「いちじく」はヘブライ語で「テエーナー」、ギリシャ語で「シュケー」です。
子どもの頃、「いちじく」は遊び場にある木で、その甘い実をもいて食べるのは密やかな楽しみでした。でも、いちじくは上手に食べないと口の周りがただれて、こすると赤くかぶれるので、やっかいな木の実でもありました。
聖書の中で「いちじく」は重要な食糧の一つです。ユダヤ人の土地は荒れ地が多く、採れる食料は十分とはいえず、それに加えて周期的な飢饉に見舞われるため、飢えとの闘いは深刻な問題でした。そこで、収穫した食料は可能なかぎり備蓄する方法が古くから考えられました。
オリーブからは油を絞り、ブドウやいちじくは乾燥して干しブドウや干しいちじくとして、万一のために備蓄したのです。
アダムといちじく
アダムとエバは禁じられた「善悪を知る木の実」を食べたことから、「自分たちが裸であること」を知って、「いちじくの葉」をつづり合わせて自分たちの裸を覆います。(創世3:6∼7)
「いちじくの木」はエデンの園に生えていて、アダムたちのなじんだ果樹でした。しかし今や、甘い実をとるのではなく、その葉を切り取って「罪を覆う」ために使わなければならなかったのです。
やがて、荒野の40年の後にイスラエルの民がカナンに入ったとき、モーセは「あなたの神、主が、あなたを良い地に導き入れようとしておられるからである。そこは、水の流れと泉があり、谷間と山を流れ出た深い淵のある地、小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろの地、オリーブ油と蜜の地。」と告げます。(申命8:7~8 新改訳聖書)
約束の「谷間と山を流れ出た深い淵のある地」の果樹の中に「いちじくの木」があります。アダムとエバがその葉を切り取らなければならなかったいちじくの木は再び豊かな実りをイスラエルの民に約束したのです。
イスラエルの「いちじくの木」は高さ3~5m、枝の幅は8~10mに広がる大きな樹で、神の祝福をあらわす樹です。
「種はまだ穀物倉にあるだろうか。ぶどうの木、いちじくの木、ざくろの木、オリーブの木は、まだ実を結ばないだろうか。きょうから後、わたしは祝福しよう」 ハガイ書2:19 新改訳聖書
イスラエルの青いいちじく
イスラエルのいちじくの熟した実は日本のいちじくのように赤黒い色ではなく、未熟な緑色のまま成熟します。ふくらんでやや黄色になってもまだ青いので、熟していないと思うのは間違いで、割ると赤く熟れているのです。
イスラエルのいちじくは年2回結実します。早なりは3月に小さな実をつけ「青い実」と呼ばれます。成長すると風に吹かれても落果し、人々は拾って食べたり、市場で売られたりします。続く遅なりのいちじくは6月~8月に収穫されるもので、人々はいちじくの実をみて季節が夏に向かうのを知りました。(マタイ24:32)
いちじくの料理
イスラエルのいちじくは、そのまま食べられましたが、多くは乾燥させて「干しいちじく」にして貴重な保存食としました。干しいちじくは紐を通したり、平たい円盤のような形に押し固めたりされました。これをナイフで薄くスライスして食べたり、甘いお菓子に仕立てられました。
パイ生地に干しいちじくを細かくカットしたものを包んで焼けば中東の伝統的なお菓子「バクラヴァ」の出来上がりです。
いちじくの木の下で
「いちじくの木」の木陰は気持ちのよい風が吹き、「いちじくの木の下」は祈りと瞑想の場とされました。
イエスの12弟子の一人ナタナエル(マタイ10:3 バルトロマイ)は「いちじくの木の下にいる」のを主イエスに見出されて弟子になります。(ヨハネ1:43~51)ナタナエルはいちじくの木の下で祈っていたのです。
「人はそれぞれ自分のぶどうの木の下、いちじくの木の下に座り…、私たちは、世々限りなく、私たちの神、主の御名によって歩もう。」 ミカ4:4,5 新改訳聖書
「私のいちじくの木」の下に座ることのできる人はなんと幸いなことでしょうか。
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