箴言1章7節

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ヱホバを畏るるは知識の本なり 愚なる者は智慧と訓誨とを軽んず

† 箴言

「ヱホバを畏るるは知識の本なり 愚なる者は智慧と訓誨とを軽んず」 箴言1:7 明治元訳聖書

「主を畏れることは知識の初め。しかし、愚かな者は知恵と教育をさげずむ」 フランシスコ会訳聖書

箴言1:1~6は序論であり、7節から箴言の本論となる。その冒頭に「主を畏れることは知識の初め」とあり、この標語は9:10、15:33、詩篇111:10、ヨブ28:28にも見られ、箴言全体の結論である。

したがって、冒頭におかれたこの箴言は、全箴言の検討を経たうえで到達すべき箴言である。

(箴言0007)

† 日本語訳聖書 Prov. 1:7

【明治元訳】 
Prov. 1:7 ヱホバを畏るるは知識の本なり 愚なる者は智慧と訓誨とを軽んず

【口語訳】
Prov. 1:7主を恐れることは知識のはじめである、愚かな者は知恵と教訓を軽んじる。

【新改訳改訂3】
Prov. 1:7【主】を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。

【新共同訳】
Prov. 1:7主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る。

【バルバロ訳】 
Prov. 1:7 神を恐れることが知識のもとなのに、愚かな者は知恵と教養を軽んじる。

【フランシスコ会訳】 
Prov. 1:7 主を畏れることは知識の初め。しかし、愚かな者は知恵と教育をさげずむ。

† 聖書引照 Prov. 1:7

Prov. 1:7 ヱホバを畏るるは知識の本なり 愚なる者は智慧と訓誨とを軽んず

[ヱホバを畏るるは知識の本なり]  箴言9:10; ヨブ28:28; 詩篇111:10; 112:1; 伝道12:13
[愚なる者は智慧と訓誨とを軽んず]  箴言1:22,29,30; 5:12,13; 15:5; 18:2; ヨハ3:18~21; ロマ1:28

† ヘブライ語聖書 Interlinear

Prov. 1:7

יִרְאַ֣ת יְ֭הוָה רֵאשִׁ֣ית דָּ֑עַת חָכְמָ֥ה וּ֝מוּסָ֗ר אֱוִילִ֥ים בָּֽזוּ׃ פ

yirə’aṯ yəhwâ rē’šîṯ dā‘aṯḥāḵəmâ ûmûsār ’ĕwîlîm bāzû: f

† LXX  Prov. 1:7

Pro 1:7

ἀρχὴ σοφίας φόβος θεοῦ σύνεσις δὲ ἀγαθὴ πᾶσι τοῖς ποιοῦσιν αὐτήν εὐσέβεια δὲ εἰς θεὸν ἀρχὴ αἰσθήσεως σοφίαν δὲ καὶ παιδείαν ἀσεβεῖς ἐξουθενήσουσιν
The fear of the Lord is the beginning of wisdom; and [there is] good understanding to all that practise it: and piety toward God is the beginning of discernment; but the ungodly will set at nought wisdom and instruction.

† ラテン語聖書

Latin Vulgate
Prov. 1:7

Timor Domini principium sapientiæ. Sapientiam, atque doctrinam stulti despiciunt.
The fear of the Lord is the beginning of wisdom. The foolish despise wisdom as well as doctrine.
~ The word ‘foolish’ is a better translation than ‘fools’ because ‘foolish’ describes a person by their behavior, which may change.

† 英語訳聖書

King James Version
1:7 The fear of the LORD is the beginning of knowledge: but fools despise wisdom and instruction.

New King James Version 
1:7 The fear of the Lord is the beginning of knowledge,But fools despise wisdom and instruction.

American Standard Version
1:7 The fear of Jehovah is the beginning of knowledge; But the foolish despise wisdom and instruction.

Bible in Basic English
1:7 The fear of the Lord is the start of knowledge: but the foolish have no use for wisdom and teaching.

Today’s English Version
1:7 To have knowledge, you must first have reverence for the Lord. Stupid people have no respect for wisdom and refuse to learn.

Darby’s English Translation
1:7 The fear of Jehovah is the beginning of knowledge: fools despise wisdom and instruction.

Douay Rheims Bible
1:7 The fear of the Lord is the beginning of wisdom. Fools despise wisdom and instruction.

Noah Webster Bible
1:7 The fear of the LORD is the beginning of knowledge: but fools despise wisdom and instruction.

World English Bible
1:7 The fear of Yahweh is the beginning of knowledge; But the foolish despise wisdom and instruction.

Young’s Literal Translation
1:7 Fear of Jehovah is a beginning of knowledge, Wisdom and instruction fools have despised!

Amplified Bible
1:7 The [reverent] fear of the Lord [that is, worshiping Him and regarding Him as truly awesome] is the beginning and the preeminent part of knowledge [its starting point and its essence];
But arrogant [a]fools despise [skillful and godly] wisdom and instruction and self-discipline.

Footnotes:
[a]In Proverbs various kinds of fools are discussed including those who are closed-minded, over-confident, and reject instruction and correction—the unteachable; those who lack spiritual insight—the spiritually blind; and those who are flippant, hardened, and who deliberately choose to reject God and wisdom—the arrogant.

