焼麦

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「焼麦」といえばシュウマイと思われるかもしれません。 

中国で「焼」は「シャオ」で、「麦」は「マイ」で、麦(シャオ)でできたものを蒸したり焼いたり(マイ)するものを「焼麦 シャオマイ」といい、日本では長崎本線の始発駅の鳥栖で長崎にいた中国人から作り方を教わって販売された中央軒の「シュウマイ弁当」が「シュウマイ」として定着したものです。 

勿論、「焼麦 シャオマイ」は聖書の食べ物というわけではありません。 

ここで取り上げる聖書の食べ物は、文字通り麦を焼いただけの素朴な食べ物としての「焼麦」です。 

焼麦

ルツが落穂ひろいをしながら導かれたボアズの麦畑で、ボアズは貧しいルツに「炒り麦」をとってやり、ルツはそれを十分に食べて余りは残しておきます。(ルツ2:14) 

この時の「炒り麦」が焼麦です。 

焼麦は収穫したばかりの麦を穂のまま火で焼いたものを手でもんで殻をとったもので、麦の刈り入れ時の農繁期には、手軽につくれる労働者の食べ物でした。 

時間があれば、まだ乾かないうち麦粒を鍋で炒って殻を除いて作ることもできました。 

収穫の主に 

焼麦は農繁期の労働者が畑で食べる素朴な食料でしたが、そのまま収穫の主に感謝の供え物にもなりました。 

(レビ23:14) 人々は麦畑でその年の収穫を喜びながら、畑で作られた、穂を焼いただけの焼麦を、ます、収穫をもたらしてくださった神に、その日のうちに感謝の捧げものとしたのです。 

エジプトからヨルダン川を渡りカナンに入ったイスラエルの民はギルガルに宿営し、エリコの草原で過越しのいけにえを捧げます。その翌日から民はその地の麦で「種を入れないパン」と「炒り麦」を食べます。その翌日から「マナ」が降るのが止むのです。(ヨシュア5:11) 

「炒り麦」は民が約束の地カナンに入国し、その地の産物にを食する神の祝福の象徴的な食べ物だったのです。 

危機の食べ物

ダビデがソウル王の追跡を逃れる旅で、ダビデを認める人々は、必要な食料をダビデに提供しましたが、その中には必ず「炒り麦」が含まれています。(Ⅰサムエル25:18) 焼麦は荒野で飢え疲れた人々が手軽に飢えを満たし弱った体力を取り戻す危機の食料でもあったわけです。(Ⅰサムエル17:17、Ⅱサムエル17:28) 

食は人の生き方を象徴的にあらわします。食の意味を味わいつつ守る食生活を忘れないようにしたいと考えさせられます。 

「過越のいけにえをささげた翌日、彼らはその地の産物、「種を入れないパン」と、炒り麦を食べた。その日のうちであった。彼らがその地の産物を食べた翌日から、マナの降ることはやみ、イスラエル人には、もうマナはなかった。それで、彼らはその年のうちにカナンの地で収穫した物を食べた。」 ヨシュア5:11∼12 

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