「たまねぎ」は料理に欠かせない野菜の一つで、食べない日はないくらいです。
意外なことに聖書にはたった一ヵ所だけ「たまねぎ」の名がみられるだけで、どのような料理に使われたのかを知ることはできません。
その一ヵ所は民数記11:4〜5にあります。
「また彼らのうちにいた多くの寄り集まりびとは欲心を起し、イスラエルの人々もまた再び泣いて言った、『ああ、肉が食べたい。われわれは思い起すが、エジプトでは、ただで、魚を食べた。きゅうりも、すいかも、にらも、たまねぎも、そして、にんにくも』」 民数11:5 口語訳聖書
モーセに導かれたイスラエル人が荒野で食料が尽きたとき神はマナを与えられました。甘い砂糖菓子のようなマナはイスラエル人を喜ばせましたが、来る日も来る日もマナを食べ続けることに不平を感じるようになり、「ああ、肉が食べたい。エジプトでは魚もたべたし、きゅうりも、すいかも、にらも、たまねぎも、そして、にんにくもただで食べられたではないか」とモーセにむかって大声で泣き声を上げたのです。
人間の「食べ物」への執着はあさましいものですね。
ここに読む「たまねぎ」はエジプト産のたまねぎで学名Allium Cepaといわれるユリ科の野菜です。
「Allium」は「辛い」という意味の言葉からきているそうです。
エジプトではピラミッドの建築など厳しい肉体労働に「きゅうりも、すいかも、にらも、たまねぎも、にんにく」はなくてならない野菜でした。
ヘロドトスはクフ王の大ピラミッドの碑文にはピラミッドの建設現場で消費された「たまねぎ、にんにく、はつか大根」の総額は銀1600タラント(現在の価格で12億5千万円)と刻まれていると記録しているそうです。(「新聖書大辞典」より)
イスラエル人は荒野でエジプトの苦役のときに食べた「たまねぎ」の味を思い出して、「ああ、たまねぎが食べたい」と不平をもらしたのです。
エジプトでは「たまねぎ」は生のまま齧るのが一般的な食べ方でした。「Allium 辛い」の名前もそこから来たのもです。
エジプトの砂漠の熱波にさらされながら、ピラミッドの巨石を運搬するのはつらい重労働で、生のまま齧るたまねぎの辛さはむしろ心地よい活力の回復を促してくれたのでしょう。
エジプトの苦役から解放されたイスラエル人たちが荒野で甘いマナよりも、苦役の象徴だった辛い「たまねぎ」を「ああ、食べたいものだ」と涙声で訴えるのは、「食べ物」が人にもたらす不思議な作用を思わずにいられませんね。
「聖書の食べ物」ということで「たまねぎ」料理をお考えでしたら、エジプト式にただの「丸かじり」をさせるというのはいかがでしょうか。洗うだけで料理の手間もかかりません。
ちなみに、私も家庭菜園で「たまねぎ」を植えるのですが、なぜか、いつもピンポン玉サイズにしかならず、うまくいきません。我が家では「一口サイズの丸ごとたまねぎスープ」が定番になっています。
「たまねぎ」は肥料を食いますので、畑が痩せているのが原因なのでしょう。
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