<2023.3.26>
草の芽や 這いつくばりて 抜き集む
春時雨 やるべきことの 二つ三つ
父知るとう 見知らぬ人と 立ちばなし 時さかのぼり 和やかに暮る(道子)
たとへれば 海の真砂の 数ありて 星のごときや われに術なし
いずこでか 孵化して蝶の 凍て寒き 朝の静けさ 羽音なく飛ぶ
<2023.3.19>
春耕や 休み休みの 鳥の声
春時雨 小エビの殻の 柔らかき
内視鏡 明日にひかえて わけもなく 日向をこいて 庭に幾たび(道子)
花白く 咲くを見たりと 君云へば われもと応ふ 春の便りは
咲く時を 見せずに桜は 咲きにけり 月の光に さへも明かさず
<2023.3.12>
教会の 石踏む音や 冴えかへる
妻われに ぺんぺん草を 指し教ふ
土深く 小川も田畑も 静まりて はるかに思う れんげ田の里(道子)
うれしそに 声あぐ子らの 過ぎゆける 庭に一輪 クロッカス出ず
寒いので 今宵のヨーグルトは 温くして 黄粉をまぶして 食べませう
<2023.3.5>
聖書読む 手のぬくもりや 春火鉢
亡き父の 横顔かさね 春の月
春なれば 疎遠のままに 逝きし友 たずねて手向けん 君愛でし花(道子)
往来の 激しき道を 駆け抜けて 歩道にあがる 春のセキレイ
近づけば 逃げると見せて 立ち止まる 子を追ふ母と 母を追ふ子と
<2023.2.26>
利根川の 土手の菜花を 皿に盛る
紅梅の 来るたびふえる 花の数
犬ふぐり 寒き枯れ野に ひっそりと 春よぶごとき 瑠璃の日だまり(道子)
いつもとは 違ふ道を 歩きませう 君が云ふので 路地の細道
身につける 順に下着を 並べくれ 童のごとき われに妻なす
<2023.2.19>
聖日の 朝の静けさ 下萌ゆる
霜解けの 畑斜めに 犬の跡
生ごみを 土に戻して 朝朝な 日々の糧得し 庭の菜園(道子)
一粒と 云へど苺の 収穫を 白き花より 繫と見て来し
星空を 妻を誘ひて 子らのごと 指さし数ふ 明けて如月
<2023.2.12>
雪とけて なんのさわぎか 庭の土
待てしばし 衣そのまま 春近し
葉を広げ 根方に小さな 花芽だき 春の香聞こゆ クリスマスローズ(道子)
今朝降りて 明日にはとける 地の雪を 一日の景色と 思ひ見るかも
八十路にて エクレアなれる 甘菓子の 妻と茶を飲む 雪の降る午後
<2023.2.5>
不思議なる 夢に目覚めし 春立ちぬ
二つ三つ 都会の空の 冬銀河
シャボン玉 犬に見せんと 駆けてゆく 子らを見送り 日向に憩う(道子)
水栓の 凍てつく朝に 切り傷を 包めるごとく 布を巻き付く
初空も 過ぎてや 溝に草の根の 張り巡らさる 庭の日溜まり
<2023.1.29>
おおゆれの 洗濯物や 睦月末
坪庭に 物語をり 返り花
子ら抱き ほほえむ写真に 入れ替えて 亡き妹しのぶ 短き一世(道子)
強風の 音に目覚めて 為すすべの なき者なるを 知りつ小夜中
門もなく 庭なき家に わが育ち 門をつくらず 庭に菜を得し
<2023.1.22>
冬銀河 数へるほどに なるもよし
忙しく 来て飛び立つや 冬の鳥
目薬を さしてしばたく この日ごろ 赤城おろしの 身にしむ齢(道子)
目の先を かすめて虫の 飛び去れる 春一瞬の いのちなるかも
人影の 途絶へて街の 息づきの 深きの籠る アパートの窓
<2023.1.15>
初雀 去年の家並を 忘れけり
為し得ずも なさるがままに 老いの春
ほらあそこ ここよと指さし 数う星 未だたどれぬ 北斗七星(道子)
かたちよく 笊に並べる 小松菜の 水切り置ける 妻の手の跡
花一つ 見ずに過ごせし 星霜の 原を色染め 仏の座群る
<2023.1.8>
礼拝を 妻と守れり 去年今年
短髪や 初湯そこそこ 老い談義
