Chat015-偉大なる設計者

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獣に尋ねるがよい,教えてくれるだろう。
空の鳥もあなたに告げるだろう。
大地に問いかけてみよ。教えてくれるだろう。
海の魚もあなたに語るだろう。
彼らはみな知っている。
主の御手がすべてを造られたことを。

ヨブ記12:7~9(新共同訳聖書)

腕時計の部品設計

進化論について語るにあたり,このチャットルームには以前「時計は組み立ち機能するか」として,手のひらの上の部品をシェイクして組み立つかを考察してみました。そこでは前提として全ての部品が過不足なく手のひらに揃っていた状態から,その手をシェイクしたら偶然うまく部品が組み合わさって時計が完成するのだろうかと考えてみました。しかしそもそも常識的に考えれば,必要な部品が手のひらの上に全て過不足なく揃っているという状態が起こることそのものが既に奇跡でしかありません。

今回は部品が揃うことも考慮して時計が組み立つ確率,もしくは何年組み立てに必要かを試算します。部品をシェークしてそれが組み上がる確率が例えば 1/10,000。部品が過不足なく手のひらの上に存在する確率が1/10,000だとすれば,時計が組み立って動く確率は1/100,000,000と言えないでしょうか。

1/10,000の確率をイメージしやすいように言い換えれば,10,000年間手をシェイクしていると時計が組み立つとします。同じように,部品の山から部品をわし掴みすると,過不足なく時計の部品が手のひらに乗るといった偶然が10,000年かければ起こるかもしれません。そうすると100,000,000年(10の8乗年)後ぐらいに時計が正常に組み立ってそれが動くといった具合に想定期間を見積もってみます。

設計者,研究者として生きてみて

私は大学院を修了してからすぐ研究者また設計者として企業で働き始めました。入社してからまもなく担当した研究で,サイクロイド(Cycloid)曲線を採用したカム機構によるある搬送装置を試作したことがありました。サイクロイド曲線とは,円が別の曲線上を転がるときにその円上のある点が描く軌跡のことをいいます。

当時上司から「私が設計したカムの機構がギクシャク動くので,何とかスムーズに動く機構に仕上げなさい」という課題を与えられました。すぐ上の先輩からのアドバイスをもらいつつこの課題に取り組むことにしました。苦労したのちに私が書き上げた設計図面はいわゆる図形ではなく,カムの形状を規定するためにたくさんの数字がびっちり並んだ大きな表といった異様なものでした。こうして設計したサイクロイド曲線カムの搬送機構への応用は,私の設計にしてはめずらしくうまくいって,新しい搬送装置は非常に滑らかに動作しました。当初の偏心円を応用したカムの形状と見た目にあまり違いがなかったのですけれど,サイクロイド曲線カムのスムーズな動作に対して上司はとても面白いと笑ってくれたのを覚えています。

時計に話を戻しますが,機械式時計に用いられている歯車という部品があります。ただギザギザのある円盤だと思っている方が多いかもしれません。実際には機械式時計の歯車の歯の形状にはこのサイクロイド曲線が用いられているそうです。

たいていの産業用歯車はインボリュート(Involute)曲線と呼ばれるまた別の曲線が使われます。サイクロイド曲線と同様にインボリュート曲線では,歯車が回転を伝えるときに一定速度でそれを伝達できます。つまりガタガタせずにスムーズに相手の歯車を回すことができるという特徴があります。サイクロイド曲線とは違ってインボリュート曲線は,歯車の軸芯の距離がずれてしまってもこの性質を保ちます。その上曲線を加工しやすいこともあいまって,産業用歯車にはまずこのインボリュート曲線が採用されます。

それなのに機械式時計にはインボリュート曲線ではなくてどうしてサイクロイド曲線が使われるかというと,サイクロイドはインボリュートよりも歯面の摩擦が小さく,その結果,回転の負荷は小さくて歯面の摩耗も防げるからです。こういったサイクロイド曲線の特徴は機械式時計には最適です。たかが歯車の歯の形状に対してすら,繊細で多くの技術を築き上げてこられた先人の努力と知識,知恵にはただただ敬服するしかありません。

別の機会に私はこのサイクロイド曲線をモータ制御に応用してある機器に組み込む経験をしました。それは,高速で移動する物体によって発生する機械的ショックを大幅に抑制でき,近くにいる人がそれを感じない制御方法といった内容であって,国内では特許にもなりました。この技術は何機種かの製品に採用されて数千台が市場で活用されました。サイクロイド曲線を応用する,少し別の言い方をすれば物体の加速度を正弦波状に変化させれば,質量数キログラムの物体を高速で目の前を移動させてもすぐそばにいる人は機械的なショックや恐怖をあまり感じません。手品のような不思議な現象を起こせます。その理由を伝達関数法などで数学的に証明もできますがここでは割愛します。

このように私が新人エンジニアだったころはコンピュータを応用したモータ制御技術が進展し,複雑なカム機構による動きを電気的/電子的/ソフトウェア的に置き換えて物体を動かすことができるようになった時代でした。

もう一度時計に話を戻しますが,ガタガタの歯車でも回っていれば角が削れてそのうち滑らかに回転するかもしれないのですが,これが進化論でいう自然淘汰にでも相当するでしょうか。ここでは面倒なので,1/10,000ぐらいの確率で歯車の歯の形がサイクロイド曲線になってしまうと言い張ってみます。すると時計が組み上がって機能するのに必要な時間は先の計算に鑑みて1,000,000,000,000年(10の12乗年)後ということになります。

