Ⅰテサロニケ5:10 「主は、私たちのために死んでくださいました。それは、私たちが目覚めていても眠っていても、主と共に生きるためです。」 (聖書協会共同訳)
【中心聖句】 Ⅰテサロニケ5:10
【聖書引照】 Ⅰテサロニケ5:10 Ⅰテサロニケ5:1~2 (シラ書1:1)
「永遠のいのち」
「主は、私たちのために死んでくださいました。それは、私たちが目覚めていても眠っていても、主と共に生きるためです。 Ⅰテサロニケ5:10 聖書協会共同訳
Ⅰ 目覚めていても眠っていても
本節は「主の日」に関する教えである。その日、すなわち「主の日」には「目覚めていても、眠っていても」主とともに生きるようになる。「目覚めていても、眠っていても」(Ⅰテサロニケ5:10 聖書協会共同訳)は、「生きていても、死んでいても」の意味である。
「主の日」は「盗人のように」(Ⅰテサロニケ5:2 聖書協会共同訳聖書)来る。「その時と時期がいつなのかは」知る必要がない。われらは「目覚めていても眠っていても、主と共に生きる」(Ⅰテサロニケ5:10 聖書協会共同訳)のである。
「きょうだいたち、その時と時期がいつなのかは、あなたがたに書く必要はありません。主の日は、盗人が夜来るように来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。」 Ⅰテサロニケ5:1~2 聖書協会共同訳聖書
「主の日」は審判の日であるとともに、信じる者には「生にあっても」、「死にあっても」主とともに生きるいちである。
Ⅱ 永遠のいのち
「永遠のいのち」とは、「主にあるいのち」であり、「主とともに生きる」いのちである。(※ ヨハネ福音書1:1
聖書ノート「初めにことばがあった」及び「神と共に」参照)
ベン=シラの知恵にはこのように言われている。
「すべての知恵は主から出て、永遠に主とともにある」 シラ書1:1 フランシスコ会訳聖書
旧約聖書の「知恵」は、すなわち「ロゴス」なるイエス・キリストである。イエス・キリストは神から出て、神と共にあり、神であり、永遠である。「永遠 αἰών アイオーン 」は「時代、この世、現世」をさし、長い時、永遠を意味する。
「永遠」とは神と共にあることであり、「神の内にあるいのち」が「永遠のいのち」である。
永遠を信じる者は、「今この時」に自分の傍らにいます神を信じる。死はいのちによってその力を失う。それが「神の国」である。
(聖書研究ノート 00006-52-05-10-1 「永遠のいのち」 Ⅰテサロニケ5:10)
コメント