あめんどう 巴旦杏 アーモンド

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ヨセフの時代にイスラエルの地にひどい飢饉がおこり、ヤコブはエジプトに「少しの食糧」を買うために子どもたちを送り出します。それと知ったヨセフは身分を隠して「次はあなた方の弟(ベニヤミン)を連れてくるように」と告げます。そこでヤコブは「地の名産と銀」を贈り物として持参するようにと知恵を授けます。(創世記43:1~15)

この「イスラエルの名産」の中に「あめんどう」があります。「あめんどう」は「アーモンド」のことです。

「あめんどう」のヘブライ名は「シャーケード」で、聖書では「巴旦杏(はたんきょう)」(明治元訳聖書)、「あめんどう」(口語訳聖書)、「アーモンド」(新改訳聖書、新共同訳聖書、フランシスコ会訳聖書)等と訳されます。みな同じ木の別名です。

和名「あめんどう」は、江戸時代にポルトガルから渡来したときポルトガル語の「amendoa(アメンドア)からとられたものです。なお、「巴旦杏」には果実の甘いものと苦いものがあり、前者が「あめんどう」です。また「スモモ」も「巴旦杏」と呼ばれますね。

「あめんどう」は実を採取するだけでなく、ヤコブが羊の産み分けに「あめんどうの枝」を用いていることから、遊牧民の間では何らかの薬効があると信じられていたのかもしれません。(創世記30:37~43)

旧約聖書の中にあめんどう

旧約聖書で「あめんどう アーモンド」は象徴的な木です。

民数記16章でレビの子コラ達がモーセとアロンの召しを疑い逆らったとき、主はイスラエルの12部族の杖をあかしの箱の前に置くように命じられます。すると翌日、アロンの杖が芽をふき、花をつけて「アーモンドの実」を結び、神がモーセとアロンを選ばれたことの証しされます。(民数17:8)

また、エレミヤ1章には、エレミヤが神の預言者として召されたとき、「私は若くどう語ってよいかわかりません」と戸惑うと主はエレミヤの口に触れ「今、わたしのことばをあなたの口に授けた」(エレミヤ1:9)と告げられます。さらに「何が見えるか」と問われてエレミヤが「アーモンドの枝」が見えますと答えると主は「よく見たものだ。わたしのことばを実現しようと、わたしは見張っている」とエレミヤに告げられます。(エレミヤ1:11~12 新改訳聖書)

ヘブライ語で「アーモンド」は「シャーケード」で、「見張る、目覚める」は「ショーケーズ」です。二つのことばが似ていることから、主はエレミヤに授けたことばが実現していくのを「わたしは見張って(目覚めて)いる」と告げられたのです。

イスラエルの人々はアーモンドの樹が春になると確実に芽を出し、枝をのばし、たわわに白い花を咲かせ、多くの実を結ぶように、神の「みことば」は一つとして地に落ちず、そのとおりの業を成し遂げるまで、神が「微睡むことなく見張っておられる」と信じたのです。

アーモンドの食べ方

現代、私たちは「アーモンドミルク」を愛飲しますが、聖書の時代には木の実としてそのまま食べるか、スライスしたものをケーキやお菓子に用いたり、粉にしてお菓子を焼いたりした用いたようです。

ケサハのアーモンドケーキ

ユダヤ人の重要な祭りである「過ぎ越しの祭り ケサハ」の期間、ユダヤ人はパン種の入ったものは食べません。小麦粉の代わりにアーモンドやココナッツの粉で焼いたケーキが食べるそうです。

トウ・ビ・シュバット 木の新年祭

1月から2月にかけて「トウ・ビ・シュバット 木の新年祭」という春の祭りがあり、イスラエルでは樹木の芽生えを喜び植樹などをします。この祭りには木の実やドライフルーツを食べる習慣があります。

ユダヤ人は木の新年祭には、遠く離れている家族にアーモンドなどユダヤの地で獲れた聖書にある木の実を、「あなたを覚えている」というメッセージとして送ります。祖国を離れた若者たちは「ユダヤのアーモンド」に祖国イスラエルを想うのです。故郷からの「アーモンド」は魂に「目覚めよ」と語ってやみません。

「あめんどう」の木はパレスティナのいたるところに見られ、春には桃に似た淡いピンクの花を咲かせます。この時期に聖地を訪れた人が「桜が咲いていました!」と驚くのは、ほぼ「あめんどう」のことのようです。

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