羊肉はマトン Mutton、子羊はラム Lambと知られ、日本では北海道でジンギスカン向けに羊が飼育されていますが、大体のマトンとラム肉はオーストラリアやニュージーランドから輸入されています。
ラム Lamb
「こひつじ」は生後1年以内の羊肉ですが、牧場では羊も子羊も一緒に飼われているので正確に一年以内と特定することは無理なので、永久門歯の数を基準にして判断するのだそうです。大体、生後4~10ケ月、20㎏前後の羊になります。
聖書とこひつじ
聖書では、富める人々の食卓に「こひつじ」の料理が並べられました。(アモス6:4)
しかし、イスラエルの民にとって「こひつじ」は単なる食材以上の深い意味をもつものでした。
アダムの二人の息子のカインとアベルのうち、兄のカインは地を耕す者で「地の作物」を神にささげ、弟アベルは羊飼いで、羊の初子の中から最良の「こひつじ」をささげ、神はアベルの「こひつじ」のささべものに目を留められました。(創世4:4)
アブラハムが老いてから与えられた息子イサクを「全焼のいけにえ」として捧げよと命じられたとき、若いイサクは父アブラハムが「全焼のこひつじ」の準備をしていないのに気づいて、「全焼のいけにえのための羊(こひつじ)はどこにあるのですか」と問いかけます。アブラハムは「神御自身が備えて下さる」とだけ答えます。
アブラハムが息子イサクを「全焼のいけにえ」として殺そうと刃物を振り上げたとき、神はアブラハムをとどめられ、見ると一頭の雄の羊が角を藪にかけているのが見えたのです。(創世22:1~14)
聖書では「こひつじ」は、まず。神へのささげものでした。
イスラエルの民がエジプトから脱出する最後の夜に、神は家ごとに傷のない1歳の雄の「こひつじ」を屠り、その血を二本の門柱とかもいに塗り、その肉を火に焼いて、種を入れないパンと苦菜を添えて食べるように命じられました。(出エジプト12:3~14)
その夜、神の使いがエジプトの地を巡り、「こひつじの血のしるし」のない家の初子を打たれ、「こひつじの血のしるし」のある家を「過ぎ越され」たのです。
こうして、その次の日、イスラエルの民はエジプトを脱出したのです。イスラエルの民はこの日を「過越しの祭」として代々守ることが命じられたのです。
このようにして、イスラエルの民にとって、「こひつじ」は食用というよりも、神への捧げものとして信仰の告白をともなうささげものとなったのです。
見よ、神のこひつじ
バプテスマのヨハネはヨルダン川で人々に水のバプテスマを授けていましたが、人々の群れの中にイエスを見出すと「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1:29 新改訳聖書)と叫びます。
イエスこそが「ほふり場にひかれて行く小羊のように」(イザヤ53:7 口語訳聖書)。十字架にかけられ、神への「なだめの供え物」となられたのです。
新約聖書は旧約聖書のいけにえとして捧げらた「こひつじ」を「世の罪を取り除く神の小羊」として十字架にかかられたイエス・キリストとして律法の完成(救いの成就)としたのです。
黙示録では。終末の日に御使いたちが次のように大声で語るのを聞きます。
「彼らは大声で言った。『ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。』」 黙示5:12 新改訳聖書
旧約聖書の「こひつじ」と種なしパンと苦菜を添える「過越しの食事」を再現してみるのも良いかもしれません。
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