乳飲み子

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世界の家族がそうであるように、ユダヤの家庭でも子どもの誕生は大きな喜びをもって迎えられました。子どもが生まれるとすぐに大祝宴が開かれ、家族、友人、隣人が招かれるのが慣例でした。

「見よ。子どもたちは主の賜物、胎の実は報酬である。若い時の子らは、まさに勇士の手にある矢のようだ」 新改訳聖書

エジプトの助産婦がパロに「ヘブル人の女はエジプト人の女と違って活力があるので、助産婦が行く前に産んでしまうのです」(出エ1:19 新改訳聖書)と報告しているところから、ユダヤの女性は一人で出産することができ、比較的、楽に子どもを生むことができたようです。

出産に父親が立ち会うことは許されず、部屋の外で我が子の誕生を待つことしかできませんでした。赤ん坊は誕生すると塩で身体を拭い、産湯につかって、産着にくるまれてはじめて父親の膝におかれたのです。

ユダヤ人の子どもは母乳で育てられるのが原則で、疫病から守るためにも、2~3歳になるまで続きました。

「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか」 イザヤ49:15 新改訳聖書

ヘブライ語で「乳飲み子」は「吸う、吸わせる」という動詞から来ており、「乳を吸わせる」の意味です。乳飲み子は成長すると乳離れの日を迎えます。

「その子は育って乳離れした。アブラハムはイサクの乳離れの日に、盛大な宴会を催した」 創世21:8 新改訳聖書

母乳で大切に育てられた子どもが乳離れの日が来ると、健やかに成長を祝って「盛大な宴会」が催されたのです。

「聖書の食べ物」としては、聖書の時代にユダヤ人は子どもにどのような「離乳食」を与えたのか、知りたいところですが、力不足で詳細を知ることができません。おそらく、特別の「離乳食」などなくて、大人と同じ食べ物を柔らかくして食べさせたのではないでしょうか。

子どもが3歳ごろまで母乳で育てられたのは、現代の子育てとは大きく異なります。

日本では、江戸時代には生後半年くらいでお粥の上澄みを少し食べさせ、10カ月ごろから少しづつ固めのお粥にし、1歳半くらいで歯が生えてくると授乳を止めたようです。

預言者サムエルの母ハンナはサムエルを出産すると「乳離れするまで乳を飲ませ」(Ⅰサム1:23)、乳離れの日に祭司エリのところに連れて行きます。

そして、「この子のために、私は祈ったのです。主は私がお願いしたとおり、私の願いをかなえてくださいました。それで私もまた、この子を主にお渡しいたします。この子は一生涯、主に渡されたものです。」(Ⅰサム1:27~28 新改訳聖書)と言って神を礼拝します。

「お渡しいたします」は「お貸しします(レント)」という意味で、ハンナは、子どもは神さまから私に「貸し出された(レンタルされた)」ので、乳離れの日には神さまに「貸し出します(レントします)」と言ったのです。

子どもは神さまから預けられたいのちです。母親は自らのいのち(母乳)を与えて育て、乳離れすると神さまに「お返し」しするのが乳離れの日なのですね。

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