聖書研究ノート「善を行うこと・悪を行うこと」

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ルカ6:9 イエスは言われた。「あなたがたに尋ねるが、安息日に許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、滅ぼすことか。」 (聖書協会共同訳聖書)

【中心聖句】 ルカ6:9
【聖書引照】 ルカ6:1~10  Ⅰテサロニケ2:20  Ⅰテサロニケ3:6 ヤコブ2:20

「善を行うこと・悪を行うこと」

イエスと弟子たちが安息日に麦畑を通ったときに、弟子たちが麦の穂を摘んで、手でもんで食べたことを、パリサイ人が「安息日にしてはならないことをした」と言って批判した。労働を禁じた安息日に麦の穂を摘んで、手でもむ行為は「刈入れと脱穀」の労働にあたるというのである。

そこで、イエスは手の萎えた人を癒されてから、パリサイ人に「安息日に許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか」と尋ねられた。(ルカ6:1~10)

「あなたがたに尋ねるが、安息日に許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、滅ぼすことか。」 ルカ6:9 聖書協会共同訳聖書

1)「善を行うことか ἀγαθοποιῆσαι」「悪を行うこと κακοποιέω」

「善を行うこと ἀγαθοποιέω」は「ἀγαθός  善」+「ποιέω  造る、創造する、用意する、整える」

「悪を行うこと κακοποιέω」は「κακός 悪」+「ποιέω  造る、創造する、用意する。整える」

「善を行うこと ἀγαθοποιέω」は、善を「造り、創造し、用意し、整える」ことであり、「悪を行うこと κακοποιέω」は、悪を「造り、創造し、用意し、整える」ことである。

2)「命を救うこと」「命を滅ぼすこと」

「命を救うこと ψυχὴν σῶσαι」は「ψυχὴν いのち、息、心、魂」を「σῴζω  救済する、死の危険からの解放する、救出する、保つ、癒す」こと。

「命を滅ぼすこと ψυχὴν ἀπολέσαι」は「ψυχὴν いのち、息、心、魂」を「ἀπόλλυμι  完全に滅ぼず、絶やす、破壊する、無にする、失う、殺す、消滅する」こと。

「命を救うこと ψυχὴν σῶσαι」は「ψυχὴν いのち、息、心、魂」を「救済する、死の危険からの解放する、救出する、保つ、癒す」ことであり、

「命を滅ぼすこと」は「ψυχὴν いのち、息、心、魂」を「完全に滅ぼず、絶やす、破壊する、無にする、失う、殺す、消滅する」ことである。

「善を行うこと ἀγαθοποιέω」の「善」とは「命を救うこと」であり、「悪を行うこと κακοποιέω」の「悪」とは「いのち、息、心、魂」を「完全に滅ぼず、絶やす、破壊する、無にする、失う、殺す、消滅する」ことである。

「罪を犯して打ち叩かれ、それを耐え忍んでも、何の誉れになるでしょうか。しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、これこそ神の御心に適うことです。」 Ⅰテサロニケ2:20 聖書協会共同訳

「例えばサラは、アブラハムを主人と呼んで、彼に従いました。あなたがたも、善を行い、また何事も恐れないなら、サラの子どもとなるのです。」 Ⅰテサロニケ3:6 聖書協会共同訳

「ああ、愚かな者よ、行いのない信仰は役に立たないということを知りたいのですか。」 ヤコブ2:20 聖書協会共同訳

「善を行うこと ἀγαθοποιέω」によって「苦しみを受ける」ことがあっても「それを耐え忍ぶなら、これこそ神の御心に適うこと」であり(Ⅰテサロニケ2:20)、「何事も恐れずに」行うべきである。(Ⅰテサロニケ3:6)

「善き行い」のない信仰は空しい。(ヤコブ2:20)

(聖書研究ノート 00009-03-06-09-1 「善を行うこと・悪を行うこと」 ルカ6:1~10)

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