「しお」は古代から人間の歴史と深くかかわってきました。
日本でも縄文時代から海岸で造られる「しお」は「黒曜石の矢じり」などと交換される貴重なものでした。
奈良時代に中国から伝わった「醤 ひしお」は豆と塩からつくられた「豆醤」で、その後、醤油や味噌として日本人の味覚に欠かせない調味料になっています。
聖書の中のしお
死海は長年ヨルダン川の水が流れ込み自然蒸発して塩分が普通の6倍にも濃くなった「塩の海」です。聖地旅行では泳げなくても身体が海に浮くので人気があります。
死海南西岸には岩塩が露出した断崖が11㎞にわたって続く場所ジェベル・ウスドウムがあります。
アブラハムの甥ロトは死海の町ソドムに住んでいましたが、ソドムとゴモラの罪が裁かれて滅びたとき、天使に導かれてソドムを脱出します。ロトの妻は「振り返ってはいけない」という言葉に背いて滅びていくソドムを振り返ったので地から吹きあがある塩に包まれて、「塩の柱」になっています。
現在でも「ソドムの山」には「ロトの妻」と呼ばれる岩塩の柱が見られるそうです。
塩味
聖書の「しお」は岩塩でした。
ヨブ記には「しお味」について次のような言葉があります。
「味のない物は塩がなくて食べられようか。卵のしろみに味があろうか。私はそんなものに触れるまい。それは私には腐った食物のようだ。」
ヨブ6:6~7 新改訳聖書
「味のない物」は「すべりひゆの汁」とも訳されるギリシャ語です。
「すべりひゆ」は畑に生える野草で食べることもできます。畑に生えると種を散らしていくらでも生えるやっかいな雑草です。これをいれた「汁」は独特のぬめりがあり、塩で味つしなければとうてい食べられないものの一つとしてとりあげられたのです。さらにもう一つ、卵の白身も塩なしで食べられるだろうかといい、すべりひゆも卵の白身も、塩がなければ「腐った食物」のようだというのです。
「しお」はあらゆる食材に欠かすことの出来ない調味料なのです。
マタイ5:13ではクリスチャンは「地の塩」と呼ばれています。
「あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。」 マタ5:13 新改訳聖書
「塩けをなくした塩」とは、蓄えられた岩塩から徐々に「塩気」が失われることで、ただの土塊となってしまった岩塩は肥料にもならず、ただ「外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけ」になります。
コロサイ4:6には「地の塩」の意味が次のように説明されています。
「あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります。」 コロサイ4:6 新改訳聖書
「塩味のきいたことば」とは「良く味つけられたことば」です。
レビ記には神へのささげものには必ず「しお」が添えられなければならないと教えられています。
「あなたの穀物のささげ物にはすべて、塩で味をつけなければならない。あなたの穀物のささげ物にあなたの神の契約の塩を欠かしてはならない。あなたのささげ物には、いつでも塩を添えてささげなければならない。」レビ2:13 新改訳聖書
「良く味つけられたことば」とは神にささげられたことばであり、その塩気が失われたクリスチャンばただの役にたたない土塊にすぎません。
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