イスラエルには伝統的な7つの食材があります。
イスラエルでは、「小麦」「オオムギ」「ブドウ」「イチジク」「ザクロ」「オリーブ」「ヤシの実」が伝説の7食材といわれ、現在もよく食べられています。
今回の「ぶどう」はその一つで、聖書にはぶどうに関わる多くの記述があります。
イエス様が「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である」(ヨハネ15:1 新共同訳聖書)と語られたことからも、ぶどうが身近で大切な果樹であったことがわかります。
ブドウの栽培
ぶどうの栽培は紀元前3000年頃のメソポタミアやエジプトですでに始まっていたとされ、
聖書では大洪水の後に、箱舟から出たノアとノアの息子たちは地を耕してぶどうを植えています。ノアは「ぶどう畑を作り始めた農夫」と呼ばれているのです。(創世記9:21)
ぶどうの栽培はとても手間のかかるもので、「よいぶどう畑」は貴重な財産とされました。
イズレエル人ナボテはよく手入れされたぶどう畑を持っていました。ナボテのぶどう畑はサマリヤの王アバブの宮殿のそばにあり、毎年よいぶどうが収穫されるのを見て、アハブ王がナボテに「あなたのぶどう畑を譲ってもらいたい」と頼み込みます。「十分な代価を銀で支払うのはもちろん、あれよりももっと良いぶどう畑をあげるから」というのです。しかし、ナボテは「ありえない」とにべもありません。アハブは怒り、寝台にふて寝し、顔をそむけて食事もしなかったのです。そこでアハブの妻イゼベルが奸計を弄してナボテを石打ちにして殺し、アハブはナボテのぶどう畑を手に入れるのです。(Ⅰ列王記21章) このことからも黙示録には「オリーブ油とぶどう酒に害を加えてはいけない」と言われるのです。(黙示録6:6)
ぶどうはよく肥えた山腹や平地を掘り起こし、石を取り除かれた畑に植えられました。(イザヤ5:1~2)石垣で囲われたぶどうの段々畑がよく見られます。
この時代には私たちが見かけるぶどう棚はつくられず、ぶどうの蔓は地を這うにまかせて実がついた枝を木の枝で支えたり、石の上に置いたりして実るのを待ち収穫しました。初めからぶどうの蔦を樹に這わせる方法もあり、ぶどうをオリーブ畑で育てることも行われました。こうすればオリーブもぶどうも一緒に収穫できて極めて効率のよいやり方でした。
ブドウの食べ方
ぶどうの収穫は農夫が鋭い鎌で刈り取り、籠に入れることで始まります。それは一年でもっとも楽しい時で、その日は農夫は「思う存分、満ち足りるまで食べても良い」とされていました。ほとんど食べ放題ですが、畑から持ち出すことは出来なかったようです。(申命記23:24)
ぶどうはのままフレッシュに生食するほか、乾燥してレーズンにしたり、煮詰めてグレープジュースにする以外はほとんどがぶどう酒にされました。この辺は現代のぶどうの食べ方と変わりありません。
ぶどう酒
ぶどう畑にはぶどうを絞るための石灰岩の圧縮槽があり、かごに収穫されたぶどうは圧縮槽に入れ、素足で踏みつぶされたぶどう液が受容槽に流れるしくみでした。若い男や女たちは歌をうたいながらぶどうを踏んだのです。
ぶどう液は大瓶に蓄えられ醗酵してぶどう酒になるまで熟成されたのです。
ぶどう酒は一般的には水で割って飲まれました。水で割らない濃いぶどう酒で酩酊することは避けるべきKとおでした。(Ⅰサムエル1:14)むしろ、健康の爲に心を喜ばせる飲み物としてぶどう酒が勧められたのです。(詩篇104:15)
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