パンと魚の奇跡の教会
ガリラヤ湖のカペナウムからバスで5分ほど走るとタプアに到着し、そこに「パンと魚の奇跡の教会」がある。
タプアという地名は「7つの泉(ギリシャ語のヘプタゴン)」から来たものとされ、付近に豊富な水量の泉がありガリラヤ湖に流れ込み、魚影の濃い漁場になってる。
現在の「パンと魚の奇跡の教会 Church of Multiplication of the Loaves and the Fishes」は1984年に5世紀のビザンチン教会を模して建てられた会堂で、「聖なる石」と床にビザンチン時代の「5つのパンと2つの魚」のモザイク画が見られる。(「パンと魚の奇跡の教会」は2015年6月17日にれロリストの放火により損傷を被ったが修復されている)
床のモザイク画には中央にパンの入ったパン籠と左右に2匹の魚が描かれている。
5つのパンと2匹の魚
「5つのパンと2匹の魚」のモザイク画は福音書からとられたものである。
バプテスマのヨハネが処刑されると群衆の間に衝撃が走り、人々はイエスの元に集結した。そのため食事をする時間もなかった。そこでイエスは弟子たちを強いて舟にのせ人里離れたところに送りだした。しかし、群衆は陸から舟の行く方向に先回りしてイエスを待ち受けた。岸は人々で埋め尽くされ、イエスは舟から群衆に教え始められた。
夕方になり夕餉の時になったが、方々の町々から集まった群衆はますます膨れ上がった。
弟子たちがイエスに「群衆を解散して、めいめいが自分の食べ物を買えるようにしてください」と訴えると、イエスは弟子たちに「あなたがたで、あの人々に何か食べ物を上げなさい」と言われた。
弟子たちはイエスの言葉に戸惑った。群衆の数は男だけで5000人もいたのである。
すると、弟子のアンデレが群衆の中から「5つのパンと2匹の魚」をもつ少年をイエスのところに連れてきた。
イエスは少年から「5つのパンと2匹の魚」を受け取り、感謝の祈りをささげてから、人々にわけてやられた。
群衆はパンと魚をたべ、あまったパン切れが12の籠に一杯になった。 (マタイ14:13~21 マルコ6:32~44 ルカ9:10~17 ヨハネ6:1~13
2匹の魚
4福音書に記され、子どもの頃から教会学校で聞いた大好きなお話です。
では、この時の「2匹の魚」はどのような「魚」だったのでしょうか?
場所がガリラヤ湖畔であつことから、ガリラヤ湖でとれる魚だったでしょう。少年が一回分の食事として携帯していたところから、お昼の弁当のようなものだったと思います。そうすれば、「魚」はガリラヤ湖のスズメダイやピラニヤの類ではなく、小魚だったでしょう。携帯してすぐに食べられるところから、塩を振って干した小魚だったのではないでしょうか。弁当としては珍しくないありふれた子どものお弁当だったのです。
私的には「二本の目刺しと塩むすび」といったところです。
あまりによく知られている「5つのパンと2匹の魚」ですが、その「魚」が何で、どのような料理をされたのかは突き止めることができません。したがって、今のところ、私たちが5000人の人々が食べたと同じものを味わうことはできません。関心をもつ料理家や研究者が突きとめてくれる日を楽しみに待ちたいと思います。
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