箴言1:4
לָתֵ֣ת לִפְתָאיִ֣ם עָרְמָ֑ה
聖書協会共同訳聖書
思慮なき者に熟慮を/若者に知識と慎みを与えるため。
中心聖句 箴言1:4
引照聖句 箴言1:4 箴言1:22 箴言8:5 箴言9:4 箴言9:5 箴言9:6 箴言1:23 詩篇119:130 詩篇19:7
「思慮なき者と熟慮」
Ⅰ 思慮なき者よ
箴言1:4
לָתֵ֣ת לִפְתָאיִ֣ם עָרְמָ֑ה לְ֝נַ֗עַר דַּ֣עַת וּמְזִמָּֽה
聖書協会共同訳聖書
思慮なき者に熟慮を
箴言1:22
עַד־מָתַ֣י׀ פְּתָיִם֮ תְּֽאֵהֲב֫וּ פֶ֥תִי וְלֵצִ֗ים לָ֭צוֹן חָמְד֣וּ לָהֶ֑ם וּ֝כְסִילִ֗ים יִשְׂנְאוּ־דָֽעַת
聖書協会共同訳聖書
いつまで思慮なき者は思慮のないことに執着し/嘲る者は嘲り続け/愚かな者は知識を憎むのか。
箴言8:5
הָבִ֣ינוּ פְתָאיִ֣ם עָרְמָ֑ה וּ֝כְסִילִ֗ים הָבִ֥ינוּ לֵֽב
聖書協会共同訳聖書
思慮なき者よ、熟慮とは何かを見極めよ。/愚かな者よ、心を見極めよ。
箴言は「思慮なき者」に呼びかける。「無知な者 פֶּתִי ペシー pethı̂y {peth-ee‘}」は「わきまえのない者、思慮のない者」で「心が善にも悪にも開かれた(感化された)者」のことである。明治元訳聖書「拙者(つたなきもの)」、新改訳聖書「わきまえのない者」、新共同訳聖書「未熟な者」、バルバロ訳聖書「世慣れない人」、フランシスコ会訳聖書「無知な者」、聖書協会共同訳聖書「思慮なき者」等と訳される。
「いつまでもわきまえのないことに執着するのか、思慮なき者よ」と呼びかけるのである。「無知な者 פֶּתִי ペシー」は思慮なきことにこだわり続ける。まず、その心を見極めよ。
Ⅱ 分別の道
箴言1:4
לָתֵ֣ת לִפְתָאיִ֣ם עָרְמָ֑ה לְ֝נַ֗עַר דַּ֣עַת וּמְזִמָּֽה
聖書協会共同訳聖書
思慮なき者に熟慮を
箴言9:4
מִי־פֶ֭תִי יָסֻ֣ר הֵ֑נָּה חֲסַר־לֵ֝֗ב אָ֣מְרָה לֹּֽו
聖書協会共同訳聖書
思慮なき者は誰でもこちらに来なさい。」/浅はかな者にはこう言った。
箴言9:5
לְ֭כוּ לַחֲמ֣וּ בְֽלַחֲמִ֑י וּ֝שְׁת֗וּ בְּיַ֣יִן מָסָֽכְתִּי
聖書協会共同訳聖書
来て私のパンを食べ/私が調合したぶどう酒を飲むがよい。
箴言9:6
עִזְב֣וּ פְתָאיִ֣ם וִֽחְי֑וּ וְ֝אִשְׁר֗וּ בְּדֶ֣רֶךְ בִּינָֽה
聖書協会共同訳聖書
思慮のない業を捨て、生きよ。/分別の道を進み行け。
箴言は心の定まらない「思慮なき者」に「こちらに来なさい」と誘う。「来て私のパンを食べ/私が調合したぶどう酒を飲むがよい」、そうすれば、「思慮のない者」が「熟慮」することが与えられ、思慮のない業を捨てて生きることができる。
「熟慮 עָרְמָה オルマウ」は「悟り、知恵」の意味である。口語訳聖書「悟り」、新改訳聖書「分別」、新共同訳聖書「熟慮」、バルバロ訳聖書「世渡り」等と訳される。
Ⅲ 御言葉が開かれ
箴言1:23
ָּשׁ֗וּבוּ לְֽת֫וֹכַחְתִּ֥י הִנֵּ֤ה אַבִּ֣יעָה לָכֶ֣ם רוּחִ֑י אוֹדִ֖יעָה דְבָרַ֣י אֶתְכֶֽם
聖書協会共同訳聖書
私の懲らしめを受け入れるなら/私の霊をあなたがたに注ぎ/私の言葉を知らせる。
詩篇119:130
פֵּ֖תַח דְּבָרֶ֥יךָ יָאִ֗יר מֵבִ֥ין פְּתָיִֽים
聖書協会共同訳聖書
あなたの言葉が開かれると光が射し/無知な者にも悟りを与えます。
詩篇19:7
תּ֘וֹרַ֤ת יְהוָ֣ה תְּ֭מִימָה מְשִׁ֣יבַת נָ֑פֶשׁ עֵד֥וּת יְהוָ֥ה נֶ֝אֱמָנָ֗ה מַחְכִּ֥ימַת פֶּֽתִי
聖書協会共同訳聖書
主の律法は完全で、魂を生き返らせ/主の定めはまことで、無知な者を賢くする。(19:8)
「思慮なき者」が「私の懲らしめ(ことば)を受け入れるなら」、神は「私の霊をあなたがたに注ぎ/私の言葉を知らせ」られる。神の「ことば(知恵)」が開かれると「心の定まらない思慮なき者」に光が射し、「無知な者にも悟り」が与えられる。「主の律法(教え)は完全で、「魂を生き返らせ」、「無知な者を賢くする」。
(聖書研究ノート 00048-20-01-04-1 「思慮なき者と熟慮」 箴言1:4)
コメント