「屑麦」は聖書の中ではアモス書に一度だけ出て来る珍しい言葉です。
「弱い者を金で、貧しい者を靴一足の値で買い取ろう。また、くず麦を売ろう」 アモス8:6 新共同訳聖書
ここでは「屑麦」を貧しい人々に売るために集めて回る商人が責められているのです。
「屑麦」はヘブライ語は「落ちる」から派生した言葉で「落ちた小麦」の意味です。
収穫された小麦はふるいにかけて稔った麦と見のない空の麦を分けます。ふるいによって「空麦」は風に飛ばされて地に落ちます。
「屑麦」は中身のない「粃 しいな」のことです。殻だけで中身のない籾にすぎません。ですから、ふるいにかけたあとの屑麦は集めて燃やすしかありません。
しかし、その「屑麦」を買い集める商人がいて、この商人に屑麦を売る農夫がいたのです。商人は貧しい人々に売るために屑麦を買い求め、農夫は商人が屑麦をどうするかを知りながら売ったのです。
「屑麦」は痩せてはいても麦の形をしていますので、貧しい人々は僅かの金を払って買ってしまいますが、中身は空ですから食べ物の足しにもなりません。屑麦を売り買いする農夫と商人は貧しい人々の貴重な蓄えを意味のないものでだましとったのです。
そこで、預言者アモスは、そのような「屑麦」を売ることも買うことも厳しく非難しているのです。(アモス2:6,8:6)
箴言は「貧しい人に与える人は欠乏することがない。目を覆っている者は多くの呪いを受ける」と語ります。(箴言28:27 新共同訳聖書)
神は「喜んで与える人を愛してくださいます」、ですから「ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてで
もなく、心で決めたとおりにしなさい。」(Ⅱコリント9:7 新改訳聖書)というのが聖書の教えです。神は
ボアズは刈り取ったよい麦の穂を畑に残し、貧しいルツが落穂として拾うことができるように配慮しています。(ルツ2:23)
今回は食べることの出来ない聖書の食べ物のお話でした。
コメント