ヨハネ1:6
ἐγένετο ἄνθρωπος ἀπεσταλμένος παρὰ θεοῦ, ὄνομα αὐτῶ ἰωάννης·
聖書協会共同訳聖書
一人の人が現れた。神から遣わされた者で、名をヨハネと言った。
【中心聖句】 ヨハネ1:6
【聖書引照】 ヨハネ1:6 イザヤ49:1
「人の現われ」
Ⅰ 一人の人が現れた
ヨハネ1:6
ἐγένετο ἄνθρωπος
聖書協会共同訳聖書
一人の人が現れた。
「一人の人が現れる」とはどういうことを意味するだろうか? 「自分が存在する」ということは何によるのであろうか。
ヨハネ福音書は天地創造の前にことばがあり、ことばは神と共にあって天と地を創られたと告げる。すべてのものを存在に至らせた(ἐγένετο)神のことば(ヨハネ1:3)は、地に「一人の人 ἄνθρωπος」を地に存在するに至らせる(ἐγένετο)と告げる(ヨハネ1:6)。
人間の意識が「自己」という存在に気づく以前に、「一人の人」は神の内にすでにその存在を始めている。すべての存在を成らせる神は、存在に先立って存在を創生されるのである。
Ⅱ 存在の使命
イザヤ49:1
שִׁמְע֤וּ אִיִּים֙ אֵלַ֔י וְהַקְשִׁ֥יבוּ לְאֻמִּ֖ים מֵרָח֑וֹק יְהוָה֙ מִבֶּ֣טֶן קְרָאָ֔נִי מִמְּעֵ֥י אִמִּ֖י הִזְכִּ֥יר שְׁמִֽי
聖書協会共同訳聖書
島々よ、聞け。/遠い国々の民よ、心して聞け。/主は母の胎にいる時から私を呼び/母の腹にいる時から私の名を呼ばれた。
イザヤ49:1で主のしもべは、神は「母の胎にいる時から私を呼び/母の腹にいる時から私の名を呼ばれた。」(聖書協会共同訳聖書)と告げる。
意識が「自己」という存在に気づくはるか以前、私が「母の胎にいる時から」神は私を呼び、私の名を呼ばれる。母の胎にいる時、神は私の名を呼ばれる。名は人格であり使命である。人はこの世に生まれるはるか以前から、神に遣わされた存在としてあり、時いたって、地に「一人の人」として「現れる」のである。人の生涯は神が創られた初めを目指しす歩みである。
(聖書研究ノート 00040-43-01-06-2 「人の現れ」 ヨハネ1:6)
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