Chat011-時計は組み立ち機能するか

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お話しの前提

この進化に関するシリーズにあたり私の考えの前提を少しだけ記します。

私は進化論に異議はあるのですが,そうかといって生物が生きる環境に適応して変化していくことを否定するつもりはありません。ダーウィンの観察や洞察力の素晴らしさにはもちろん敬意を持ってい受け入れています。

一方で,そもそも自然科学は,”どのように”,”How”に対して答えを与えてくれるけれども,”何のために”,”Why”については回答を与えてくれないものだと思っています。後者は,Whyというより「自然科学は目的を与えてくれない」などと言っても良いかもしれません。これについては自然科学ではなく聖書だったり狭義の哲学だったりが扱っていると考えています。自然科学であったはずの進化論と,人が目的をもって生かされているという信仰を混同することがなければそれで良いのです。進化論は”WHY”に応えてくれないという共通の理解が得られるなら,ここに綴るようなお話をあえて書く理由は私にはありません。

ただ多くの方々が「人は突然変異と自然淘汰の中で生まれたものであって,しかるに神は存在しない」と言われる,またはそう考えておられることにつぶやいているのです。聖書を否定しているということより,むしろ自然科学を正面から見つめていないのではないかと感じてつぶやいているのです。

時計の部品が偶然組み立ち時計として機能するか

いまどきゼンマイで動く機械式の腕時計を見かけることはめったにありません。機械式の古いキッチンタイマーぐらいでしょうか。そういうものがあるとして,あくまで思考上の実験におつきあいください。現在一般に普及している電子時計を電子回路やソフトウェアを含めて考えるとあまりに複雑で思考実験がむずかしくなりますから。

左のてのひらに機械式腕時計の部品一式をバラバラの状態でのせたとします。それを右手で覆って部品が落ちないようにした状態で100回シェイクします。そっと右手をはずして左のてのひらを見るとそこには組み立った時計ができていました。

まずほとんどすべての人はそんな馬鹿なことが起こるはずはないと言うでしょう。

その理由を詳しく聞いてみればある人は「こんな方法では絶対時計は組み立たない」と考えます(組み立たない派)。

別のある人は「シェイクする回数がもっとはるかに多ければ組み立つこともありうる。その確率は極めて小さいけれど可能性はゼロではない」と考えます(組み立つ派)。

皆さんはどちらでしょうか。

組み立つ派の人でも1000回で組み立つと思う人はまずいないでしょう。最低でも10,000回のシェイク実験をしなければならないと主張するかもしれません。あるいは1億回のシェイクを許すのであれば,ある確率で時計が組み立つという意見を持つ方もいるでしょう。

偶然では解決しない問題

神は言われた。「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と,それぞれの種を持つ身をつける果樹を,地に芽生えさせよ。」創世記1:11(新共同訳聖書)

直径が2mmにも満たない時計の中の雄ねじが,フレームに削り込まれた雌ねじにちょうどうまい具合に入り込み,ほどよく締め付けられる。広がってしまったゼンマイが,手のシェイクによってきちんと巻き上げられてフレームに収まる。いったいそういうことは起こりうるのでしょうか。

もし1億回シェイクした場合,時計の針や回転軸に傷がつき,そもそも時を刻む機能に悪影響を及ぼさないのでしょうか。

この仮定では,数十点の部品がてのひらという小さな空間にそれも過不足なくすべて揃っています。そして熱くもなく冷たくもない,柔らかい安全な場所で気持ちよく,その上で十分な刺激を受けつつシェイクされます。そうであれば1億回のシェイクで偶然部品がすべてあるべき形に組み合わさって時計として正常に機能する可能性はあるのでしょうか。

進化論で自然淘汰という段階を議論する前に,突然変異によって生物が生成される,最小単位のRNA(リボ核酸)が形作られる可能性があるかという思考実験の前段階のつもりでこの稚拙な例えを書いています。

次に,数式は使わないまでも少しだけ自然科学っぽく思考するとします。

ゼンマイが適正にくるくると巻かれて縮まるのに必要なエネルギーをシェイクで与えれば,時計が組みたって正常に機能する可能性はある。つまり適正なエネルギーを考慮すれば時計が組立つ可能性が出てくるという考えがあるかもしれません。少なくともゼンマイを一度は巻き上げねばなりません(エネルギー保存の法則への配慮)。

その場合,つまりある大きさのエネルギーを外から供給しますので,本来の目的(希望)を叶える以外の現象,例えば針や回転軸が削れるなどへの気遣いも必要になります(熱力学の第二法則への配慮)。

原子生物の生成については,を20種類のアミノ酸が,あるべき順番に組み合わさってたんぱく質を1分子生成するといった,現実に近い生物実験になるかもしれません。しかしここにも時計と似ている物理現象が含まれるはずです。分子や原子が組み合わさるときにはゼンマイやねじに似ているエネルギーの問題も,あるいは組み合わさるときにすでにある部品の変質も考えねばなりません。

タンパク質1分子が短時間にそれも自然発生的に作られる可能性は高くないのでしょうが,それがまた複雑に組み合わさって単細胞生物,それがまた突然変異を起こし自然淘汰していっていずれ人類となる。その確率を数式で試算した場合それはいかほどでしょう。それはまた天文学的な計算になります。

学校教育についての心配

いまも他国の学校教育では,真実と違う歴史を勉強し,歴史を歪曲しているといった話題がYouTubeで流れています。それに比べて日本は良いよなぁと思う人は少なくないはずです。しかし私は,本当に日本の教育はいつも正しいのだろうかと疑問をもちます。もちろん日本の教育はすばらしいのでしょう。そうかといってすべてが正しいはずもありません。自然科学,社会科学を含む学校教育の内容を,常に無批判に受け入れることにはある危険性が潜んでいます。日本の教育制度の誠実さ,優秀さ,公正さは素晴らしいと知っています。それでもすべてを無批判で受け入れてしまうことに抵抗を感じているのです。

日本の学校教育の中で進化論を無批判に受け入れ,それゆえに「神は目的をもって私をつくられた」ことを受け入れられない人々が多くなったとしたらとても残念です。「それはそれ」「これはこれ」で納得しそれで良いとは私には思えません。

「わたしは,高く,聖なる所に住み,打ち砕かれて,へりくだる霊の人と共にあり,へりくだる霊の人に命を得させる。」イザヤ57:15(新共同訳)

天地創造なる主を信じさえすれば,生物の種の起源を理解できるほどに進化の問題は単純なことではありませんが,”偶然”,”突然変異”,”自然淘汰”で生物を語れはしないと,聖書は私たちに徹底的に謙遜を求めているのではないでしょうか。

hiroshi

コメント

  1. Ogacha より:

    まさにその通りです。 Chat010 のコメントは、この記事と内容が被ってしまいましたね。すみません。
    同意します。