ヨハネ1:2「この言は、初めに神と共にあった。」 聖書協会共同訳聖書
【中心聖句】 ヨハネ1:2
【聖書引照】 箴言8:22
「働きの初穂」
Ⅰ ヨハネ1:1,2について
ヨハネ1:2「 οὖτος ἦν ἐν ἀρχῇ πρὸς τὸν θεόν この言は、初めに神と共にあった」は、ヨハネ1:1「ὁ λόγος ἦν πρὸς τὸν θεόν, 言は神と共にあった」と同文であるが、同じフレーズの繰り返しではない。ヨハネ1:1はヨハネ1:1~18の序としてヨハネ1:2以下を要約し、ヨハネ1:2はヨハネ1:2~18の序としてヨハネ1:3以下を要約する。ヨハネ1:1~18はヨハネ全体の序となっている。
Ⅱ 「その道の初め」
ヨハネ1:2の「初め ἐν ἀρχῇ」は、天地創造の前を暗示する。そのことは、ヨハネの福音書が、福音の「初め」を天地創造がなされる前から説きおこすことを示すものである。箴言8:22~31は、ヨハネ1:1「ことば ὁ λόγος」が神に源を発することを記す。神は「その道の初め(その働きの初穂)」(箴言2:22 フランシスコ会訳聖書)として、「ことば ὁ λόγος」を得られた。
Ⅲ 働きの初穂
箴言8:22の「その業の初めに、わたしを造られた。」(箴言2:22 フランシスコ会訳聖書)の「造る קנה」は「得る」の意味を持ち、「造る」「創造する」の意である。
「主はその道の初めに私を造った/いにしえの御業の始まりとして。」 箴言8:22 聖書協会共同訳聖書
「主は、その働きの初穂として、その業の初めに、わたしを造られた。」 フランシスコ会訳聖書
神は創造の働きの初穂として、「ことば ロゴス」を造られた。そして、神はものごとの初めに、「ことば ロゴス」によって「私」を造られ、「私」を遣わされる。「私」とは神がその御業の初めとして、「在れ」と言われて存在に至った「私」である。
(聖書研究ノート 00007-04-01-02-1 「働きの初穂」 ヨハネ1:2)
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