† 細き聲 聖書研究ノート

 <主を畏れることは知識の初め>

「主を畏れるיִרְאַ֣ת イルレア yir‘âh {yir-aw‘}」は「畏怖」であって「怖れ」ではない。

「始め רֵאשִׁ֣ית  レーシース re’shiyth {ray-sheeth’}」は聖書の冒頭「元始に神天地を創造たまへり」創世1:1 に置かれた「始め רֵאשִׁ֣ית  レーシース」である。

「知識 דַּעַת  ダアツ da‛ath {dah‘-ath}」は箴言1:4の「拙者と少者」に隠されていた自らの存在の秘密に関する「理解(知恵と技術)」である。

創世記は人間の存在の「始め」を語り、箴言は神によって創造された人間存在の知識の始めを語る。箴言が関心を寄せるのは人間の生存に関わりのない「冷たい知識」ではなく、人間の存在を生み出し、いのちに方向を与え、生き抜くための「理解(知恵と技術)」であり、それが「主を畏れる」ことから来るという確信である。

 <しかし、愚かな者は知恵と教育をさげずむ>

「愚かな者  אֱוִיל  エヴィル ‘ĕvı̂yl {ev-eel‘}」は知識の不足した者のことではない。心のうちに神の存在を否定する者のことである。

「愚かなるものは心のうちに神なしといへり」 詩篇53:1 明治元訳聖書

「さげずむ בּוז ツヴズ bûz {booz}」は「軽蔑する、卑しめる」で、彼は箴言の「知恵と訓戒」に「恥」をかかせる。

† 心のデボーション  

「ヱホバを畏るるは知識の本なり 愚なる者は智慧と訓誨とを軽んず」 箴言1:7 明治元訳聖書

「主を畏れることは知識の初め。しかし、愚かな者は知恵と教育をさげずむ」 フランシスコ会訳聖書

 「知識の初め」

創世記はその冒頭に「はじめに、神は天と地を創造された」(創世1:1 フランシスコ会訳聖書)と語り、箴言は冒頭に「主を畏れることは知識の初め」と告げる。(箴言1:7 フランシスコ会訳聖書)

創世記は人間の存在の「始め」を語り、箴言は神によって創造された人間存在の知識の始めを語る「知識のはじめ」とは、創造に先立ってある「神のみことば」への「畏れ、畏敬」のうちにあらわされる。

この「知識」はすべての「知」のはじめである。

「太初に言あり、言は神と偕にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り、 萬の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし」 ヨハネ1:1~3 大正文語訳聖書

† 心のデボーション  

「ヱホバを畏るるは知識の本なり 愚なる者は智慧と訓誨とを軽んず」 箴言1:7 明治元訳聖書

「主を畏れることは知識の初め。しかし、愚かな者は知恵と教育をさげずむ」 フランシスコ会訳聖書

旧約聖書における「知識 ‎דַּעַת  ダアツ]は「知恵と技術」の2つの側面をカバーするものである。自らの存在の秘密に関する「理解(知恵と技術)」である。

 「知恵と技術」

「知識 ‎דַּעַת  ダアツ da‛ath {dah‘-ath}」は箴言1:4の「拙者と少者」に隠されていた自らの存在の秘密に関する「理解(知恵と技術)」である。箴言が関心を寄せるのは人間の生存に関わりのない「冷たい知識」ではなく、人間の存在を生み出し、いのちに方向を与え、生き抜くための「理解(知恵と技術)」である。それは「主を畏れる」という神への信仰の生き生きとしたかかわりのうちに経験されるいのちの営みである。

† 心のデボーション  

「ヱホバを畏るるは知識の本なり 愚なる者は智慧と訓誨とを軽んず」 箴言1:7 明治元訳聖書

「主を畏れることは知識の初め。しかし、愚かな者は知恵と教育をさげずむ」 フランシスコ会訳聖書

 「知恵をさげずむ」

「さげずむ בּוז ツヴズ bûz {booz}」は「軽蔑する、卑しめる」で、「知恵と訓戒」に「恥」をかかせること。

ただの「愚か者」にはできない。

† 心のデボーション  

「ヱホバを畏るるは知識の本なり 愚なる者は智慧と訓誨とを軽んず」 箴言1:7 明治元訳聖書

「主を畏れることは知識の初め。しかし、愚かな者は知恵と教育をさげずむ」 フランシスコ会訳聖書

 「神を拒む者」

「愚かな者  אֱוִיל  エヴィル ‘ĕvı̂yl {ev-eel‘}」は知識の不足した者のことではない。心のうちに神の存在を否定する者のことである。

「愚かなるものは心のうちに神なしといへり」 詩篇53:1 明治元訳聖書

† 心のデボーション  

「ヱホバを畏るるは知識の本なり 愚なる者は智慧と訓誨とを軽んず」 箴言1:7 明治元訳聖書

「主を畏れることは知識の初め。しかし、愚かな者は知恵と教育をさげずむ」 フランシスコ会訳聖書

 「自分の意見だけ」

「愚かな者は悟ることを喜ばず、ただ自分の意見を言い表わすことを喜ぶ」 箴言18:2 口語訳聖書

「愚かな者」は人に聞き、人から学ぶことがない。ただひたすらに「自分の意見だけ」を言いつのる。(箴言18:2 新改訳聖書)

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