「いなご」は海の遠い長野県や群馬県の山間部では海産物が少ないことからいなごを貴重なタンパク源として普通に食べられていました。
群馬県で育った私は秋になると稲田にいなごをとりに行き、手拭いで作った袋に捕まえたいなごを入れて帰ったものです。捕まえたいなごは一晩おいて糞をさせ、足と羽根をむしって佃煮にして食卓に出されました。
今は農薬のために稲田にいなごの姿をみることも少なくなり、お土産のいなごの佃煮が瓶詰になって販売されているのを懐かしく見るほどで、一般の家庭で手作りする光景はなくなりました。
旧約聖書の教え
旧約聖書は、「羽があって四つの足で歩くすべての這うもの」は「忌むべきもの」として食べることを禁止しています。
(レビ11:20)昆虫は基本的に食べてはならなかったのです。
しかし、「羽があって四つの足で歩くすべての這うもののうち、その足のうえに、跳ね足があり、それで地の上をはねるもの」は「食べることができる」とし、「移住いなご、遍歴いなご、大いなご、小いなご」の4種類を定めています。この4種類以外の「かみ喰ういなご、群がるいなご、飛びいなご、滅ぼすいなご」などは「そのほかのすべての這うもの」として「忌むべきもの」として食べることはできませんでした。
(レビ11:20~24 参照)
食べることのできた4種類のなかで「移住いなご」と言われるのはヘブライ語「アルベ」といういなごで、もっとも多く聖書に「いなご」として登場します。出エジプト記でエジプトに災害をもたらした「いなごの大群」はこの「アルベ」でした。(出エジプト10:1~20)
バプテスマのヨハネの食事
では旧約聖書の人々はいなごをどのようにして食べたのでしょうか? 残念ながら、旧約聖書にそれをうかがうことはできません。ただ、新約聖書にはバプテスマのヨハネがいなごを食べたと記されています。
「ヨハネは、身にらくだの毛衣をまとい、腰には皮の帯をしめていた。食べ物はいなごと野蜜であった」 マタイ3:4 フランシスコ会訳聖書
バプテスマのヨハネがいなごをどのようにして食べたかはわかりませんが、おそらく、いなごを捕まえて、枝に串刺しにしたものを火で炙り、塩をつけて食べたのではないでしょうか?
それにしても、「いなごと野蜜」でお腹を満たすというのはあまりに厳しい生活です。
一般の家庭では茹でたり、油で揚げたりして食べられました。
いなごのもう一つの食べ方は、乾燥して砕いて粉にしたいなごをパン生地に混ぜて焼き菓子にするものです。イスラエルには現在もいなごの粉を製造する工場があり、いなご粉は出汁につかわれるそうです。
いなごの佃煮
バプテスマのヨハネの食事を偲ぶことができるかどうかわかりませんが、日本にあるいなごの佃煮の作り方は次のようなものです。
生け捕りにしたいなごは一晩おいて糞をさせ、熱湯をかけて洗ってから煮つけます。この時番茶で煮ると臭みがとれるそうです。煮あがったものに醤油、砂糖を加えて味付けし、仕上げに水あめで艶をだせば出来上がりです。
いなごの天ぷらも悪くはありません。そのときは羽根と足はもいだほうが食べやすいです。
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