Heb.11:1
ἔστιν δὲ πίστις ἐλπιζομένων ὑπόστασις, πραγμάτων ἔλεγχος οὐ βλεπομένων.
聖書協会共同訳聖書
信仰とは、望んでいる事柄の実質であって、見えないものを確証するものです。
【中心聖句】 ヘブル1:1
【聖書引照】 ヘブル1:1 ロマ8:24~25 ヘブル11:3
「信仰」
Ⅰ 信仰と望み
Heb.11:1
ἔστιν δὲ πίστις ἐλπιζομένων ὑπόστασις, πραγμάτων ἔλεγχος οὐ βλεπομένων.
聖書協会共同訳聖書
信仰とは、望んでいる事柄の実質であって、見えないものを確証するものです。
ヘブル11:1は「信仰とは何か」という問いへの明確な答えである。
「信仰 πίστις」は「望み、待ち望むことがら ἐλπίζω」の「実体、土台、本質、確信 ὑπόστασις」である。「信仰 πίστις」は、まだ見ていない事柄を希望し、その実現を確信する。
Ⅱ ヘブル11:1の諸訳
いくつかの翻訳を読むことは、ヘブル11:1の理解に大きな助けになる。
Heb.11:1
ἔστιν δὲ πίστις ἐλπιζομένων ὑπόστασις, πραγμάτων ἔλεγχος οὐ βλεπομένων.
聖書協会共同訳聖書
信仰とは、望んでいる事柄の実質であって、見えないものを確証するものです。
新共同訳聖書
信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。
永井直治訳聖書
されば信仰は望むことの根底に存するものにして、視ざる事柄の吟味なり。
塚本虎二訳聖書
(では信仰とは何であるか。)信仰とは、希望することの実現であり、(目に)見ぬ事の確信である。
Ⅲ 見えないものを望む
ロマ8:24~25
τῇ γὰρ ἐλπίδι ἐσώθημεν· ἐλπὶς δὲ βλεπομένη οὐκ ἔστιν ἐλπίς· ὃ γὰρ βλέπει τίς ἐλπίζει; εἰ δὲ ὃ οὐ βλέπομεν ἐλπίζομεν, δι᾽ ὑπομονῆς ἀπεκδεχόμεθα.
口語訳聖書
わたしたちは、この望みによって救われているのである。しかし、目に見える望みは望みではない。なぜなら、現に見ている事を、どうして、なお望む人があろうか。もし、わたしたちが見ないことを望むなら、わたしたちは忍耐して、それを待ち望むのである。
見える(実現した)望みは望みではない。信仰は、まだ見ぬ(実現していない)事柄を望み、確信するのである。
Ⅳ み言葉によって
ヘブル11:3
πίστει νοοῦμεν κατηρτίσθαι τοὺς αἰῶνας ῥήματι θεοῦ, εἰς τὸ μὴ ἐκ φαινομένων τὸ βλεπόμενον γεγονέναι.
新共同訳聖書
信仰によって、私たちは、この世界が神の言葉によって造られ、従って、見えるものは目に見えるものからできたのではないことを悟ります。
「信仰」が「まだ見ぬ(実現していない)事柄を望み、確信する」のは、天と地が神のことばによって造られたことを告白するからである。すなわち、見えるもの(実現したもの)は見えないもの(神の口からでたことば)によって創られると確信するからである。
(聖書研究ノート 00030-58-01-01-1 「信仰」 ヘブル1:1)
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