おおむぎ

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「おおむぎ」は古代ユーフラテスから肥沃な三角地帯でさかんに栽培され、エジプトでは主食のパンを焼き、ビールの原料にされました。当時のピールはおおむぎからパンをつくる過程で偶然発見されたものだそうです。

聖書には古くから主要な穀物として「大麦と小麦」が記録されています。モーセに導かれたイスラエルの民の「約束の地」には「小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろの地」でした。(申命8:8)

(ちなみに、古代イスラエル人の飲み物はぶどう酒と知られているが、大麦からビールをつくって飲んだかどうかについてはよくわかっていない。聖書の「強い飲み物」「醗酵した飲み物」がビールではないかとの説もあるが、断定はできません。箴言20:1には「ぶどう酒は、あざける者。強い酒は、騒ぐ者。これに惑わされる者は、みな知恵がない。」と記され、飲酒には注意深い配慮がなされています。) 

大麦と小麦

英語で大麦はbarley、小麦はwheatで、麦粒は似たような大きさで大小の区別はありません。和名「大麦・小麦」がどのような由来をもつかは諸説あります。小麦が粉としてパンに用いられて使い道が「小さい、限られている」のに対して大麦はビールなど「大きな、色々な」使い道があったことからというのもその一つです。

「小麦と大麦」は共にパンを焼くのに使われましたが、大麦はグルテンを含まないのに対して、小麦はグルテンを多く含みパンに適し、次第に大麦よりも小麦のパンが好まれるようになったようです。

ボアズの麦畑

ルツ記には夫と二人の息子をモアブの地で失ったナオミが息子の嫁ルツとともにユダのベツレヘムに引き上げてきて、モアブの女ルツが落穂拾いをして僅かの糧を集める場面があります。

刈り入れのとき畑に落ちた「落穂拾い」は貧しい人々に許されたユダヤの習慣でした。ルツは麦の落穂を拾いながら、知らずにナオミの親戚であったボアズの畑に入ったのです。

この時、ルツの集めた落穂は「おおむぎ」でした。

大麦は5月末に刈り入れがはじまります。一か月ほどで大麦の刈り入れが終ると小麦の刈り入れになるのです。

ボアズは「大麦と小麦」の畑を所有する大農家だったのです。

イスラエルでは小麦と大麦の両方でパンが焼かれていました。味のよい小麦のパンが上等なパンとされたのに対して、収穫量は小麦の5割増しにもなる大麦は劣ったパンとして貧しい人々の糧とされていました。

聖書の食べ物「うお 二匹の魚」で取り上げた少年が持っていた「5つのパンと2匹の魚」の「5つのパン」も大麦のパンです。主イエスは貧しい人々の糧である「大麦のパン」を受け取り、感謝の祈りをささげてから、人々にわけられたのです。群衆は男だけで5000人もいましたが、パンと魚を食べたのです。群衆が十分に食べ終わると主は弟子たちに命じて、あまったパン切れを集めると12の籠に一杯になったのです。 (マタイ14:13~21 マルコ6:32~44 ルカ9:10~17 ヨハネ6:1~13)

ルツは上質な「小麦」ではなく貧しい者の糧である「大麦」の落穂を拾っていたときに、ボアズと運命的な出会いをはたします。それは少年の貧しいい大麦パンを祝福され、それを食べ、余ったパン屑まで集められる主イエスとの出会いにも通じるようです。

こうしてルツはボアズの畑にとどまり、大麦の刈り入れと小麦の刈り入れが終るまで落穂を集めたのです。(ルツ記2:23)

その後、ツルは夫を失って子のいない女の「買戻し婚姻」の定めに従いボアズと結婚します。ルツは男の子を生みオベデと名づけます。オベデの子はエッサイ、エッサイの子はダビデです。主イエスキリストはダビデの子としてお生まれになるのです。

大麦の料理

大麦は古くは炒って粉にしたものを水に溶かしたり、粒のまま粥にしたりして食べたようです。やがて大麦のパンに焼かれるようになります。しかしパンに適した小麦が登場すると大麦はビールの原料や馬やロバなどの家畜の飼料として使われるようになります。しかし、すべてのパンが小麦で焼かれたのではなく、貧しい人々のパンとして焼かれていましたし、大麦は神へ捧げものでもあったのです。(民数記5:15)

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