ヨハネ1:4
聖書協会共同訳
言の内に成ったものは、命であった。この命は人の光であった。
ἐν αὐτῶ ζωὴ ἦν, καὶ ἡ ζωὴ ἦν τὸ φῶς τῶν ἀνθρώπων·
【中心聖句】 ヨハネ1:4
【聖書引照】 ヨハネ1:4 詩篇84:11 マラキ3:20 イザヤ35:5 イザヤ42:6 マタイ4:16
「神の光」
Ⅰ 神は光
「この命は人の光であった」(ヨハネ1:4 聖書協会共同訳聖書)。詩篇84:11で「光」は「שֶׁמֶשׁ シェーメシュ 太陽」に譬えられる。「שֶׁמֶשׁ シェーメシュ 太陽」は「מָגֵן マーゲン 盾」として、全き道を歩む者に「恵みと栄光」を与え、「良きもの」を惜しまない。
詩篇84:11
כִּי שֶׁמֶשׁ ו מָגֵן יהוה אֱלהִים חֵן ו כָּבוֹד נתן יהוה לא מנע טוֹב ל הלךְ בּ תָּמִים
聖書協会共同訳聖書
神である主は太陽、盾。/主は恵みと栄光を与え/全き道を歩む者に/良いものを惜しむことはありません
Ⅱ 義の太陽
マラキ3:20
ו זרח ל ירא שֵׁם שֶׁמֶשׁ צְדָקָה ו מַרְפֵּא בּ כָּנָף ו יצא ו פּושׁ כּ עֵגֶל מַרְבֵּק
聖書協会共同訳聖書
しかし、わが名を畏れるあなたがたには/義の太陽が昇る。/その翼には癒やしがある。/あなたがたは牛舎の子牛のように/躍り出て跳ね回る。
「שֶׁמֶשׁ シェーメシュ 太陽」は「義の太陽 שֶׁמֶשׁ צְדָקָה」(マラキ3:20)である。「義 צְדָקָה」は「正義、広義」の意味と共に「救い」を意味する。神は「義の太陽 שֶׁמֶשׁ צְדָקָה」を地に昇らせ、人の義の「盾 מָגֵן」とされる。「義の太陽 שֶׁמֶשׁ צְדָקָה」は翼をもって高く昇り、「その翼には癒しがある」。人はそれを見て「牛舎の子牛のように(喜び)躍り出て跳ね回る」。
イザヤ35:5
אָז פּקח עַיִן עִוֵּר ו אֹזֶן חֵרֵשׁ פּתח
フランシスコ会訳聖書
その時、見えない人の目は開かれ、聞こえない人の耳は開けられる
「義の太陽 שֶׁמֶשׁ צְדָקָה」が昇るとき、その翼には癒しがあり(マラキ3:20)、「見えない人の目は開かれ、聞こえない人の耳は開けられる」(イザヤ35:5 フランシスコ会訳聖書)。闇に閉ざされた人は光を見、神の言葉の届かない人の耳は聞こえるようになり、神の言葉を聞く。
Ⅲ 国の光
イザヤ42:6
אֲנִי יהוה קרא בּ צֶדֶק ו חזק בּ יָד ו נצר ו נתן ל בְּרִית עַם ל אוֹר גּוֹי
聖書協会共同訳聖書
主である私は義をもってあなたを呼び/あなたの手を取り、あなたを守り/あなたを民の契約とし、諸国民の光とした。
「義の太陽 שֶׁמֶשׁ צְדָקָה」は人を照らす神の光であった。この「光」は癒しの光であり、闇に閉ざされた人を光の中に導き、神の言葉を聞くことのできなかった人の耳を開き、神の言葉を聞き従うようにされた。それが「神の光の癒し」であった。さらに、イザヤ42:6は神の光に呼び出された人の「手を取り、守り」、「神の民の契約 ל בְּרִית עַם」とし、「諸国民の光 ל אוֹר גּוֹי」とされた。
マタイ4:16
ὁ λαὸς ὁ καθήμενος ἐν σκότει φῶς εἶδεν μέγα, καὶ τοῖς καθημένοις ἐν χώρᾳ καὶ σκιᾷ θανάτου φῶς ἀνέτειλεν αὐτοῖς.
新改訳聖書
暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」
「暗やみの中にすわっていた民 ὁ καθήμενος ἐν σκότει」は、「異邦人(諸国民)のガリラヤ Γαλιλαία τῶν ἐθνῶν」(マタイ4:15)である。「神の光」はイスラエルのみならず、諸国民の上に昇り、「神の民」の契約とし、義をもって国を照らす光となられた。
ルカ1:78~79
διὰ σπλάγχνα ἐλέους θεοῦ ἡμῶν, ἐν οἷς ἐπισκέψεται ἡμᾶς ἀνατολὴ ἐξ ὕψους, ἐπιφᾶναι τοῖς ἐν σκότει καὶ σκιᾷ θανάτου καθημένοις, τοῦ κατευθῦναι τοὺς πόδας ἡμῶν εἰς ὁδὸν εἰρήνης
新改訳聖書
これはわれらの神の深いあわれみによる。そのあわれみにより、日の出がいと高き所からわれらを訪れ、暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、われらの足を平和の道に導く。
神の光が「義の太陽 שֶׁמֶשׁ צְדָקָה」として地に昇り、暗闇にある人を癒し、神の民として地を照らす光とされたことは「神の深い憐れみ πλάγχνα ἐλέους θεοῦ ἡμῶν」による。その憐れみにより、「暗黒と死の陰にすわる者たち ἐπιφᾶναι τοῖς ἐν σκότει καὶ σκιᾷ θανάτου καθημένοις」を照らし、わたしたちの足を「平和の道 εἰς ὁδὸν εἰρήνης」に導く。
(聖書研究ノート 00021-43-01-04-3 「神の光」 ヨハネ1:4)
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