Chat016-非目的から目的が生まれる

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Hiroshiさんが提示される「ゼンマイ式の時計」を読んで、ひとつの疑問が心に生じています。(やや、的外れの感もあるので、「疑問」と表現するのにも、若干のためらいがあるのですが…、できるだけ説明してみようと思います) 分解された時計の部品は、もともと時計という目的があって作られたもので、ねじやゼンマイはその目的に従って作られた部品で、正しく組み立てられてはじめて時計という大きな目的を果たします。つまり、「目的」が初めにあって、個々の部品ばらばらにされても、個々に付与された目的は失われてはいないわけです。そうであれば、時計を制作した職人がいれば組み立てることは可能です。 (部品は素材そのものの目的がまずあり、時計という目的と別物です。しかし、時計という目に見えない目的があって、はじめて各部品の持つ本来の目的に新たに時計という見えない目的が付与され、部品が正しい位置に組み立てられ、動力を得て、はじめて目に見えない時計という大きな目的が全体として現れ、機能するわけです。)

「ゼンマイ式の時計」は、進化論が時計職人の代わりに成り得るかを問うているわけです。私は、「目的は目的から生まれる」と考えています。「ゼンマイ式の時計」はそのことをよく説明してくれます。

では「非目的から目的は生まれる」ことはないのでしょうか? 進化論は「非目的から目的が生まれる(進化する)」というところにもあるように思うからです。(進化論がそのように結論しているというよりも、進化論的思考から導かれた一つの意見というべきでしょうか)

「ゼンマイ式の時計」には明確な前提が示されていますので、その前提に従って論じるべきことは理解しなければなりません。「ゼンマイ式の時計」の論じるところは明確で、進化論の説明を退けてくれるわかりやすいものです。これに対して、進化論的思考からは、「目的は非目的から生まれる」という反証があるのではないかと思うのです。つまり、「目的は目的から生まれる」という前提に対しては「非目的から目的は生まれる」という前提が進化論的思考からは聞かれそうです。これを崩すには「非目的から目的は生まれる」の「非目的」を問題にしなければならなくなります。これは「ゼンマイ式の時計」の中で論じるべきことではなく、まったく別の論点であることは明らかですが、「ゼンマイ式の時計」を読むうちに、気になる疑問として湧き上がるのです。

私は「目的は目的から生まれる」という立場から自己の存在の意味をとらえようとする者ですが、それは「非目的」という思考を必ずしも全面的に否定するわけではありません。「非目的」を前提にする進化論的思考に疑問をもつわけです。しかし、私の「創造論」にも「前提」はあるわけで、「前提」は数学の虚数のように双方の理論をささえているようにも思えます。前提なしに科学は成立しません。創造論と進化論的思考の「前提」を問うことは水掛け論に終わらざるを得ないのでしょうか? 科学的な前提と信仰の前提は同じものではないので、その点も問題を複雑にします。

皆川 誠

コメント

  1. Ogacha より:

    何度も読み返しました。違っていたらすみません。

    進化説は「非目的から目的が生まれる」という前提の考え方であり、それはつまり、「無から有が生じる」とか、「無秩序から秩序が生じる」などと似たようなことである、ということでしょうか。「ゼンマイ式の時計」の話は目的がある前提でスタートしており、「非目的から目的が生まれる」という前提に立つ者にとっては前提が異なるということでしょうか。

    「エントロピーは増大する」というものが科学で認められているように、すでに科学の中で矛盾を来してしまっているように私には見えます。

    神様が創造されたという前提世界の中では、進化はあり得ると思います。神様の意図がそこにある、または意図をあらかじめプログラムされたという可能性があるからです。
    しかし、神様抜きでは矛盾に陥り、成立しないはずであるように思います。

    現状の世界では以下のような道をたどっているのだと推察します。

      神様を抜いた前提では、原初を追求する理論は立ち行かなくなる
       ↓
      とはいえ、神様は理論で捉えきれないので、どのみち立証もできない
       ↓
      立証できないから「神などいない」とか「神抜きで」という世界観が近代に出てきた

    しかし、古代にソクラテスが記しているように「無知の知」前提でないと何も解けないのだと思います。そして、ずっと知りえない領域があることも知る必要があるのだと思います。