わたしの家では家族が丸いちゃぶ台に集まって食事をしました。ちゃぶ台の折りたたまれた足を出して準備するのが私の役割でした。
「食事」にはご飯を食べる以上に家族の絆が確かめられるような大切な時間があります。
伝道者は「食事をするのは笑うため。」(伝道10:19 新共同訳聖書)と語ります。聖書の時代から人が「笑いのある食卓」を大切にしたことがわかります。
食事を共にする
イスラエルの民は食事を共にする者は「互いに援助する関係」とされ、それを裏切ることは許されませんでした。(詩篇41:9)
アブラハムがマムレの樫の木のそばに天幕を張り、その入口に座っていたとき、荒野から3人の旅人がアブラハムに向かって来ます。アブラハムアは彼らを見るなり地に伏して、「どうか自分を素通りしないで下さい」と懇願し、大急ぎで「食事」の仕度に走ります。(創世18章)
3人のうち一人は神であったことが後にわかるのですが、この時のアブラハムにはまだ3人の旅人にしか見えません。食事を終えて、3人は立ち去る時、彼らは「わたしのしようとする事をアブラハムに隠してよいであろうか」(創世18:17 口語訳聖書)と語り、アブラハムにソドムとゴモラの審判を告げるのです。
「食事を共にする者は裏切ってはならない」というイスラエルの民の約束を主も守られ、アブラハムの食事を受けられた主は、アブラハムにすべてを明らかにされ、その祈りにもお答えになられるのです。
このような「食事」についての思いが、そのまま「主の晩餐」に、そして教会の「聖餐式」に繋がっていることは興味深いものがあります。
食事 朝昼晩
日本人の食事の回数は朝昼晩と一日三回が普通です。民族によっては一日4回、あるいは5回という習慣もあるそうです。
ヨーロッパでは長いこと一日2回とされ、現代は3回になっています。
聖書の時代にローマ兵は一日4回の食事を摂りました。これは「ローマ風の食事」と言われ、長い時間をかけて食べる贅をこらした豪華な食卓でした。
聖書の時代には、特別の人を除いて、一日2回、正午と夕刻の食事が摂られました。
ヨハネ21:12には復活されたイエスが弟子たちに「さあ来て、朝の食事をしなさい」と言われています。これは夜通しガリラヤの海で漁をしていた弟子たちに主がととのえられた朝食でした。これは特別のことで、むしろ、「朝から食事をする」のは褒められたことではなかったようです。(伝道10:16)
一般の労働者の摂る昼食はパンを酸いぶどう酒に浸して食べるだけの簡素なものでした。
そこで、イスラエル人には「夕食」が最も大切な食卓になりました。
夕食にはパンと酸いぶどう酒、そして肉が焼かれ、魚料理等が準備されました。
食卓
パレスチナでは食事は、人々が床に横たわり、足を伸ばして寝そべる姿勢で位置につき、中央の低いテーブルから食物をとって食べるのが普通でした。この姿勢でぶどう酒を飲むのは都合が悪いので、乾杯の時には体を起こしてぶどう酒を飲み、また横たえたのです。
レオナルド・ダ・ヴィンチ の描いた「最後の晩餐」は西洋式の長いテーブルに主イエスと12弟子が椅子に座って食事をしているのですが、実際には、主と12弟子は部屋の床に寝そべるような形で食事を摂られたのです。
ダ・ヴィンチはそれを知っていましたが、あえてダ・ヴィンチの生きた時代の食事の風景として「最後の晩餐」を描いたのでしょう。
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