材料の問題

最近は目にしませんが,私が子供の頃遊んでいたゼンマイ仕掛けのおもちゃにはいくつもの歯車が使われていました。その歯車のうち直径が小さくて厚みのある方(ピニオン)にはたいてい黄銅かMCナイロン,ジュラコンなど比較的柔らかい材料が採用されていました。直径の大きな歯車は薄くて硬い鉄系材料が多かったようです。このピニオンに柔らかい材料が,大きな歯車には薄くて硬い材料が組み合わせて使われていたのは,歯車を作りやすいことに加えて,摩擦が小さくてスムーズな回転を得られたからです。

このような都合の良い材料選びが偶然実現するとは思っていませんけれども。仮に歯車の形をして部品の山に紛れ込み,10,000回に1度ぐらいの確率で,それが掴み取られて手のひらに乗り,シェークによって時計が組み立つのだとすれば,さらに10,000回に1度の確率を考慮する必要があって,先に書いた時計が偶然組み立つのに必要な時間は,10,000,000,000,000,000年(10の16乗年)後ぐらいとなります。

材料にはもう一つ厄介な問題があります。機械式時計のゼンマイに用いる材料,大抵はバネ材にはそのバネの形状が長年保たれることを目的に,弾性変形はするけれど塑性変形はしないものが採用されます。ゼンマイがどんな原子から成るかといった話ではなく,その材料の最適な微細構造,具体的には結晶粒が非常に細かいものを用います。それが塑性変形しにくいという条件だからです。金属材料の結晶粒を微細にするには,その材料を再結晶温度より高い温度まで一度加熱し,続いて水や油の中へ投入して急冷させるといった熱処理を施します。

こんな熱処理が偶然なされるなどと想定するのもナンセンスです。それでも百歩譲って10,000年に1度ぐらいの天変地異が起きて火山の爆発や火災でゼンマイの材料が高温に加熱され,その直後に洪水が起きて急冷され微細構造ができたとします。するとこの確率も考慮する必要があるでしょう。手のシェイクによって偶然時計が組み立って正常に機能するのに必要な時間はさらに1/10,000の確率を考慮して,100,000,000,000,000,000,000年(10の20乗年)後ぐらいと算定できるでしょう。

ここまでは歯車とゼンマイぐらいの部品の話しかしていません。時計はもっとたくさんの部品で構成されています。指し示される時刻が認識しやすい文字盤の色や形と記号,美しい光沢を持った針がそこにある確率もそれぞれ1/10,000ぐらいかもしれないので,適切な文字盤ができる確率が1/10,000,針ができる確率が1/10,000として時計が組み立つのに必要な時間は,10,000,000,000,000,000,000,000,000,000年(10の28乗年)後とでもなるでしょう。

Wikipediaによれば,地球の年齢はおよそ45億年(4.5 x 10の9乗年),宇宙の年齢はおよそ138億年(1.38 x 10の10乗年)だそうです。それに対して上記では時計が偶然組み立って機能するのに必要なのが10の28乗年後だと算定しました。地球の年齢で比較すると10の21乗倍の隔たりがあります。地球の年齢があまりにも若過ぎます。

これも例えばの話ですが経験のあるエンジニアが意思をもって時計を設計すれば,ざっくり数週間で時計が製作できるかもしれないと仮定すると,偶然に頼った10の28乗年という期間が途方もなくかけ離れた時間になります。

知恵のある方は,以上に対する反論として,たとえば地球上の10,000箇所で同時に手のひらシェイクによる時計組み立てが実行されれば必要な時間は1/10,000になると言うかもしれません。ほかにもいろいろな理屈をつければ,時計が組み立つまでの時間を短縮する計算方法を仮定することもできます。しかしどんなアイデアを駆使しようとそれには限界があり,発生する確率の低い事象を積み上げて推定する限り,天文学的な期間をさらにはるかに超えた永い時間がないと,時計が組み立ったりしません。

いまでは全宇宙の原子の数が10の80乗個程度とまで試算されています。頑張れば時計が組み立つ時間の計算精度をでたらめな仮定から少しずつ絞り込むこともできるかもしれません。一方で,何度仮定を絞り込んでも時計はやすやすとは動かないでしょう。

「人類」が地上で発生したこと,私は神に創造されたと言いたいのですが,その背景には「誰かが人を設計してつくった」もしくは「何らかの原理があって実現したと」考えるしかありません。いつまでも偶然とか淘汰で全てを説明できると言い張るのはどんなものでしょう。

被造物,人体の複雑さ

ところで時計と人体とどちらが複雑なのでしょうか。別の機会に人体の複雑さや不思議さを綴ってみたいと思っています。

hiroshi

コメント

  1. Ogacha より:

    自然の摂理、生命の不思議、宇宙の広大さ、素粒子およびそれより極小のミクロの世界、仕組みがわからなくても生きている私たちの体内の働きなどなど、数え上げればキリがないのに、そのどれ一つとってもその設計は精巧すぎて完璧すぎて美しすぎます。
    この広大な宇宙の中の秩序のうち、人が知っているることなど、ケシ粒にも全く満たず、永遠に人間の目や手に触れない部分だらけのはずです。
    真摯にこの世界の生物、物理など理科学と向き合えば、神様の存在を認めざるを得なくなると思うのですが、結局、人間の驕り高ぶりが自分たちの目をくらましているのだと思います。
    まさにヨブ記で語りかけられていることを謙虚に聴く姿勢が大切なのだと思います。