本を読み 夫とおしゃべり 泣き笑い 時にいねむり 我が木の椅子(道子)
始まりは いつもこのやう 投函を 終へて帰りの 道の満月
冬花の 三株をもとめ 庭先に 並べをる妻 春を待つかも
コメント
大聖堂の写真が続いて、楽しませていただいています。イエス受洗の像はサン・ジョヴァンニ洗礼堂ですね。「サン・ジョヴァンニ」はバプテスマのヨハネのことで、この像の下が「天国の門」なのでしょう。「神曲」を書いたダンテはこの洗礼堂で洗礼を受けたと解説書で読みました。重厚な教会を見ていると、聖書研究にも力が湧くような気持ちになります。インターネットにはかなり専門的な大聖堂の建造物に関する解説をしてくれるサイトがあります。それらを見ながら写真をみるのも楽しいものです。皆川
今日の道子さんの短歌「子ら抱き ほほえむ写真に 入れ替えて 亡き妹しのぶ 短き一世」は胸に来るものがありました。私にもいろいろありました。
皆川先生の「門もなく 庭なき家に わが育ち 門をつくらず 庭に菜を得し」は,その情景が目に浮かぶようでもありますし,先生の生い立ちから現在のご生活までの時間の流れを少し感じ取れるような気さえします。
写真については,いつもコメントをありがとうございます。昨年11月にフィレンツェ を訪れたとき,サンジョヴァンニ礼拝堂は補修工事中で中を見学することができませんでした。事前にチケットを購入していても見学させていただけないなんて何ともイタリアらしいです。もっともチケットはドゥオモ他とセットのものなので,そんなに痛いとも感じませんでしたけれども。
1991年の秋にある国際学術会議がイタリアのフィレンツェ で開催されました。これに出席して自分の研究成果を報告するというのが私にとってはじめてのイタリア。当時この会議の論文集の表紙にはヴェッキオ宮殿の画像が印刷されていました。まだ海外での活動に不慣れな私にっとってその画像があまりに印象が強く30年を経過した現在でも記憶に残っています。現地で出会った方々,おかしなことですが特に日本人の研究者たちとは,その後も長く細いお付き合いが続きました。そういった皆さんは大学や企業など各所で大いに活躍されていました。
そんなフィレンツェ ですが,2009年3月に家内と,2022年11月には長男と計3回訪ずれたことになります。その度に違う顔を見せてくれた街。建物や美術品は本当に素晴らしいのですが,同時にこれらの圧倒的な歴史的遺産が,イエス様を信じる信仰とは何なのか,私にとってまた歴史にとってと強く問うてくる気がします。
フィレンツェの写真が続いていて、毎回、息を呑むような思いで見ています。Hiroshiさんは三度にわたって大聖堂を訪れ、その前に立たれたのですね。古い歴史をもつ聖堂は見るごとに、人の心に深く語りかけ、ときに魂を激しく揺さぶります。Hiroshiさんが聖堂の前に立たれるとき、聖堂がhiroshiさんに語りかけるものは、それぞれに違ったものであったと推測しています。こうした聖堂と人との間には、その都度、幾度でも、その時の対話が成立します。聖堂は人に問いをひきだすとともに、さらにそれ深めようとします。森有正は「汽車がマルセイユを出てコート・ダジールに入ろうとしたとき、僕は、遥かにそびえるノートル・ダム・ド・ラ・ガルドの聖堂をみて、殆ど泣き出しそうになった。」と書いています。そして、森有正は多くの著作を通して、この大聖堂について熱く語り続け、魂のことばを残しています。ノートルダムは2019年4月15日に火災により焼失します。もし、森有正が生きていたら何とことばを伝えるでしょうか。しかし、私には森有正の前に立ち現れたノートルダムは消失することなく、むしろ、より深く魂に問いかけてくるような気がします。これからもフィレンツェの写真を楽しみにしています。皆川