Mk.14:36
καὶ ἔλεγεν, αββα ὁ πατήρ, πάντα δυνατά σοι· παρένεγκε τὸ ποτήριον τοῦτο ἀπ᾽ ἐμοῦ· ἀλλ᾽ οὐ τί ἐγὼ θέλω ἀλλὰ τί σύ.
聖書協会共同訳聖書
こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯を私から取りのけてください。しかし、私の望みではなく、御心のままに。」
【中心聖句】 マルコ14:36
【聖書引照】 マルコ14:36 ヨハネ5:19~20 ガラテヤ4:6 ローマ8:15
「アバ父」
Ⅰ 用語 αββα ὁ πατήρ
ギリシャ語 αββα ὁ πατήρ は、ἀββά アブバ Abba {ab-bah‘ }、アラム語で「父よ」と呼びかけの言葉からきており、ヘブライ語 אָב アーブ 父 にあたる。旧約聖書において神は「父 אָב アーブ」と告白された。
Ⅱ ゲッセマネの園で
マルコ14:36
καὶ ἔλεγεν, αββα ὁ πατήρ, πάντα δυνατά σοι· παρένεγκε τὸ ποτήριον τοῦτο ἀπ᾽ ἐμοῦ· ἀλλ᾽ οὐ τί ἐγὼ θέλω ἀλλὰ τί σύ.
聖書協会共同訳聖書
こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯を私から取りのけてください。しかし、私の望みではなく、御心のままに。」
主イエスは十字架にかかられる前夜にゲッセマネの園にゆかれ、一人祈られた。祈りの中で父なる神を「アバ父よ αββα ὁ πατήρ」と呼びかけられ、「この杯を私から取りのけてください。しかし、私の望みではなく、御心のままに。」と祈られた。(マルコ14:3) 「アバ父αββα ὁ πατήρ」はイエスと父なる神の関係の深さを示す言葉である。父なる神を「アバ父αββα ὁ πατήρ」と呼ぶイエスの父なる神との関係の深さはヨハネ5:19~47にあますところなく語られている。
ヨハネ5:19~20 口語訳聖書
さて、イエスは彼らに答えて言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。子は父のなさることを見てする以外に、自分からは何事もすることができない。父のなさることであればすべて、子もそのとおりにするのである。なぜなら、父は子を愛して、みずからなさることは、すべて子にお示しになるからである。そして、それよりもなお大きなわざを、お示しになるであろう。あなたがたが、それによって不思議に思うためである。
子なるイエスは父なる神のなさることをなす以外に何事もなさらず、父なる神は子なるイエスを深く愛され、父みずからがなすことを、すべて子なるイエスにお示しになる。それによって、イエスを信じる者たちが「不思議に思う」驚くべき福音がもたらされるのである。
Ⅲ 父なる神によって
ガラテヤ4:6
ὅτι δέ ἐστε υἱοί, ἐξαπέστειλεν ὁ θεὸς τὸ πνεῦμα τοῦ υἱοῦ αὐτοῦ εἰς τὰς καρδίας ἡμῶν, κρᾶζον, αββα ὁ πατήρ.
聖書協会共同訳聖書
あなたがたが子であるゆえに、神は「アッバ、父よ」と呼び求める御子の霊を、私たちの心に送ってくださったのです。
人が父なる神を「アバ父αββα ὁ πατήρ」と呼び求める(告白する)ことができるのは、「アバ父よ αββα ὁ πατήρ」と呼び求められた御子イエスの霊が人に与えられることによる。神を「アバ父よ αββα ὁ πατήρ」と呼ぶ信仰はゲッセマネの園の主イエスの祈りに導き、イエスと同じ霊に導かれるのである。
Ⅳ 子としてくださる霊
ローマ8:15
οὐ γὰρ ἐλάβετε πνεῦμα δουλείας πάλιν εἰς φόβον, ἀλλὰ ἐλάβετε πνεῦμα υἱοθεσίας, ἐν ᾧ κράζομεν, αββα ὁ πατήρ·
聖書協会共同訳聖書
あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、子としてくださる霊を受けたのです。この霊によって私たちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。
「アバ父よ αββα ὁ πατήρ」と呼び求める御子の霊は、人を「子としてくださる霊」である。人は主イエスによって神の子である。大胆に父なる神を「アバ父よ αββα ὁ πατήρ」と呼び、神に近づき、臆することなく祈るのである。
(聖書研究ノート 00056-41-14-36-1 「アバ父」 マルコ14:36)
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