ヨハネ1:3 万物は言によって成った。言によらずに成ったものは何一つなかった。聖書協会共同訳聖書
【中心聖句】 ヨハネ1:3
【聖書引照】 黙示4:11 ヘブル3:3~4 マタイ21:42 Ⅰペテロ2:9
「栄光と誉れと力」
Ⅰ 栄光と誉れと力
「私たちの主、また神よ/あなたこそ/栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。/あなたは万物を造られ/万物はあなたの御心によって存在し/また造られたからです。」 黙示4:11 聖書協会共同訳聖書
「万物」は「ことば ὁλόγος」によって成った(ヨハネ1:3)。それは神の「御心によって存在し/また造られた ὅτι σὺ ἔκτισας τὰ πάντα, καὶ διὰ τὸ θέλημά σου」(黙示4:11 聖書協会共同訳聖書)。「御心 θέλημα てれーマ」は「意志、思い、決意、熱望」の意で、万物は神が熱望され、強い意志によって創造された。神こそが、「栄光と誉れと力」を受けるにふさわしい。すべての被造物は、神の御心によって存在し、存在する自らにおいて、神に「栄光と誉れと力」を帰する。
Ⅱ 隅の親石
「家」よりも「家を建てた者」こそが、「栄光と誉れと力」を受ける。「万物を建てられた神」こそが栄光を受けるにふさわしい。
ヘブル3:3~4
聖書協会共同訳聖書
「家を建てた者が家そのものよりも尊ばれるように、イエスはモーセより大きな栄光を受けるにふさわしい者とされました。どんな家でも誰かが建てるものですが、万物を建てられたのは神なのです。」
しかし、神の「栄光と誉れと力」は「私たちの目には不思議」である。
マタイ21:42
聖書協会共同訳聖書 (詩篇118:22)
「イエスは言われた。「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。/『家を建てる者の捨てた石/これが隅の親石となった。/これは主がなさったことで/私たちの目には不思議なこと。』」
「家を建てる者(イスラエル)の捨てた石/これが隅の親石となった」。人々が捨てた「ことば ὁλόγος」、すなわちイエス・キリストは、十字架と復活によって、「隅の親石」として、神の宮はこの上に建てられるのである。これは、私達には理解しがたい、驚くべき「不思議 θαυμαστός たウマストス」である。
Ⅲ 驚くべき光の中へ
イエスによて現わされた「理解しがたい、驚くべき不思議 θαυμαστός たウマストス」は、闇の中にいる者を「驚くべき光の中へと招き入れてくださる」。それはまさに、「理解しがたい、驚くべき」内容をもって闇のにいる人々を照らすまばゆい光となったのである。
Ⅰペテロ2:9
聖書協会共同訳聖書
「しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある顕現を、あなたがたが広く伝えるためです。」
イザヤ9:6
口語訳聖書
「ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。」
(聖書研究ノート 00011-04-03-02 「栄光と誉れと力」 ヨハネ1:3)
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