45-1-10-7 「世は言を認めなかった」 ヨハネ1:10)
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