聖書でも魚は古くから主要な食料として認められてきました。
旧訳聖書によれば、魚なら何でも食べられるのではなく、「ひれと鱗のある魚」はすべて食べることができましたが、「ひれや鱗のない魚」は忌むべきものとして食べることは禁止されました。(レビ11:9~10)
たいていの魚は鱗がありますが、ギギ、ナマズ、シロウオ、アナハゼ、エイ、サメなどは鱗がありませんし、イカやタコは当然アウトです。
日本人の好きなウナギやドジョウは、一見鱗がないので「忌むべき魚」のリスト入りしていますが、実は皮膚の中に小さな鱗があるのだそうですが、見た目からしてダメなのでしょうね。
マタイ13:47~48には「天の御国」が「地引網」に譬えられています
「天の御国は、海におろしてあらゆる種類の魚を集める地引き網のようなものです。網がいっぱいになると岸に引き上げ、すわり込んで、良いものは器に入れ、悪いものは捨てるのです。」 マタイ13:47~48 新改訳聖書
海に降ろされた地引網は「あらゆる種類の魚」を集めますが、漁師は網を引き揚げると、岸にすわり込んで、良いものは器に入れ、悪いものは捨てなければなりませんでした。
「良いもの」は「ひれや鱗のある魚」で、せっかく獲れた魚でも「ひれや鱗のない魚」は「悪いもの」として捨てなければならなかったのです。
魚の好きな日本人には気になる教えですが、それは旧約聖書の時代に限られたことで、現代は何を食べても問題はなく美味しくいただけます。
隠れた信仰のシンボル
教会では「魚」は食べ物として主要なものですが、それとともに「信仰のシンボル」として使われてきた歴史があります。
二本の弧を「魚」を描いたもので「イクトゥス」と呼び、キリスト教の隠れたシンボルとされたのです。「イクトゥス」はギリシャ語で「魚」の意味です。
ギリシャ語で「イエス、キリスト、神の、子、救い主」は「ΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡ」で、その頭文字をとると「魚」を意味する「ΙΧΘΥΣ イクトゥス」となることから、初期のキリスト教徒が隠れた信仰のシンボルとして描くようになったのです。(「イクトゥス」は1~2世紀にエジプトのアレクサンドリアで始まったという説があります)
迫害の中で信仰を告白することは逮捕、投獄などに直結する大変危険な行為でした。そこで、一人の人が地面に棒で何気なくランダムな曲線を描きます。すると別の人がやって来て、その曲線にもう一本の曲線を加えて「魚」を作れば同じ信仰者であることを密かに伝えることができ、密かに連絡をとることができたのです。
その後、二本の線で描く「魚」に「ΙΧΘΥΣ」の文字を入れるようになり、今は「Jesus」の文字を入れる者も見かけます。
アスキーアート
アスキーアートの「イクトゥス」には、<>< <‘)))>< <º )))>< 等色々工夫されているようです。
(現代では自動車ナンバーの「PS23」を「私はクリスチャンです」の意味に使う人もいるそうです。「PS23」は「詩篇23篇」の意味です。)
聖書の食べ物の中で「うお 魚」は種類も多く、調理法も多様です。そのすべてを見ていくことはできませんので、次回は興味深い魚について幾つかをまとめてみたいと思います;
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