「にわとり」はパレスティナでは古くから知られ、庶民の生活にとけこんでいたようです。
箴言には、歩きぶりの堂々としたものが四つあり、「雄獅子、いばって歩くおんどりと、雄やぎ、軍隊を率いる王」だというのです。(箴言30:31)
立派な鶏冠を立てて、雌にわとりを率いて歩くにわとりは威風堂々とした姿に見えたのでしょう。わとりと一緒にされた「軍隊を率いる王」はあまり良い気分ではなかったかもしれません。この箴言は「歩きぶりの堂々としたもの」を密かに笑っているのかもしれませんね。
イエスは御自分を石で打とうとするエルサレムに向かって、「わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。」(マタイ23:37)と悲しまれています。
雛を翼の下に集めるにわとりの愛の深さがたとえられているのです。
ペテロは、イエスを知らないと三度否定したとき、予告通りににわとりが鳴きます。(マタイ23:74~75) にわとりが「正確な時」を知らせることはよく知られており、ここではペテロに正確な神のことばを伝える役割を担っています。
にわとりの肉料理
預言者ネヘミヤは「ユダヤ人の代表者たち百五十人と、回りの国々から来る者たち」を食事にまねいて、彼らには「一日に牛一頭、えり抜きの羊六頭」を料理したが、エレミヤ自身は「鶏」を料理したと語っています。(ネヘミヤ記5:17~18)
旧約聖書の時代から、すでに養鶏がされており、卵と肉が料理されていたことがわかります。
牛や羊の肉が高級なもてなしの料理とされたのに対して、にわとりの肉は安価で庶民の食べ物であったようです。
ターキーとチキン
クリスマスの御馳走といえばターキーですね。クリスマスや感謝祭には必ず七面鳥の丸焼きが出されます。
クリスマスに七面鳥を食べるようになったのは意外に歴史が浅く、1620年、メイフラワー号でアメリカ大陸に上陸した清教徒が初めての収穫を祝って感謝祭で七面鳥を料理したのが始まりだそうです。
それまで、クリスマスには鶏を食べていたのですが、にわとりでは大家族には足りないので安くて肉の量の多い七面鳥の丸焼きにするようになったとのことです。
ちなみに、我が家ではクリスマスにはケンタッキー・フライド・チキンと決めています。
アメリカでは感謝祭(11月の第4木曜日)には、ホワイトハウスで現職の大統領が七面鳥を放鳥して「恩赦」を与える習慣があるそうです。これはジョン・F・ケネディ大統領に「美味しく食べてね、大統領」と書かれた札を首にかけた七面鳥をケネディ大統領が食べなかったことから始まったとされています。放鳥された七面鳥は農場で余生を送るのだそうです。
ターキーとチキンのお話は聖書とは直接関係はありませんが、集めてみると面白いお話が世界中にあります。
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