イエスは十字架の前日に12弟子たちと過越しの食事をとられました。これが「最後の晩餐」です。(マタイ26:20)
「最後の晩餐」で何を食べられたのか、聖書には記されていませんが、過越しの祭には羊が屠られて食べられましたので、主の食卓も羊の肉料理が準備されたと思います。
レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』
「最期の晩餐」は大勢の画家によって描かれていますが、メニューは子羊の肉料理とパンと葡萄酒になっています。
最もよく知られているのは、レオナルド・ダ・ヴィンチが1498年にドメニコ会修道院の食堂の壁画として作成した「最期の晩餐」でしょう。(サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会所有)
制作から数百年がたって、破損、汚れがひどくなり、ダ・ヴィンチの「最期の晩餐」のメインディッシュが何なのか分からなかったからなかったのですが、1999年に洗浄処理をしたところ、描かれたいたのは子羊の肉ではなく、魚だったことがわかったのです。
サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂の6世紀の「最期の晩」のモザイク画には、中央の大皿に2匹の魚がありますので、「最期の晩餐」の料理に「魚」を描くのはレオナルド・ダ・ヴィンチがはじめてということではありませんが、子羊の肉を描くのが当然の時代に、ダ・ヴィンチがあえて子羊ではなく魚を描いたのは何故でしょうか?
そこで、「最期の晩餐の料理」は「聖書の食べ物」の中に取り上げてもよいかと、胸を躍らせて調べてみました。
「魚」が初代教会で隠れた主イエスのシンボルであったことはよく知られています。
ギリシャ語で「イエス、キリスト、神の、子、救い主 ΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡ」の頭文字をとると「ΙΧΘΥΣ イクトゥス 魚」となるところから、「魚」は主イエスのシンボルとして使われたのです。
そこでレオナルド・ダ・ヴィンチは「最期の晩餐」のメインディッシュに主イエスのシンボルとしての「魚」を描くことで、十字架にかかられる「神の子イエスキリスト救い主」とその交わりをあらわそうとしたのかもしれません。
そうなると、レオナルド・ダ・ヴィンチが食卓に描いた「魚」が何だったのか気になります。
すると、近代の洗浄作業から中央の大皿と小皿にある「魚と黄色の野菜」と、ダ・ヴィンチの時代によく食べられた料理などから分析した結果、何と、食卓の「魚」は「うなぎ」であることがわかったというのです。
うなぎも一応「魚」ですが、旧約聖書には「忌むべき魚」として食べることが禁止されていました。レオナルド・ダ・ヴィンチがそれを知らないはずはありません。
「魚」が「うなぎ」であるとすれば、レオナルド・ダ・ヴィンチは、ユダヤ人が「汚れ」とした食材を、それも過越しの祭りの最中に、明日は十字架にかかられる主イエスが弟子たちと最後の夕食として食卓に描いたことになります。
レオナルド・ダ・ヴィンチの時代には「うなぎ」は好んで食べられる魚でした。ダ・ヴィンチ自身もうなぎ料理がすきだったようです。
しかし、それだけの理由で、レオナルド・ダ・ヴィンチが「最期の晩餐」にウナギ料理をメインディッシュに、主イエス・キリストの象徴でもある「魚」を忌むべき魚である「うなぎ」にした意図を説明することはできそうにありません。この謎はどのようにして解けばよいのでしょうか?
レオナルド・ダ・ヴィンチの「最期の晩餐」の食卓
レオナルド・ダ・ヴィンチの「最期の晩餐」の食卓には三枚の大皿があって一枚はイエスキリストの前に、他の皿はマタイとアンデレの前に置かれていて「魚」が盛られ、小皿には「魚の切り身」とレモンやオレンジのスライスが添えられています。食卓にはそれに加えてパンと赤ワインがあります・
そこから、東京には「衣をつけて素揚げしたうなぎとオレンジのスライス添え」を「レオナルド・ダ・ヴィンチの最期の晩餐料理」として提供するレストランもあるそうです。関心のある方はお試しください。
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