「ざくろ(英名: pomegranate)」の和名は「石榴、柘榴、若榴」などと知られています。
秋になると実が割れてルビーのような実が美しく、いかにも美味しそうですが、そのまま食べても酸甘い汁がわずかに口に広がるだけで、種ばかりの印象しかありません。(アメリカで栽培されて日本に輸入される「ざくろ」はとても甘いそうです。)
日本には923年(延長元年)に中国からもたらされたという説や9世紀に朝鮮半島から伝来したといった説があるそうです。(「ウキペディア」より)
日本では食用というよりも鑑賞用の植木として庭に植えられてきたようです。
江戸時代の銭湯には湯船の入口に湯がさめるのを防ぐために戸板で覆っていました。風呂に入る人は身をかがめて中に入らなければなりませんでした。これが「石榴口」です。石榴の実は銅鏡の曇りを取り除くために磨く材料とされたところから、「鏡鋳る」と「かがんで入る」をかけたものなのですね。
聖書のざくろ
イスラエルがエジプトからカナンに入国する直前に12部族から選ばれた人々がカナンの地を探らせたとき、斥候達はカナンの地の豊かさを示すために、一房の葡萄の枝切り取り、それを二人が棒でかついできました。葡萄の他にざくろやいちじくも持ち帰りました。(民数13:23)
神の約束の地「カナン」は「小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろの地」と呼ばれたのです。
「あなたの神、主が、あなたを良い地に導き入れようとしておられるからである。そこは、水の流れと泉があり、谷間と山を流れ出た深い淵のある地、小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろの地、オリーブ油と蜜の地。」 申命8:7~8 新改訳聖書
ソロモンは花嫁の頬を「ざくろのようだ」とその美しさを讃えます・
「あなたのくちびるは紅の糸。あなたの口は愛らしい。あなたの頬は、顔おおいのうしろにあって、ざくろの片割れのようだ。」 雅歌4:3 新改訳聖書
食用ざくろ
日本では食用としては人気がないざくろですが、聖書の世界では愛された果物の一つです。
それは乾燥した中東では酢甘いざくろが喉を潤すジュースとして渇きを癒したからでしょう。どこでも、上質の水を簡単に汲める日本では想像できない貴重な果樹だったのです。その「ざくろの木」が豊かに実る地は、そのまま神の祝福の象徴とされたのです。
「ざくろ」は果汁をジュースにして飲んだり、濃縮したジュースは煮込み料理の味付けやスープに用いられたります。
カクテルに使われる赤いシロップ(グレナデンシロップ)は「ざくろシロップ」だそうです。
ざくろと聖母子像
1452年頃描かれたヒリッポ・リッチ「聖母子とマリヤ誕生の物語」には幼子イエスが手に「ざくろ」を持っています。ここでは「ざくろ」は十字架の受難をあらわしています。
こうなれば、「酸いだけで美味しくない」などと言わずに、カナンに入国するイスラエルの民が「ざくろの地」と知って喜ぶ思いをしのぶのもよいかもしれません。
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