「あぶら尾」は日本人にはなじみの薄い食材ですが、アラブ世界では今も愛される食材です。
聖書にはなによりも神への捧げものとして登場します。
アロンの祭司としての任職式で雄羊の脂肪、あぶら尾などが祭壇で焼かれ「神へのなだめの香」としてささげられたことがわかります。(出エジプト29:22~25)
祭壇にささげられる「あぶら尾 脂尾」は羊の尾の意味です。ここで使われるのは普通の羊の尾ではなく、遊牧民によって品種改良された尾が異常に大きい羊の尾のことです。この羊は「油尾羊」と呼ばれます。
脂尾羊
「脂尾羊」は巨大化した尾を垂れるものと、腰の部分に張りついたような膨らむものがあります。尾を垂れる種類では大きな尾を地面に引きずることになって歩くこともできなくなりますので、羊が尾を載せた小さな荷車を引いて歩くのだそうです。
「油尾羊」の尾にたまる脂肪はおどろくほど柔らかく、口に入れると溶けるほどで、エスキモーの人々があざらしの油を直接食べるように生でも食べられたようです。
加えて、「油尾羊」の膨らんだ尾には水を溜める種類もあって、乾燥した荒野を旅する遊牧民には水と脂肪を同時に提供してくれる貴重な家畜でした。
ちなみにこのように役に立つ「あぶら尾」に対して、山羊や犬の尾は脂肪もつかない細い尾で、「山羊の尾」「犬の尾」ということばは「役立たす、価値のないもの」を意味するそうです。
(「油尾羊」については「夜の旅人研究ブログ」堀内勝氏の資料を参考にさせていただきました。)
あぶら尾の料理
「油尾羊」の尾の料理は遊牧民には古くから知られていました。
荒野の牛の肉は堅かったので、一緒に脂肪を添えて食べたのです。
中国では脂肪は細かく刻んで薄皮包子の具として不可欠のものでした。店の看板に「油尾羊」の絵を描くのは美味しく新鮮な羊肉料理を出す食堂として客を呼び込むためです。
羊の肉と油尾の脂肪はカバブとしてその日の内に消化されます。
いわば、新鮮な羊肉と羊脂の食材を使っている店であるというアピールです。
アラブ世界で「あぶら尾」は一般的な食材として欠かすことのできない食材でした。
サムエルがソウルをイスラエルの王として任職するにあたり、サムエルは料理人に命じてこの日のためにとっておいた「羊のものとその上の部分」を料理してソウルに食べさせます。(Ⅰサムエル9:23~24)
この「その上の部分」が「あぶら尾」です。このことから「あぶら尾」は「取っておかれるもの」として神の宮で火によるささげものとして祭壇で焼かれるようになりました。(レビ3:9, 7:3, 8:25, 9:19)
「祭司は祭壇の上でそれを食物として、火によるささげ物、なだめのかおりとして、焼いて煙にしなさい。脂肪は全部、主のものである。」 レビ記3:16 新改訳聖書
祭壇で焼かれる「あぶら尾」の煙は天に昇り神への「なだめの香り」となったのです。
神が美味とされるあぶら尾の捧げもの喜ばれたわけではありません。人が罪を悔い改めの証として火に焼く脂肪の煙を喜ばれたのです。
「神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」 詩篇51:17 新改訳聖書
コメント