家庭菜園の定番「きゅうり」です。夏にはかかせない野菜ですが、収穫の始まる頃は丁度良いサイズになるのを心待ちにしたのに、終わりのころはとり残されて腕の太さにもなって畑にころがっていたりします。
エジプトを脱出したイスラエルの人々は、荒野で少ない食料に不平をおぼえ、エジプトでの豊かな食生活を思い出して、「ああ、肉が食べたい。エジプトで、ただで魚を食べていたことを思い出す。きゅうりも、すいか、にら、たまねぎ、にんにくも。」とモーセにつめよっています。(民数11:4~5 新改訳聖書)
きゅうりはエジプトやパレスチナでは古くから栽培されていました。ことに「エジプト・キュウリ Egptian cucumber」は細長く水分が多いので、乾燥したエジプトでは大層このまれた野菜でした。
イスラエルの人々は乾燥した荒地を旅するうちに「喉の渇きを癒してくれるエジプト・キュウリをたらふく食べたことを思い出したのです。
きゅうりの栽培
イザヤ書には神を捨てたイスラエルの惨めな姿を「あたかもきゅうり畑の番小屋のよう」と表現されています。(イザヤ1:8)
最近は都会の家庭菜園で栽培する「きゅうり」も、そろそろ収穫という時に、思わぬものに狙われて悔しい思いをします。不届きな犯人は「カラス」です。空から食べごろを狙って人の来ない早朝に柔らかいところを食べるのです。山すその畑では猪や鹿や猿など狙われたら畑ごと荒らされます。
聖書の時代にも事情は似たようなもので、荒野のジャッカルなどの獣の害が多発しました。そこで人々はきゅうり畑に粗末な「番小屋」をつくり、泊まり込みで見張ったのです。きゅうりの収穫が終ると、番小屋は畑にそのまま放置され朽ちるままにされました。
イザヤ書の「きゅうり畑の番小屋」は朽ちて形もさだかではない有様を、神から離れた民の「荒廃」のたとえとしていわれたものです。
エレミヤ書には「きゅうり畑のかかし」という言葉が読めます。(エレミヤ10:5)
イスラエルのきゅうりを狙ったのはジャッカルばかりではなく、鳥も警戒しなければなりませんでした。そこで人々は「かかし」をつくってきゅうり畑に立てたのです。このあたりの事情は日本の田んぼの「かかし」と同じですね。
エレミヤの「きゅうり畑のかかし」は「神を知らない異邦人」が「物も言えず、歩けず、わざわいも幸いも下せない」ことの喩えです。
イスラエルではきゅうりは畑に栽培され、かかしを立てたり番小屋で寝ずの番をしてまで育てた大切な野菜であったことがわかります。
イスラエルのサラダ
きゅうりの料理は中華料理では煮たり炒めたりする料理がありますが、シンプルに生かじりするのが世界共通の食べ方のようです。
ここては「イスラエルのサラダ」を紹介しておきます。
食材は「トマト、きゅうり、玉葱、ピーマン」などをそれそれ小さく角切りにし、ボールにレモンを絞り、オリーブオイル、塩、胡椒をよく混ぜて、角切りにした野菜を和えれば完成です。
「パセリ、ミント、コリアンダー」などのハープを刻んで好みの香りづけをすると楽しみも倍加します。
私の好みは「もろきゅう」ですが、味噌は黒くなった3年物があれば最高です。これは農家の自家製の味噌の樽の周辺の部分をかきとったものです。モーセやアロンが食べたらどんな顔をすることでしょうか。
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